4-3. 決闘
※注意:本話には作品の演出上、一部過激な差別的な暴言・不快感を伴う表現が含まれております。ご注意の上お読みください。
「ハンネスさんから教えていただいた場所は、こちらの湖で間違いないようですわね。すぐ背後に城壁が見えますもの」
フェリシアは膝の上の地図と目の前の光景を照らし合わせながら頷いた。
「この近くに、目的の工房があるはず……なぜだか胸が高鳴りますわ」
馬車の窓から身を乗り出すマガレットの声に、熱く力強い響きが宿る。
三人は車窓から、木々が茂る湖の周囲に建つ建物を探した。すると、生い茂る林の合間に、ひっそりと佇む二階建ての木造建築が見えてきた。
「あの建物……二階部分の壁面にルーバー(鎧戸)が見えますわ!」
マガレットが歓喜の声を上げ、指をさす。
「ルーバー、ですか?」
隣で首を傾げるエーリヒに、マガレットは目を輝かせて説明を加えた。
「風の通りを良くするための通気格子ですの! 直射日光を遮り、陰干しで生地をじっくり乾かす際に用いられる構造ですのよ。間違いありません、あそこで染色が行われているのですわ!」
馬車は二階建ての建物の前に静かに停車した。
ステップを降りるなり、マガレットは待ちきれない様子で小走りにドアの前へと向かった。
「……とても緊張しますけれど、ここは私が真っ先に想いを伝えなければいけませんわね」
彼女はそっと瞼を閉じ、深く息を整えると、意を決して重厚な木製扉を叩いた。
しばらくの静寂の後、ギィと音を立ててドアが静かに開いた。
「……今日、生地の引き取りや納品の予定はないはずだが」
顔を出したのは、立派な髭を蓄えた厳格そうな中年の男性だった。
「わ、私……! 十年ほど前に目にした生地名鑑の図鑑で、こちらの工房が手がけられた生地を拝見したのです! 吸い付くような素晴らしい発色の赤に心を奪われ……どうしても、今回のドレス作りにその生地を使わせていただきたいのですの!」
マガレットは勢いよく頭を下げた。
「……生地名鑑だと?」
男性が怪訝そうに眉をひそめる。
「はい! 昔から気に入った生地の端切れをこうしてスクラップにして集めておりまして……この端切れの艶と織りは、もしかしてこちらの工房の品ではないかと思い、伺いましたの。もし私の勘違いでしたら、大変申し訳ありません!」
マガレットは自作の革押し帳を開き、大切に保管していた深紅の生地見本を男性へ提示した。
受け取った男性は、マガレットが指さした端切れを一目見るなり、驚愕に目を見開いた。
「……驚いたな。いまだにこの生地のサンプルを手元に残している者がいるとは。君はどこの工房の使いかね?」
「シュナイダー様という仕立て工房から伺いました。近くに劇場がある……」
「……確かにうちで染めた生地だ。だが、うちは一見さんや小さな工房へ小小分けに切り売りするような真似はしない。お引き取り願おう」
冷たく扉を閉められそうになり、マガレットは思わず叫んだ。
「待ってください! この赤でなければダメなんです! レヒ川の硬水で染めた赤では… この冷たい湖の水と、陰干しでしか作れない純粋な赤が必要なのです!」
マガレットの必死の訴えと、生地の製法まで正確に見抜いた言葉に、男性は驚いた。
「……なるほど……いいだろう、中に入りなさい」
男性は静かに扉を開き放つと、感心した様子で三人を作業場へと言い渡した。
◇
「うちはヴェバーという工房だ。シュナイダーさんの工房とは、先代のシルヴィアさんの時代に取引があったのだが……最近はすっかり途絶えていてね」
ヴェバーと名乗る主人は自己紹介を済ませると、三人を出荷前の生地が保管されている奥の棚へと案内した。
「これほど熱意を持った仕立て職人に会うのは久しぶりだよ。探しているのは、この生地だろう?」
ヴェバーが恭しく差し出したのは、吸い込まれそうなほど鮮やかな発色を誇る、滑らかな深紅の生地だった。
