3-6. レオンの策略
「実は、ストラスブルクを描いた三枚の絵は……借金を借りる際の担保として金貸しに手渡してしまって、今どこで誰の手に渡っているのか、僕にも分からないんだ……」
カールストゥールの旅籠屋でレオンと合流し、旅籠屋のラウンジで今までの経緯を彼にも話した。そして最も知りたかった「三枚目の絵」の所在についてセドリックが口にしたのは、そんな身も蓋もない結末だった。
「そんなことだろうと思ったけどよぉ……」
レオンは肘を膝につき、頭を抱えて深々と深く溜息を吐いた。
「なるほど、それで三枚のうち二枚が、競りを経てレオンの手に渡ったというわけですわね」
絵の出どころが判明し、フェリシアはひとり納得したように頷く。
「……セドリック殿、どうしてそこまでの借金を重ねてしまったんだい? 君は新進気鋭の売れっ子画家だろう? なぜそれほどの大金が必要だったんだ?」
エーリヒの素朴な疑問に、セドリックは絞り出すような声で答えた。
「……エミリーに婚約の話が持ち上がっていると知って……大金さえ持っていれば、僕でも彼女と正式に婚約できるんじゃないかと思ったんだ。でも、甘かった。貴族の婚姻は政略だ……平民の僕がいくらお金を積んだところで、門前払いされるだけだと悟ったよ。借りた金は、彼女を追ってカールストゥールに滞在するための費用で消えてしまった。絵を描いて稼げばよかったのに、エミリーに会いたい一心で……そんな心の余裕すらなかったんだ……」
セドリックは消え入りそうな声でうなだれた。
しばらく不機嫌そうに黙り込んでいたレオンだったが、不意に顔を上げると、商人らしい悪巧みの笑みを浮かべていた。
「……なぁセドリック、明日、エミリー嬢がいるシャルタン家で夜会があるんだ。十中八九、彼女も顔を出すはずだ。そこで提案がある。彼女と会わせる機会を作ってやるかわりに、お前、三枚目の絵をもう一度描き上げろ」
思いがけない申し出に、セドリックは動揺して目を白黒させた。
「で、でも……僕、こんなみすぼらしい格好だし、夜会に出るための礼服を仕立てるお金だって……」
「絵を描くと約束するなら、夜会の服もそれまでの滞在費も工面してやる。その代わり、夜会のときは絶対俺に話を合わせろ!いいな!?そうしたらエミリー嬢と絶対合わせてやる」
レオンの圧倒的な気迫に気圧されながらも、セドリックはこれが千載一遇のチャンスだと悟り、意思を固めた。
「最高の名案が浮かんだぜ! エーリヒ、フェリシアと一緒にセドリックの夜会服を選んできてくれ! 費用はこれだけありゃ足りるだろ! 俺は夜会の仕込みがあるから、一足先にシャルタン家に行ってくる! 」
手際よく金貨の詰まった袋を押し付けると、レオンは疾風のようにラウンジを飛び出していった。残された三人は呆然と顔を見合わせたものの、受け取った金で仕立屋と髪結いへ向かい、セドリックの身なりを徹底的に整えることにした。
◇
「おー! 先生も身だしなみを整えりゃ、どこぞの若手貴族に見えるじゃねぇか!」
夜会直前、戻ってきたレオンが感心したように声を上げた。髪を切り揃え、髭を綺麗に剃り落とし、上質な夜会服に身を包んだセドリックは、見違えるほど凛々しい青年に生まれ変わっていた。
「そういえばレオン、シャルタン家へ向かって何を仕込んできたんだい?」
エーリヒが尋ねると、レオンは不敵にニヤリと笑うばかりで、「それは会場でのお楽しみだ」とはぐらかされた。
夜会会場へ向かう馬車の中で、レオンが本日の作戦を一同に説明する。
「今日の夜会で俺とセドリックで会場の人を惹きつける。その人だかりで必ずエミリーは現れるはずだ!肖像画でエミリーの顔は見たよな?フェリシアとエーリヒは彼女を捕まえてくれ!人目を忍んでセドリックと合流させる。 以上!」
自信満々に胸を張るレオンに対し、フェリシアは呆れ顔で扇を弄んだ。
「エミリー様は婚約前ゆえ、男性を近づけないよう厳重に保護されているとお聞きしましたけれど? 本当にうまくいくのかしら」
「フェリシア、こういう時に商人がなんて言うか知ってるか?」
「なんですの?」
「なんとかなる!!」
根拠のない大口にフェリシアは溜息を吐いたが、なぜかエーリヒは、彼の力強い言葉通りに事が運ぶような不思議な予感を抱いていた。
馬車はすぐさま夜会会場であるシャルタン男爵本邸へと到着した。フェリシアはエーリヒにエスコートされ、優雅にエントランスをくぐる。
