4-4. マガレットの決意
「……すまない、フェリシア。取り乱してしまって」
決着がつくと、エーリヒは素早くフェリシアのもとへ駆け寄った。
「騎士として、素晴らしいご判断とご行動でしたわ」
フェリシアが柔らかく微笑みかける。
「マガレット様、あの方はアウグスリンゲンの警備隊に引き渡してもよろしいでしょうか?」
エーリヒが尋ねると、マガレットは尻もちをついて震えているティアゴへ近づいていった。万が一に備え、エーリヒもいつでも護衛できる距離を保ちながら後に続く。
「……先ほどの言葉、撤回してくださるなら、今回の件は見逃しますわ…どうされますの?」
「……俺には金が必要なんだ……愛人と豪遊して借金を作って……高利貸しに殺される……。お前が俺の人生を潰したんだ……! だからお前が払うのが当然だろうが……!!」
ティアゴは虚ろな目でブツブツと独り言を呟き、話が通じる状態ではなかった。
「マガレット様、危険です! すぐさま警備隊に引き渡します。ハンネスさん、警備隊に連絡をお願いします!」
「わかった!」
ハンネスは応じると、家にあった警笛を強く吹き鳴らした。甲高い笛の音を聞きつけた近隣の住民や巡回中の警備隊が、即座に工房へ駆けつけてくる。
「恐喝および住居不法侵入です」
エーリヒは、虚ろな目のまま硬直しているティアゴを静かに警備隊へ引き渡した。
◇
「元身内なのに、あんなふうになってしまうなんて……。やっぱり、私が跡継ぎを生めなかったことが悪かったのかしら」
騒動が収拾したあと、マガレットはポツリと悲しげな呟きを漏らした。
それを聞いたハンネスが、即座にマガレットの手を包み込む。
「君が悪いなんてことは絶対にない! 跡継ぎのことだって……方法はいくらでもあったはずだ。こんな素晴らしい女性を貶めるなんて、元旦那がおかしいんだよ!」
ハンネスの真剣な言葉に、シルヴィアも静かにマガレットの肩へ手を添え、包み込むような笑みを向けた。
「ええ、ハンネスの言う通りよ。過去がどうであれ、この数日間であなたが示してくれた針の冴えと熱意は本物ですわ。……服はね、着る人を幸せにするもの。そんな素敵な手を持つあなたが、自分を責める必要なんてどこにもありませんのよ」
マガレットの瞳から、ぽろりと一粒の涙がこぼれ落ちた。
「そっ……そんな風に言っていただけるなんて……ありがとうございます。心が少し楽になりました」
目元を拭うマガレットの顔に、ようやくかすかな笑顔が戻る。
「仕立てに没頭すれば、嫌なことも忘れられるかもしれませんわ。最後の『椿姫』の衣装、最後までやり抜いてみせます! フェリシアさん、エーリヒさん、もう少しだけお付き合いくださいませ!」
力強い意気込みを聞き、フェリシアとエーリヒも胸をなでおろした。
それからの三日間、事態は怒濤の勢いで動き出した。 マガレットはほぼ工房に泊まり込み、フェリシアも侍女の手を借りつつ服飾のサポートに専念した。エーリヒも連れてきた護衛たちと交代で工房周辺の警戒にあたり、全員が一丸となって作業を続けた。
◇
「つ……ついにできたわ……!!」
マガレットが眠そうな目を擦りながら、完成したドレスをいっぱいに広げた。
「最後に微調整をしたいの。……フェリシアちゃん、トルソー役をやってくれないかしら?」
「わ、私ですか!?」
急な提案に動揺するフェリシアだったが、そのまま更衣室へ連れ込まれ、あれよあれよという間にドレスを着せられていった。
「このような衣装は着慣れておりませんので……その……」
しばらくして更衣室の扉が静かに開くと、深紅の絹地に身を包んだフェリシアが現れた。普段の質素で知的な装いとは一変、張りのある上質な生地が彼女の美しいシルエットを際立たせ、胸元から美しく広がるラインが見る者の目を奪う。
「まあ……なんて見事なこと……!」
シルヴィアは感極まった様子で歩み寄り、そっとドレスの裾を撫でた。
「ウェバーさんのあの幻の赤生地に、マガレットさんの繊細な刺繍……。私が若い頃に目指していた以上の仕上がりですわ。……シュナイダー工房に、新しい風が吹いたみたい」
シルヴィアの称賛に笑みを浮かべつつも、マガレットはすぐに職人の顔に戻る。
「もう少し、胸元のボリュームを出したほうがいいかしら……」
ドレスのひだを押さえながら、ブツブツと改善点を呟いていた。
慣れない自分の姿に顔を真っ赤にし、裾をぎゅっと握りしめているフェリシアへ、エーリヒは吸い寄せられるように歩み寄った。
