1-4. 真実
「えっ……表向きって、どういうことだ? 僕たちがヴァルトゼーヘンやフロイデバーグで見て、聞いてきた真実について言っているのか……?」
突然横から切り込んできたフェリシアの言葉に、エーリヒは「何を言い出すんだ」と困惑の表情を浮かべた。。
「エーリヒ様は少し黙っていてただけないでしょうか」
フェリシアはぴしゃりとエーリヒの言葉を制した。その瞳には、冗談や悪ふざけの色は一切ない。真剣そのものの眼差しで、彼女はソフィアへと視線を向けた。
「お話を進める前に、ソフィア様に一つだけ確認させていただきたいことがございますの。……エーリヒ様のお部屋に飾られていた絵画につきまして。エーリヒ様からは『ソフィア様の故郷であるフロイデバーグの風景を描いたもの』とお聞きしておりますが、間違いございませんでしょうか?」
ソフィアは突然の問い詰めに戸惑いながらも、静かに答えた。
「ええ……私の故郷であるフロイデバーグだと答えましたわ。フロイデバーグのすぐ隣には、崖の上にシュヴァルツヴァルトが広がっているでしょう? だからあの絵画はフロイデバーグを描いたものだと……」
「では、ソフィア様はヴァルトゼーヘンには一度も行かれたことがないのですか?」
「行ったことなど、一度もないはずですわ……」
その回答を聞いた瞬間、フェリシアの唇の両端がすっと上がり、絶対の確信に満ちた笑みが浮かんだ。
「ソフィア様。では、こちらの絵葉書はどこの場所を描かれたものですの?」
フェリシアが手にしたのは、フロイデバーグの学校でクララの友人から受け取った一枚の絵葉書だった。
「それは……フロイデバーグの上にあるシュヴァルツヴァルトをイメージして描いたものですわ。ヘザーは針葉樹林の下に咲く花ですもの……バザーに出展するにあたって、馴染みのあるフロイデバーグの景色が良いかと思いまして……」
フェリシアは小さく不敵な笑みを浮かべ、優雅に首を振った。
「それはおかしいですわ………フロイデバーグのシュヴァルツヴァルトは、このような景色ではございませんもの」
ソフィアの顔が瞬時に強ばり、表情が固まった。エーリヒは何が起きているのか理解できず、ただ戸惑うばかりだ。
「ソフィア様、フロイデバーグの『崖の上』にあるシュヴァルツヴァルトへ直接足を運ばれたことはおありですか?」
フェリシアの問いかけは、静かだが逃げ道を塞ぐように鋭い。
ソフィアは視線を床へ落とし、固く口を結んだまま長い沈黙を守った。
「……ええ。行ったことは、ありますわ……」
絞り出すようなソフィアのか細い声に、フェリシアは微笑を崩さない。
「では、そこがどんな景色だったか教えていただけませんかしら? 本物のソフィア様でしたら、お分かりになるはずですもの」
ふふっ、と可憐に微笑むフェリシアに、エーリヒは耐えかねたように声を挟んだ。
「本物の……? フェリシア、一体何を言っているんだ!?」
「私、フロイデバーグでいただいた三枚の絵と、エーリヒ様のお部屋にあったヴァルトゼーヘンの絵を比較して思い至りましたの。…ここにいるソフィア様は……クララ様ではないかと」
「えっ……!? いや、僕たちはこの旅路で、母——クララ様は亡くなったと聞いたばかりじゃないか! そんなこと、あるはずがないよ!」
エーリヒは信じられないと言わんばかりに首を振り、呆れた声をあげた。
「私の推測では、本当に亡くなられたのは本物のソフィア様の方ですわ。何らかの事情により、クララ様がソフィア様に成り代わっておられるのです」
混乱する室内で、フェリシアは静かに真実を解き明かし始めた。
