3-7. 三枚の連作絵の謎
「彼の絵一枚が売れるだけで、男爵家に並ぶほどの資産になるだと……!?」
エーリヒからセドリックの作品の市場価格を聞かされたシャルタン男爵は、驚愕のあまり大きく取り乱していた。
「もしかすると、あなたのご令嬢が最近持ち帰られた絵こそ、レオンが捜索していた最後の一枚かもしれません。直接確認させていただくことは叶いませんでしょうか?」
事の重大さを察した男爵は、しばらく腕を組んで重い沈黙を守っていたが、やがて腹を決めたように息を吐いた。
「……良いだろう。君たちも同席するという条件で、エミリーとの面会を許可しよう」
その頃、別の場所で待機していたフェリシアもまた、エミリーから聞き出した最後の一枚の存在について、駆けつけたレオンへ速やかに説明を終えていた。
男爵の許可を得た四人は、応接室へと案内された。
やがて扉が静かに開き、 最後の一枚の絵と共にエミリーが姿を現した。
「……セドリック」
愛おしさと切なさが入り混じった眼差しで、彼女はぽつりと呟いた。
「うわっ! 本当にあったぜ……最後の一枚が……!」
感極まったレオンが、泣き出しそうな笑顔で声を上げる。彼は持ち込んでいた残りの二枚を素早く壁際へ並べた。三枚の絵が合わさった瞬間、ストラスブルクの三本の川と街並みを見渡す、息をのむほど壮大な一枚の景色が完成した。
「……三枚揃うと、圧巻だな」
エーリヒがその圧倒的な美しさに感嘆の声を漏らす。
「おい、セドリック。お膳立てはしてやったぞ」
レオンがセドリックの背中を力強く押した。
「ああ……ありがとう、レオン殿」
震える声で礼を言うと、セドリックは意を決したようにエミリーの前へ歩み出た。
「エミリー、婚約おめでとう……。僕の絵を愛してくれて、本当にありがとう。君の励ましがあったから、僕は今日まで絵を描き続けることができたんだ。本当に……心から感謝している」
セドリックは目に溢れんばかりの涙を溜めながら、深く頭を下げた。
「……セドリックは、それで満足なのですか?」
今にも泣き出しそうな瞳で、エミリーが彼を見つめる。
「……君と僕とは身分が違う…。君は僕の大切なファンだった。ありがとう」
言葉を選びながら、静かに伝えるセドリック。これ以上直接的な想いを口にすれば、彼女の立場を損ねてしまうと分かっていたからだ。
二人の間に流れる、身分差ゆえの悲しい別れの空気。
応接室全体が切ない静寂に包まれ、豪快なレオンすらも言葉を詰まらせていた、その時——。
「あの、よろしいかしら?」
静寂を切り裂いたのは、感動の空気に全くそぐわない、どこか呑気で探究心に満ちたフェリシアの声だった。
フェリシアは二人の悲恋などハナから目に入っていない様子で、三枚の絵の前に歩み寄ると、空の部分をジッと指差した。
「ボルマン家に絵があったときから気になっていたのですけれど、この部分、妙に絵の具の層が厚くありません? 昔このようなギミックの効いた絵を見たことがあります。描いた絵の上に薄い蜜蝋を塗って、さらにその上から絵を描くのです。そうするとこのように暑い層ができます。一見すると油絵特有の厚塗りのようにも見えるのですが、ヘラなどで掘り返してみると下に隠された絵が出てくるのです。ねえセドリック様、ここには何が隠されているのでしょうか?」
「フェ、フェリシア!? 君はまたこんな場面で空気の読めないことを……!」
エーリヒが額を押さえ、慌てて制止しようとする。
フェリシアの突飛な説明に、部屋にいた者たちは言葉を失って静まり返った。セドリックだけが、自分の秘密を暴かれて耳まで真っ赤に染めている。
その様子を見たエミリーは、ハッと目を見開いた。
「あなた! 何か平たくて硬い道具を持ってきてちょうだい!」
エミリーが叫ぶようにメイドへ指示を出す。
「あ、あの絵に刃物を立てて大丈夫なのかい!?」
エーリヒが驚いて尋ねるが、エミリーは力強く言い放った。
「私が……! 残りの二枚の絵も買い取りますわ! この一枚の分もお支払いをいたしますから!」
固い決意を秘めたエミリーの手へ、メイドから小さなナイフが手渡された。エミリーは絵の具の厚い部分に慎重に刃先を滑らせる。
パラパラと乾いた絵の具が剥がれ落ち、フェリシアの指摘通り、下から塗り込められていた文字が露わになっていく。フェリシアはその様子を、目を輝かせて身を乗り出し見守っていた。
——削り取られた下に現れたのは、一筋の筆文字。
愛しのエミリーへ
その文字を目にした瞬間、エミリーの瞳から大粒の涙が溢れ落ちた。 彼女がすぐさま二枚目の厚み部分にもナイフを入れようとした、その時——。
「……待ってくれ!」
セドリックが顔を真っ赤にしながらも、部屋中に響く大きな声で叫んだ。
「……やっぱり、自分の口から伝えるよ。エミリー、君が好きだ! 身分は違うし、今の僕は貧乏だけれど……君とずっと一緒にいたいんだ!」
セドリックはまっすぐにエミリーと向き合い、溢れる想いを言葉にした。
「セドリック……!」
エミリーは引き寄せられるように歩み寄り、彼の胸元へ顔を埋めた。動揺して手のやり場を失っていたセドリックだったが、覚悟を決めたように、そっと彼女の頭を優しく撫でた。
「…っ!いい話じゃねぇか!俺の実家も叩き上げで登りつめたんだ。ダメなのかよ!セドリックじゃ!やっぱり貴族は政略結婚なのか!」