少し腰を落とし、彼女の耳元に触れそうなほど近づいて囁く。
「……いつもと雰囲気が違って、息をのむほど綺麗だ。……本当だよ」
「っ……! じ、冗談はおやめくださいませ……!」
照れくささに耐えかねてそっぽを向くフェリシア。だが、耳たぶまで真っ赤に染まっているのを、エーリヒは見逃さなかった。つんと澄ましながらも、彼女の瞳には嬉しそうな色が混ざっている。
最後の微調整が終わろうとしたその時、工房のドアが勢いよく叩かれた。
「オペラ関係者かもしれない! 見てくる!」
ハンネスが急いで玄関へ向かう。
「少し早いのですが、練習の休憩中に衣装の確認をしたくて……」
やがて、ハンネスが一人の女性を伴って戻ってきた。今回のオペラで主役を務める女性だった。
「ちょうど最終調整が終わったところです。……こちらになります」
ハンネスが案内すると、女性は完成したドレスを目にした瞬間、歓声を上げた。
「まあっ……素晴らしいわ!! シュナイダーさんの工房はいつも見事だけれど、今回はさらに……この滑らかな光沢と深紅の美しさ、必ず舞台で映えますわ!」
感動を隠せない様子の歌手へ、ハンネスが誇らしげに微笑む。
「実は今回、ここにいるマガレットさんにお手伝いいただいたんです。このドレスのほとんどは、彼女の手によるものですよ」
「まあ、そうなの!? シュナイダーさんは良い職人さんを見つけられたのね! 要望を挟む余地もないくらい完璧よ。マガレットさん、本当にありがとう!」
「いえ……私も縫っていて本当に楽しかったです。こちらこそ、ありがとうございました」
頭を下げたマガレットの頬は、歓喜で赤く染まっていた。
「では、他の衣装も含めて後ほど業者に引き取りに行かせますね」と言い残し、歌手の女性は満足げに足早に去っていった。
「はあ……よかった……!」
緊張の糸が切れたマガレットは、へなへなと椅子に崩れ落ちた。
「衣装づくりがこんなにも楽しいものだなんて思わなかったわ。自分にこんなことができるなんて、思いもしなかった……」
顔を覆うように手を当てながら、感無量の面持ちで微笑む。
そんな彼女へ、ハンネスが真面目な面持ちで歩み寄った。
「マガレットさん……この工房で働きませんか? 僕たちには、君の力が必要なんだ。修道院へ行くと言っていたのはわかっているけれど……」
「えっ……ええっ!? 私が、ですか!?」
思いもよらぬ打診に、マガレットは呆然とした後、弾かれたように立ち上がった。
「そうなってくれると私も嬉しいわ……! マガレットさんに伝えたいことが、まだ山ほどあるのよ!」
シルヴィアも目を輝かせる。
「……わ、私でいいんでしょうか?」
「『君だから』いいんだ!」
熱のこもったハンネスの言葉。その真っ直ぐな瞳を受け止め、マガレットは自分の胸の内に問いかけるように一度目を閉じた。
やがて目を開いた彼女の顔つきは、晴れやかに澄み渡っていた。
「もしよろしければ、ぜひここで働かせてください。私、もっともっと服が作りたいです。修道院の件は……少し延期しようと思いますわ!」
ふたりの表情が一気に華やぎ、ハンネスは感極まって思わずマガレットを力強く抱きしめた。
「ありがとう! 僕も一緒に服を作りたいんだ!」
「きゃっ……!?」
不意の熱い抱擁に、マガレットは顔を真っ赤にする。
「おっと……ごめん! つい興奮してしまって……!」
慌ててパッと手を離すハンネスの姿に、工房内に温かな笑いが弾けた。
「フェリシアさん、エーリヒさん! 私、アウグスリンゲンに残ります! 残ってここで働くわ!」
「あ……そうなると、僕の護衛任務が終わらなくなってしまいますね。一度、お父様ともご相談された方がよろしいかと……」
苦笑いを浮かべたエーリヒの指摘に、マガレットはハッと手を打った。
「た、確かにその通りね! でも、必ず手続きを済ませて戻ってきますから! その時はよろしくお願いします!」
◇
翌朝。フェリシア、エーリヒ、マガレットの三人は、ハンネスとシルヴィアに見送られながら列車に乗り込んだ。
車窓の景色を眺めるマガレットの表情は、行きとは比べものにならないほど生き生きと輝いている。
(やっぱり……フェリシアの地理知識は、人を幸せにするな)
車窓の風景を指差しながら楽しそうに話すフェリシアの姿を見つめ、エーリヒは心の中で深く確信していた。
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