「フロイデバーグの崖の上に広がるシュヴァルツヴァルトは、針葉樹林とはいえ、ヴァルトゼーヘンのとは全く異なる環境を有しております。崖の上という地形ゆえに陽光が燦々と差し込み、風が吹き抜ける極めて乾燥した土地ですの。ゆえに、陽光と乾燥を好むヘザーが美しく咲き誇ります」
フェリシアはそういって学生時代にソフィアが描いたキャンバスの絵を差し出した。
「本物のソフィア様は、フロイデバーグのシュヴァルツヴァルトが日当たりの良い高台であると正しく理解しておられたため、この絵のように陽光のもとに咲くヘザーを描かれました」
続けて、フェリシアはクララの描いたキャンバスの絵を提示する。
「一方、クララ様の出身地であるヴァルトゼーヘンのシュヴァルツヴァルトは、湖に面した平坦な低地であり、日差しが届かない薄暗く湿った土地ですの。ゆえに日光を好むヘザーは絶対に咲かず、代わりに日陰と湿気を好む『ジギタリス』が群生いたします」
フェリシアは一呼吸置き、息をのむ大人たちを見回した。
「もし、あなたが本物のソフィア様であったなら、まずエーリヒ様のお部屋にあるあの絵を『フロイデバーグだ』とおっしゃるはずがございません。あの絵に描かれた湿地と針葉樹は、フロイデバーグには存在し得ない景色だからです。……そして、バザーのために描かれたこの絵葉書。フロイデバーグのシュヴァルツヴァルトを、このような薄暗く湿った日陰として描くはずがないのですわ。……故郷の景色を知らぬあなたが描いたこの不整合こそが、あなたが本物のソフィア様ではないという、何よりの証拠です」
逃げ場のない完璧なロジックを叩きつけられ、ソフィアは何か言いかけようとしたものの、フェリシアの鋭い眼差しを前に諦めたように息を吐いた。これ以上どんな言い訳を並べたところで、目の前の令嬢には全て暴かれてしまうと悟ったのだ。
「――旦那様。真実を明かしましょう」
ソフィアは静かにそう呟いた。
「これからお話しする内容は、どうか他言無用にてお願いいたします。さもなければ、アシュフォード子爵家、ならびにソーントン家、グランデ家の皆様にまで危害が及んでしまいますので……」
ソフィアはまっすぐフェリシアを見つめ、静かに語り始めた。
「フェリシアさんの仰る通りですわ。私はソフィアではなく……クララ・ソーントンです」
エーリヒは頭が痛くなるほどの混乱に襲われた。先ほど自分を「後妻」だと言っていた人物が、結局は自分を生んでくれた「実の母親」だというのか——!?
「私はエーリヒが生まれる前、とある公爵家の方から、既婚者であるにもかかわらず執拗に愛人になるよう迫られておりました。どこへ逃げても追ってくる公爵家に、警察へも相談いたしましたが、お相手が公爵家という理由で取り合ってもらえず……。やがてアシュフォード家や実家のソーントン家にも脅迫が及ぶようになり、私は……自分がこの世から消え去れば良いのではないかと追い詰められていたのです」
ぽろぽろと大粒の涙をこぼすクララに寄り添い、アシュフォード子爵が後を継いだ。
「……続きは私から話そう。クララが追い詰められていた頃、従姉妹のソフィアが病によって急死してしまったのだ。グランデ男爵邸を訪れた際、当主からある提案をされた。『クララが死んだことにし、ソフィアとして生きれば良い』とな。最初、クララは亡くなったソフィアに申し訳ないと拒んだが……ソフィアは幼少期にいじめられていた際、クララに救われた過去があり、深く感謝していたのだ。グランデ男爵もまた、領地経営の借金をソーントン子爵に肩代わりしてもらった恩があり『今こそ恩を返す時だ』と背中を押してくれた。……非人道的な行いだと分かってはいた。だが相手は国家権力を握る公爵家だ。我々にはその手を取る以外、道が残されていなかったのだよ」