レオンが目頭を押さえながら悪態をつく。 そこへ、部屋の外で様子を窺っていたシャルタン男爵が、複雑な表情で歩み寄ってきた。
「エミリー……ストラスブルクから戻って以来ずっと塞ぎ込んでいたから、まさかとは思っていたが……」
「お父様…!」
男爵は深く腕を組み、重苦しく考え込んでいた。
「私は……君は王都の格式ある貴族に嫁ぐ方が幸せになれると考えていたのだが……」
男爵の眼差しが、寄り添う二人へと向けられる。 セドリックは一瞬躊躇したものの、意を決して男爵の視線を正面から受け止め、頭を下げた。
「……正直に申し上げます! ここへ来る前、僕はエミリーに相応しい男になろうとして大きな借金を背負ってしまいました。ですが、生活を立て直し、必ず早急に返済して安定した基盤を作ります! ですから……エミリー嬢との交際を許してください!」
部屋の中に再びピリピリとした緊迫した沈黙が走る。
その沈黙を破ったのは、静かに前に出たエーリヒだった。
「シャルタン男爵。彼は単に愚かな借金をしたのではありません。愛するお嬢様を想い、己の身一つで成り上がろうとした情熱ゆえの過ちです。そして今、彼の卓越した才能には、今日夜会にいたファンの方々、またボルマン商会の商才がつき、皆が将来性に期待を寄せております 」
エーリヒの毅然とした言葉に、男爵は険しい表情を緩めた。
「……条件がある。一つ、借金を早急に完済すること。二つ、二人で暮らしていけるだけの確かな資金力を証明してみせること。それまでは、エミリーの婚約の話は保留にしておこう」
「「……っ!」」
セドリックとエミリーの表情が、ぱっと明るい歓喜に包まれた。 そして男爵はレオンへと向き直ると、礼儀正しく頭を下げた。
「ボルマン殿。ぜひ君の力で、彼の才能を最大限にプロデュースしてはいただけないだろうか? 君の先ほどの演出と説得力には驚かされた。絵画の輸送を含め、全面的にバックアップを頼みたい。もちろん、我が家からもそれ相応の報酬を用意しよう」
男爵からの直接の依頼——それは商人としてこの上ない絶好の取引だった。
「ぜひ! やらせてください! ボルマン商会の名にかけて、最高の利益と評価を出してみせますよ!」
レオンは誇らしげに胸を張って答えたのだった。
◇
夜が明けた早朝、フェリシア、エーリヒ、レオンの三人はカールストゥールの街を後にした。晴れやかな笑顔で見送るセドリックとエミリーの姿が、遠ざかる馬車の車窓から小さくなっていく。
静かに揺れる馬車の中で、「これで良かったんだな」とエーリヒが窓の外の風景を見やりながら呟いた。その隣には、連日の疲労からか、眠たそうにしているフェリシアの可憐な姿があった。
◇
「結局さ、あのあとエミリーが勝手に持ち出した最後の一枚の代金をセドリックに渡したら、その金で借金なんて一発で返済しちまったよ!」
後日、無事に王都へ戻ったレオンはキルシュブルーム家の屋敷を訪れ、満足そうに事の顛末を語っていた。
「夜会のあと、別のパトロン貴族が彼の新作と過去作の権利をまとめて買ってくれてさー! いやー、大儲けさせてもらったわ! セドリックやシャルタン家との太いコネもできたし、これからもウハウハですわ!」
大げさに身振り手振りを交えて笑うレオン。
「エミリーとセドリックは、今、王都に滞在しているのだろう? 次の個展が王都で開かれると聞いたが……順調なんだね」
エーリヒが確認すると、レオンは「個展のプロデュースも俺だからな!」と自慢げに胸を張った。
フェリシアといえば、二人についての後日談には特に興味を示さず、上の空で優雅にお茶を楽しんでいた。
「っと……フェリシア、悪かったな! あんなにお前の地理知識をバカにしていたのに、今回は本当に助かったぜ。お前がいなかったら、この件は絶対に解決できなかった……心から感謝するよ」
突然レオンから真摯に感謝を伝えられ、フェリシアは驚いてパチパチと目を瞬かせた。しかしすぐに、少し頬を赤らめながら「どういたしまして」と微笑んだ。
心中で地理知識を褒められたことを喜ぶフェリシア。その素直で愛らしい横顔を、レオンはじっと意味深な眼差しで見つめていた。
お茶会が終わり、屋敷の玄関先で帰り際、エーリヒはレオンに呼び止められた。
「なあ、お前たち、まだ婚約の段階だよな? なら……俺が入る隙くらい、まだ残ってるよな?」
「……それは、どういう…」
「俺とフェリシアがタッグを組んだら、もっと商会を大きくできる! 俺にはフェリシアのあの頭脳が必要なんだ!」
「は……はぁ!?」
「フェリシアにアタックして、絶対に振り向かせてやるから覚悟しとけよ!」
爽やかな笑顔で堂々と宣誓布告をして去っていくレオン。突然のライバル宣言に理解が追いつかないエーリヒだったが、去っていく彼の真っ直ぐな背中を見つめるうちに、胸の奥へ不吉で確かな焦りが芽生えるのを覚えるのだった。
第三話エピソード、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
少しでも「面白かった!」「フェリシアの地理オタクぶりが好き」「続編が読みたい!」と思っていただけましたら、作品ページ下部より【評価(★5)】や【ブックマーク登録】をいただけますと、大変大きな執筆の糧になります。
改めまして、お付き合いいただき本当にありがとうございました!




