4-1. 服飾の街
「改めまして、マガレット・ランカスターよ! よろしくね!」
列車のボックス席で向かいに座る女性は、弾けるような笑顔で自己紹介をした。
「こちらこそよろしくお願いいたします、マガレット様! ……それにしても、私、蒸気機関車というものに初めて乗りましたけれど……本当に素晴らしい速さですわ……!」
フェリシアは挨拶もそこそこに、目を輝かせて列車の窓に張り付いた。窓の外をものすごい勢いで流れていく田園風景をじっと見つめ、一人で興奮気味に言葉をまくし立てる。
「王都からアウグスリンゲンまでは南へおよそ100km……! 馬車なら丸三日以上かかる道のりが、この列車なら一日もかからないうちに到達してしまうなんて……! 」
「……あ、あの、エーリヒさん? フェリシアさんって、いつもこんな感じなの……?」
「...…ええ 。興味があることへの熱量が凄まじく。まあ、気にしないでください。…しかし、まさかランカスター伯爵から直々に旅の護衛依頼が来るとは思いませんでした」
エーリヒが思い出したかのように口を開いた。
「『年頃の娘を一人で旅に行かせるわけにもいかない。かといって、実家の警備を使えば妙な噂が立つ』って父が悩んでいたのよ。そこで、昔から取引のあるキルシュブルーム家に頼み込んだってわけ!」
マガレットはにこにこと経緯を説明する。だが、エーリヒは少しだけ首を傾げた。
「ですが……失礼ながら、なぜこのタイミングで一人旅を?」
「あれ? 子爵から聞いていないの? 実は私、この旅が終わったら修道院に入るのよ。……夫との間に子供ができなくてね。『一度もまともな婚姻関係は存在しなかった』なんて理由で追い出されちゃったの。実家は優しいけれど、やっぱり居づらくってね」
「あっ……」
エーリヒがバツの悪い顔をして息を呑むと、マガレットは「気にしないで!」と明るく手を振った。
「修道院行き自体は覚悟を決めているの。でも、一度入っちゃったら自由なんてないじゃない? だからその前に、ずっと行ってみたかったアウグスリンゲンに行ってみたかったのよ!」
悲痛な過去とは裏腹に、憧れの街へ向かうマガレットの瞳は期待に満ちあふれていた。
「アウグスリンゲンは歴史ある繊維と染物の街ですわ。数多くの腕利き職人が集う美しい場所だと聞いております。マガレット様はどんなご用事なのですか?」
「噂通り、本当に地理に詳しいのねぇ! あなたを旅のお供に指名して本当によかったわ。実はね、昔裁縫に夢中だった頃、縫製の手法についてアウグスリンゲンの方と手紙でやりとりしていたの!」
マガレットは大切そうに、カバンから一束の古びた手紙を取り出した。
「もし叶うなら、その方にお会いしてお礼を言いたくて……。いろんなことを教えていただいたから」
手紙の束を見つめる彼女の横顔には、深い愛おしさが滲んでいた。
「手紙に記載された住所から場所はすぐに特定できますわ。アウグスリンゲンに到着したらさっそく探してみましょう」
フェリシアの力強い提案に、マガレットの表情がパッと一層輝いた。
(……レオンのあの宣戦布告以来、彼がやたらとキルシュブルーム家に顔を出すようになって内心生きた心地がしなかったんだよな。こうしてフェリシアと遠出できるのは、正直ありがたい……)
向かいで微笑み合う二人を優しい瞳で見つめながら、エーリヒは密かに安堵の息を漏らすのだった。
◇
緑豊かな牧草地を抜けると、南の空には雄大なアルプス山脈の山々が聳え立っていた。
王都から列車に揺られ、汽笛の音とともに列車はついにアウグスリンゲンの街へと滑り込む。
車窓からは、街を流れる川の風景が見えていた。川沿いにはいくつもの巨大な水車が連なり、その傍らに建ち並ぶ小屋からは、職人らしき人々が忙しなく出入りしている。
「アウグスリンゲンは繊維産業も盛んです。あのように川の上流から下流にかけて水車と作業小屋を配置し、羊毛や生地の洗浄、そして染色を行っているのですわ」
窓の外を指さしながら、フェリシアが活き活きとした声で解説を加える。
「すごいわ……こんなにも多くの方が服飾に携わっていらっしゃるのね」
目の前に広がる職人街の活気に、マガレットは深く感心したように呟いた。
アウグスリンゲンの中央駅に到着した三人は、すぐに乗合馬車を手配し、目的地の工房へと向かった。
「マガレット様が文通されていた方のお住まいは、街なかにあるようです。仕立て職人は織物や染色の職人とは異なり、人通りの多い市街地に店を構えるのが一般的ですから」
フェリシアは膝の上に広げた地図と手紙を交互に見比べながら、目的の工房の所在地を探っていく。
川沿いの無骨な職人街とは打って変わり、市街地は色鮮やかな建物が立ち並び、窓辺には華やかな花々が飾られていた。街の至るところに趣向を凝らした看板が掲げられ、ショーウィンドウの向こうには仕立て上がったばかりの優美なドレスが展示されている。
「街の中も仕立て屋さんがたくさんあるのね……本当に、街全体が服飾とともに生きているんだわ」
初めて目にする華やかな街並みに、マガレットは胸の高鳴りを抑えきれない様子で目を輝かせた。