「これですわ! まさにこの生地です……なんて素晴らしい出来栄えでしょう……! ……あ、実は私、職人ではなくただの素人なのですが……」
あまりの美しさに目を奪われていたマガレットは、ハッと正気に返って頬を赤らめた。
「おや、そうなのか? これほどの知識と情熱を持ちながら職人ではないとは、なんとも勿体ない話だな。……それで、この生地はどれほどの尺が必要なんだ?」
マガレットは思い描く『椿姫』の衣装構想を夢中で語り始め、二人はプロ同士のように熱い議論を交わし始めた。
その様子をフェリシアとエーリヒは少し離れたところから見守った。
「……確かに、マガレット様は貴族でありながら服飾に関する知識と熱意が素晴らしいですわ。……修道院に行かれても、その経験が活かせるとよいのですが」
ふとフェリシアが溢した言葉に、エーリヒは少し目を見張った。 以前の彼女なら、他人の進路や感情にここまで心を寄せることはなかったはずだ。効率や理屈だけではない「誰かを案じる温かさ」が、今の彼女の横顔にはある。
「……君が、そんな風に他人の心配をするなんて珍しいな」
「……?? なにがおかしいのですか? 知識と技術を持つ女性は、相応に活躍されるべきだと言ったまでですわ」
フェリシアは心外だとばかりに首をかしげ、不思議そうな顔でエーリヒを見上げている。当の本人は、自分の中に芽生えた変化にまったく無自覚なのだ。
(……フェリシアが、人の未来を案じるようになるなんてな…)
口元にふっと柔らかい笑みを浮かべたエーリヒは、「……まあ、そういうことにしておこう」と静かに返した。
「なにか含みのある言い方ですわ、エーリヒ様」
「別に。ただ、いい変化だと思っただけだ」
納得いかない様子でじっと見つめてくるフェリシアの視線を、エーリヒは穏やかな苦笑いで受け止めた。
その時、ふと違和感を覚えたエーリヒが工房の窓に視線を向けた。木立の隙間に、一瞬だけ人の影が揺れた気がしたのだ。
(……? 誰か来たのだろうか……?)
しかし、窓辺に近づいて周囲を確認してみたものの、そこには静寂が広がるばかりで人の気配は消えていた。
エーリヒは怪訝そうに眉をひそめ、人知れず警戒の度合いを深めた。
フェリシアとエーリヒが他愛のない会話を交わしているうちに、商談を終えたマガレットが、満足感に満ちた晴れやかな表情で生地を抱えて戻ってきた。
三人はお礼を告げると、足早に馬車へと乗り込み、シュナイダー家の工房へと帰路についた。
◇
「ほ、本当に仕入れてきてくれたんだ……!」
手渡された生地を目にしたハンネスとシルヴィアは、思わず驚嘆の声を漏らした。
「ええ! 全てはフェリシアさんの素晴らしい地理の知識のおかげですわ! フェリシアさん、本当にありがとうございました!」
マガレットが心からの笑顔で感謝を伝えると、フェリシアは気恥ずかしそうに頬を染めつつ、嬉しそうに微笑み返した。
「さあ! 椿姫の衣装の続きに取りかかりますわね! 納期までに仕上げなければ!」
マガレットはすぐさま作業台に生地を広げ、生き生きとした手つきでハサミを握った。
「……やっぱり、フェリシアの地理の知識はすごいな」
エーリヒからも改めて称賛の言葉を掛けられ、彼女は照れたようにはにかみながら「ありがとうございます」と小さく頷いた。
二人がほっと一息つこうとしたその瞬間、シュナイダー工房の重い扉が、破らんばかりの勢いで激しく叩かれた。
「おっと、どなただろう? 見てくるよ」
ハンネスが作業を中断し、不審に思いながら入り口へと向かう。
扉の鍵を外した瞬間、外にいた男が無理やり扉を押し開けて室内へ上がり込み、怒声を引きつらせて叫んだ。
「マガレット・ランカスターはここにいるんだろう!! 結納金を返してもらおうか!!!」
「えっ……!?!?」
聞き覚えのある怒号に、マガレットは驚いて立ち上がった。
