4-4.5 特別編:酒祭り
「ちょうど今、アウグスリンゲンでは『プレラー』が開催されているんだ。王都へ帰られる前に、衣装完成のお祝いも兼ねてみんなで行かないかい?」
ハンネスが弾んだ声で提案した。
「プレラー、ですか? どういった催しなのですの?」
聞いたことのない響きに、マガレットが不思議そうに首を傾げる。
「アウグスリンゲンで昔から親しまれている伝統の酒祭りですよ。春と秋の年に二回開催されるんだ。ちょうど今の時期は新麦の収穫期と重なるから、醸造されたばかりの特別なビールが盛大に振る舞われるのさ」
「まあ! なんて素晴らしいタイミングでしょう! 出来立てのビールなんて、絶対に美味しいに決まっていますわ!」
マガレットは目を輝かせ、二つ返事でノリノリになった。
「私もぜひ拝見してみたいですわ! この土地ならではのお祭りに参加できるなんて、またとない機会ですもの!」
フェリシアも初めて目にする伝統の祭典に、期待で胸を躍らせていた。
「実はね、うちの店にお祭り用の伝統衣装が置いてあるのよ。いつかお客様から頼まれていた試作品なんだけど……もしよかったら、これに着替えて出かけてみたらどうかしら?」
奥から色鮮やかな衣裳を抱えて戻ってきたシルヴィアが、魅力的な提案を出した。
「まあ! シルヴィアさん、ありがとうございます! フェリシアさん、さっそく着替えてみましょう!」
マガレットにぐいぐい手を引かれ、フェリシアは仕切りカーテンの奥へと消えていった。
◇
一足先にシルヴィアから渡された仕立て服に身を包んだエーリヒが、着替えを終えて更衣室から姿を現した。
胸元に控えめな刺繍が施された生成りのシャツに、足元には引き締まったスラックスを合わせている。普段の質実剛健な警備隊の装いとは打って変わり、服飾の街ならではの伝統と洗練さのある佇まいだった。
エーリヒが動きやすさを確かめるように腕を伸ばしていると、仕切りの向こうから着替えを済ませたフェリシアがおそるおそる出てきた。着慣れない衣装のせいか、彼女の頬はポッと赤らんでいる。
「……アウグスリンゲンの伝統衣装というのは、思いのほか胸元が広く開いているのですね……」
気恥ずかしそうに胸元を押さえるフェリシアを見て、シルヴィアがパッと表情を華やがせた。
「あらあ! なんて可愛らしいの! とってもよく似合っているわよ!」
駆け寄ったシルヴィアは、フェリシアの腰元に手を伸ばした。
「エプロンのリボンを結び直してあげるわね……結び目は右側でいいかしら?」
「右、ですか? 位置に何か特別な意味でもございますの?」
首を傾げるフェリシアに対し、シルヴィアは横に立つエーリヒへ意味ありげな視線を走らせると、「他の悪い虫が寄ってこないようにするための、素敵なおまじないよ」と悪戯っぽく微笑んだ。
「では、私は左側に結びますわね!」
マガレットが嬉しそうに左腰で結び目を作ろうとすると、すかさずハンネスが顔を赤らめながら声を上げた。
「ま、マガレットさんは……中央で結ぶのはどうでしょうか! 左に結んでいると、お酒の勢いで声をかけてくる不躾な連中が多いですから!」
「まあ! 確かに婚姻を解消したばかりですし、自分の状況は『秘密』ということにしておくのも粋ですわね!」
ハンネスの親心(?)混じりの助言を純粋に真に受けたマガレットは、素直に結び目を前中央へと変えた。
「……あの、リボンの位置に何か意味があるのですか?」
一人取り残されて首を傾げるエーリヒに、ハンネスがそっと、小声で耳打ちした。
「右は『パートナーあり』、左は『恋人募集中』、そして中央は『秘密』っていう伝統のサインなんだよ」
(……パートナー、あり……)
つまり、シルヴィアの計らいでフェリシアは「自分には決まった男がいる」という主張を掲げて歩くことになるのだ。その「男」が誰を指しているのかを嫌でも実感させられ、エーリヒの顔は一瞬で耳まで熱くなった。
◇
「ぷはーーーーっ! ひと仕事終えた後のビールは身体に染み渡りますわね!! 王都の格式ばった夜会ではこんな豪快な飲み方できませんから、本当に最高ですわーー!!」