衝撃の真相が語り終えられ、執務室にはしんと静まり返る沈黙が降り積もった。ただ、クララの「ソフィア……ごめんなさい……」という咽び泣く声だけが響いている。
まさか一枚の絵画の場所を探す小旅行から、国家の闇と貴族家の成り代わり劇にまで発展するとは思いもよらず、さすがのフェリシアも言葉を失って黙り込んでいた。
重苦しい沈黙の中、アシュフォード子爵が深く頭を下げた。
「公爵家はクララが死亡した報を聞いて興味を失い、その後の動向は分からん。……エーリヒ、フェリシア嬢。この事実は我々とソーントン子爵、グランデ夫妻しか知らぬ極秘事項なのだ。我が家の使用人にすら明かしていない。もし漏れ出せば、再び公爵家から惨禍がもたらされる可能性がある。頼む……この話は、絶対に他言しないでくれ」
突然の父の嘆願に、エーリヒは狼狽えた。
「父さん、頭を上げてよ! 僕は誰にも話さないし……フェリシアだって、きっと……」
不安そうに隣を見るエーリヒに、フェリシアはうふふと上品に微笑んで見せた。
「どうぞご安心くださいませ。口は堅い方ですの」
その言葉に、アシュフォード子爵とクララは心底安堵したように胸を撫で下ろした。
エーリヒは気まずそうに視線を落としながら、溢れ出る自分の素直な思いを絞り出した。
「……この事実を知っても知らなくても、後妻であってもそうでなくても……僕を愛し、大切に育ててくれた母さんであることに変わりはありません。その気持ちが揺らぐことは、絶対にありませんから」
感情があふれ出さないよう、エーリヒは精一杯おだやかに言葉を紡いだ。流石に笑顔を作る余裕はなかったが、両親に対する疑念や葛藤は綺麗に消え去っていた。
エーリヒは気まずさに耐えかねるようにフェリシアの手首を掴むと、早足で執務室を後にした。
◇
「絵画の場所を知りたかっただけなのに、まさかこんな真実があるなんて思っても見なかったよ」
自室に戻ったエーリヒは、旅立つ前の荷造り状態のままになっている部屋で、ぽつりと落胆の吐息を漏らした。
「結局、僕の母さんであって何も変わらなかった。……でも、僕たちを守るために両親が命がけで守り抜いてきた秘密だったんだ。それを僕たちが暴くような真似をしてしまって……父さんたちにとって絶対に隠しておきたかった過去をこんな形で暴いてしまうなんて、僕は……暴かない方が良かった真実だったんじゃないかと」
エーリヒが落胆と迷いを口にしても、フェリシアはエーリヒに寄り添うどころかどこ吹く風だった。
「さあ? 人情や感情の善悪につきましては、わたくしには分かりかねますけれど…….」
フェリシアはそう呟いた後
「…ただ私、この旅路はすごく楽しかったですわ!絵画からこんなにも真実が暴けるなんて...!まるでパズルを紐解いているかのような感覚がありましわ...!」
うっとりと頬に手を当て、 フェリシアは恍惚した表情を浮かべていた。
その瞳には一切の濁りがなく、純粋に「素晴らしい謎解き(地理特定)ができた」という無邪気な喜びで満ち溢れている。
フェリシアにとって、誰が誰と再婚したかや、そこにどんな悲劇のドラマがあるかなど心底どうでもよかったのだ。
その姿を目の当たりにしたエーリヒは、一歩引きながら心の中で深く頭を抱えた。この旅路で彼女の知性に覚えた敬意が、一瞬で吹き飛んでいく。
(――悪気がないからこそ、タチが悪いな...)
その悪意のない、完璧な笑顔の前に、エーリヒは怒る気力を奪われてしまうのだった。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
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改めまして、お付き合いいただき本当にありがとうございました!