エーリヒは即座に危険を察知し、身を翻して不法侵入者の前に立ちはだかった。
「どちら様ですか? 人様の工房に無断で押し入るとは、あまりに不作法ですよ」
エーリヒは腰の剣鞘をさりげなく押さえ、冷徹な視線で男を牽制する。
「はッ! 貴族が平民の家に気を使う必要がどこにある! マガレットがこの建物に入っていくのを街で見かけたんだよ!! さっさとあの女を出せ!」
男が乱暴に掴みかかろうとしたため、エーリヒが静かに柄へ手をかけた——その時。
「——ティアゴ……?」
奥からおそるおそる姿を現したマガレットが、男の顔を見て息を呑んだ。
「やっぱりいやがったか、マガレット!! さっさと結納金を返せ!!」
ティアゴと呼ばれた元夫は、マガレットの姿を認めるやいなや、さらに激昂して怒鳴り散らした。
「……結納金? それは婚姻取り消しが成立した日に、父から貴方のお父様へ全額返還されたはずですわ!」
マガレットは毅然とした態度を取ろうとしながらも、声音を震わせて反論した。
「そんなもの俺は知らないね! 記録にも残っていない以上、払ってもらっていないのと同じだ!」
ティアゴがマガレットへ詰め寄ろうとするのを、エーリヒが素早い身のこなしで割り込み、強力な力で阻んだ。
「あぁ? なんだお前は?」
「マガレット様の旅の護衛を務めている者です。マガレット様に許可なく近づかないでいただきたい」
エーリヒは氷のように冷ややかな声を響かせ、一切の隙を与えずにティアゴを制止する。
「俺はあの無能な女に用があるんだよ!! おいマガレット! 今すぐ金を用意しろ!!! 払えないなら娼婦にでも何でもなって稼げ! どうせ不妊の出来損ないなんだ、それくらいしたって痛くも痒くもないだろう!!」
ティアゴの口から吐き出された最低の侮辱に、マガレットは衝撃のあまり言葉を失い、目から溢れ出る涙を流しながら激しく身体を震わせた。
そのあまりに苛烈な暴言に、横で聞いていたハンネスが激怒し、男を取り押さえようと前に飛び出そうとした——その瞬間。
「——おい。外へ出ろ。剣を抜け」
静寂を切り裂いたのは、地底から響くような、エーリヒの極限の怒りを孕んだ声だった。
「……あ? なんだお前、決闘でも申し込む気か? ハッ! いいぜ、受けて立ってやるよ。言っておくが、俺の剣術はそこらの兵士よりずっと強いからな!」
不敵な笑みを浮かべるティアゴを促し、エーリヒは静かに工房の外へと歩み出た。
マガレットたちも、生きた心地のしない表情で二人の後を追って屋外へと出た。
「……決闘と口にした以上、二言はないな?」
ニヤニヤと浅はかな笑みを浮かべるティアゴに対し、エーリヒは射殺すような冷眼で相手を睨みつけ、ゆっくりと抜刀した。
。
「……僕が勝ったら、マガレット様に謝罪してもらおうか」
ハラハラとした様子で見守るマガレットが、不安に耐えかねてフェリシアへ囁く。
「フェリシアさん、エーリヒさんは大丈夫かしら……? ティアゴはこれでも、剣術の腕だけはかなり立つ方なんですの……」
「……エーリヒ様なら、何の問題もありませんわ」
フェリシアは一切の動揺も見せず、淡々と応じた。
「王都の警備隊で、隊長を務められたお方ですから」
「……は? 警備隊、隊長……?」
ティアゴがフェリシアの言葉に驚き、わずかに集中を乱した——その刹那。
金属が打ち合わさる高い衝撃音が響いたかと思うと、ティアゴの手から剣が宙を舞い、次の瞬間にはエーリヒの刃が彼の喉元数ミリのの位置に突きつけられていた。
「……ね? 一瞬で終わりましたでしょう」
何が起きたのかすら理解できず、腰を抜かして硬直するティアゴを見下ろしながら、フェリシアはさも当然といった様子でつぶやいたのだった。
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