しかし、目的の住所に辿り着いたところで、馬車は足を止めた。
「住所だと、このあたりのはずなのですが……」
「明かりも灯っていないし、物音ひとつ聞こえないな。人が生活している気配すら感じられないが……」
馬車を降りたフェリシアとエーリヒが周囲を見渡すが、目的の建物には看板すら掲げられておらず、静まり返っていた。
「もう何十年も前のことですものね……もしかしたら、もう店をお辞めになってしまったのかもしれませんわ……」
期待が大きかった分、マガレットの表情には隠しきれない寂しさが陰る。
「マガレット様、その手紙を少し拝見してもよろしいでしょうか。もしかすると、他へ移転された手掛かりが残されているかもしれません」
フェリシアはマガレットから受け取った古い手紙に目を通し、そこに記された当時の生活描写を丁寧に拾い上げていった。
「……『今日は家の近くで行われるオペラの衣装の仕立てをしました』……『友人が先日、新しい織り方の生地を作成したと聞いて、家の近くだったので見に行きました』……なるほど」
一通り読み終えると、フェリシアは地図を開き、川のラインを指でなぞり始めた。
「その文章から、何かお分かりになりましたの……?」
不思議そうに尋ねるマガレットに、フェリシアは自信に満ちた笑みを向ける。
「アウグスリンゲンでは、川の上流と下流で作業工程が明確に分かれているのです。上流は主に綺麗な水を必要とする織物の工程、下流は匂いや染料を流すための染色工房が集まっています。手紙にある『新しい織り方の生地』の見学に行けたということは、その友人の工房は川の上流にあったはずです」
フェリシアの指先が、地図の川上へと滑っていく。
「さらに『家の近くで行われるオペラ』という記述。オペラが上演される格式高い劇場があり、かつ川の上流に近い地域となると……アウグスリンゲンの中でも、この周辺しか存在しませんわ」
彼女が指し示したのは、中心街の賑わいから少し外れた、川の上流に位置する静かな区画だった。
「まあ……そんな些細な文章から場所を特定してしまうなんて凄いわ!」
手紙の行間から真相を解き明かしたフェリシアの地理解読能力に、マガレットは心底感心したように声を上げた。
「文通相手のお名前は分かっていらっしゃるのですよね? 近くまで行けば、聞き込みで詳しい場所が特定できるかもしれません」
エーリヒに促され、マガレットは今一度、手紙の差出人欄を確認する。
「ええ、シルヴィア・シュナイダーという方よ。どうか無事にお会いできればいいのだけれど」
三人は再び馬車に乗り込み、賑やかな中心街を抜けて川の上流へと向かった。進むにつれて街並みはのどかな田園風景へと変わり、ぽつりぽつりと家々が点在する落ち着いた景色へと移り変わっていく。
「このあたりが劇場の近くですわ。通りがかりの方に尋ねてみましょう。……エーリヒ様、お願いいたします!」
頼もしげな視線を向けられ、エーリヒは苦笑いを浮かべた。相変わらず人見知りの彼女は、こういう時に必ず自分を頼ってくる。馬車を降りたエーリヒは、通りかかった住民たちにシルヴィア・シュナイダーの行方を尋ねて回った。
何人かに声をかけた末、「シルヴィアさんの工房なら、あの林を抜けた先にある家だよ」という貴重な証言を得ることができた。
指示された通り馬車を林の奥へと進めると、木立を抜けた先の静謐な風景の中に、佇む一軒の家が現れた。軒先に掲げられた控えめな看板には、確かに『仕立て屋 シュナイダー』と刻まれている。
「……ここかもしれませんわね」
馬車から降りたフェリシアが、念を押すように看板を見上げた。
「私が先に降りて、様子を確認してきましょうか?」
気遣うエーリヒの提案を制し、マガレットは意を決したようにドレスの裾を持ち上げて馬車を降りた。
「ドキドキしますけれど……ここはやっぱり、私が最初に行くべきですわ。行きますわね!」
不安と期待が入り混じる表情を浮かべながらも、マガレットはまっすぐに扉へと歩み寄り、静かにドアノッカーを鳴らした。
しばらく返事はなかったが、やがて奥からバタバタと慌ただしい足音が近づき、重い扉が開いた。
「えっと……仕立てのご依頼でしょうか? すみません、ただいま当店は一見さんお断りとなっておりまして……」
顔を出したのは、二十代後半ほどの若い男性だった。
年配の女性が出てくるものと思い込んでいたマガレットは、予期せぬ事態に思わず目を丸くする。
「いえ……依頼ではなく……あの、昔、シルヴィア・シュナイダー様とお手紙で仕立ての交流をさせていただいていた者です。今日はこちらで彼女にお会いしたく伺ったのですが……」
マガレットが戸惑いながらも事情を明かすと、青年は呆気にとられたように目を見開いた。
束の間、静寂がその場を包み込み、やがて青年はおもむろに口を開いた。
「……その名前は、私の母です。もしかしてあなたが、マガレットさんですか?」
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