マガレットが特大のビールジョッキをあっという間に飲み干し、間髪入れずに給仕へお代わりを注文する。
大賑わいのプレラー会場内、巨大な天幕の下に設えられた木製の半個室風テーブル席で、四人は乾杯を交わしていた。
「……マガレット様は、思いのほかお酒がお強いのですね」
すでに他の三人の倍以上のペースでジョッキを空けていくマガレットの飲みっぷりに、エーリヒは驚きを隠せない。
「こういう開放的な場所だからこそ、遠慮なく楽しめますの! もう嬉しくて堪りませんわ!」
「これからアウグスリンゲンに住まわれるなら、いつでも飲めますよ。今度落ち着いたら、僕の行きつけの美味しい酒場をお教えしますね」
ハンネスが目を細めて笑いかける。
豪快に杯を重ねるマガレットの横で、ふと見るとフェリシアがすでにテーブルへ突っ伏していた。
「……フェリシア、大丈夫かい?」
心配したエーリヒが、彼女の華奢な肩を優しく揺らす。
「……ここ数日、慣れない裁縫のお手伝いで柄にもなく集中しすぎてしまったようです……流石に疲れが溜まっていたのか、いつもより酔いが回るのが早いですわ……」
見上げつぶやくフェリシアの瞳はトロりと潤み、完全に出来上がっていた。
「フェリシアさん、お疲れでしたのに連れ出してしまって申し訳なかったわ……私、一緒に旅籠屋までお送りしましょうか?」
申し訳なさそうに身を乗り出すマガレットに対し、エーリヒが静かに立ち上がった。
「いえ、僕が旅籠屋まで送っていきます。外の護衛に周囲の警戒を引き継がせたら、フェリシアを侍女に預けてすぐ戻ってきますので」
「それなら安心だね。マガレットさんのことは僕が責任を持って見守っておくよ。フェリシアさん、無理せずお大事にね」
ハンネスが手を振り、皆に見送られながら、エーリヒは歩調の覚束ないフェリシアの肩をそっと抱き寄せ、爽やかな風が吹き抜ける街道へと連れ出した。
◇
「フェリシア、旅籠屋の部屋に着いたよ」
エーリヒは彼女を慎重に抱え上げると、部屋の柔らかいベッドへとゆっくり横たえた。
「うー……ん……」と気持ちよさそうに身をよじるフェリシアは、すっかり夢心地のようだ。
ふと、着崩れた衣装の開いた胸元に目が行き、エーリヒは跳ね上がる心臓を誤魔化すように慌てて視線を天井へと逸らした。
「……侍女を呼んで、水と着替えの手配をさせる。少しだけ待っていてくれ」
そう言い残し、エーリヒが足早に部屋の外へ出ようとした——まさにその瞬間。
「……エーリヒ様ぁ……」
不意に可憐な声で名前を呼ばれたかと思うと、フェリシアの細い腕が伸び、エーリヒの首元をギュッと引き寄せた。
予期せぬ力で体勢を崩したエーリヒの顔がそのまま吸い寄せられ——二人の唇が、熱を帯びたまま数秒間重なり合った。
「————っっっ!!!???」
一瞬、頭の中が真っ白になったエーリヒは、弾かれたように顔を跳ね上げた。
「ふふっ……」
当のフェリシアは満足そうに可憐な笑みを浮かべると、そのままスースーと規則正しい寝息を立てて爆睡してしまった。
あまりに衝撃的な甘い奇襲に、エーリヒは耐えきれず、すぐさま部屋の外の廊下へと飛び出した。
ドアが開いた音を聞きつけた侍女が入れ替わりで室内へ入り、フェリシアの身の回りの世話を始める。
一方、廊下に残されたエーリヒは、壁際に膝からへなへなと崩れ落ち、腕を組んで顔を突っ伏した。
(……あんなの、反則だろう……っ!!)
全身から噴き出すような熱気が駆け巡り、エーリヒの顔は耳の先端まで真っ赤に染まっていた。
当初の予定では、他の護衛をドア前に配置した後はすぐに会場へ戻り、マガレットたちの護衛を再開するつもりだったのだが——今の彼には、そんな余裕など微塵も残されていなかった。
(……あの泥酔ぶりじゃ、明日の朝には絶対に覚えていないだろうな……)
自分ばかりが翻弄されているという甘く切ない寂しさを胸に抱き、元警備隊隊長は一人、廊下で静かに身悶え続けるのだった。
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