背後では、レオンが従者に何やら布で固く包まれた巨大な荷物を運ばせており、その後にガチガチに緊張したセドリックが続いていた。
会場内には、今年収穫された果実に感謝を捧げる新酒の香りが満ち満ちていた。カールストゥールは葡萄だけでなく黒さくらんぼの栽培でも名高く、ワインからリキュールまで色とりどりのグラスが交わされている。
会場の雰囲気が熟した頃合いを見計らい、 レオンが大きめな声で会場にいる人たちにセドリックを紹介し始めた。
「皆様! 本日はこの会場に、今王都で最も入手困難と謳われる若手新鋭画家、セドリック・ルーミス先生をお招きしております! 彼の個展が開かれれば作品は即座に完売。本日は特別に、画言本人とその奇跡の作品をお持ちいたしました!」
レオンの煽り文句に、周囲の貴族たちが「まあ、あのセドリック様!?」「彼の絵のファンですの!」と瞬く間に群がり、セドリックたちの周りはあっという間に人山ができた。
「……作品?」
フェリシアが眉をひそめて呟いた、その瞬間。
「ここに、彼の不完全な二枚の絵がございます!」
レオンが不敵な笑みを浮かべ、布を劇的に引き剥がした。そこに現れたのは、ボルマン家でフェリシアたちが拝見した、あの二枚の風景画だった。
「不完全とはどういうことだ?」と周囲がざわつき始める。その雑音を制するように、レオンが滑らかに口上を叩きつけた。
「この絵は本来、三枚でひとつの壮大な風景を成す連作でした! しかし不運にも、流通の過程で最後の一枚が失われてしまったのです。故にこれは不完全! ——ですが! なんとセドリック先生自らが、失われた最後の一枚を復元いたします!今この二枚をご購入された方は、最後の一枚が完成する奇跡の瞬間を見届ける権利を得られるのです! もちろん、ボルマン商会の名誉にかけて本物の消えた三枚目も捜索し続けます! 見つかった暁には、最優先購入権をお約束いたしましょう! 」
なんとレオンはあえて欠陥品(不完全)として売り出し、絵が完成していくプロセスそのものを体験価値として高値で売る――レオンの常識破りな商法に、会場のボルテージは最高潮に達した。不完全な絵を一目見ようと客が押し寄せ、破格の値を提示するコレクターまで現れ始めている。
「……仕込んできた良いこととは、この演出のことだったのか。恐れ入ったな、大した商人だ 」
エーリヒが感心したように呟く。
その時、騒ぎを聞きつけたように会場の奥から一人の女性が姿を現した。小柄だが背筋の伸びた凛とした佇まい、澄んだ瞳――間違いなく、セドリックの部屋に残されていた肖像画の主、エミリー・シャルタンだった。
「エーリヒ様!」
フェリシアが視線で合図を送る。人だかりへ押し寄せる客の波に逆らい、フェリシアが密かにエミリーへ接近を開始した。しかし、エミリーの傍らにはシャルタン男爵と思われる厳格そうな壮年の男性が寄り添っている。
エーリヒはエミリーの確保をフェリシアに目配せで託すと、自ら男爵の前に進み出た。
「初めまして、シャルタン男爵。あちらで客を集めておりますボルマン商会、ならびに画家殿のお連れとして参加させていただきました。王都に籍を置くアシュフォード子爵家が次男、エーリヒと申します」
「これは……アシュフォード子爵様。初めまして。王家を支える武家の誉れ高き御門葉の方が、このような遠方へ一体どのようなご用件で……?」
男爵が訝しげに尋ねると、エーリヒは事前に用意していた社交用の仮面を被り、涼やかな笑みを浮かべた。
「実は私の婚約者の実家も商いを営んでおりまして、あのセドリック殿の作品の調査に同行していたのです。彼の絵は現在、王都で飛ぶように売れておりましてね。失われた三枚目の絵がこの地方に流れ着いたという噂を耳にし、捜索の途上でこの夜会に与かった次第です」
嘘は一切ついていない。エーリヒが堂々とした態度で男爵の意識を引きつけている間に、フェリシアはすっと影のようにエミリーの横へと滑り込み、彼女を男爵の死角へと誘い出すことに成功した。
「あの画家にそれほどの価値が……? なんと。エミリーが最近手に入れていたあの絵も、もしや……」
エーリヒと話し合いながら、シャルタン男爵が喉の奥で呟いた。
(……エミリー嬢が、最近セドリックの絵を購入した……?)
エーリヒはその呟きを逃さず、心の中で静かに繋がった事実に目を見張った。
◇
「初めまして、エミリー・シャルタン様とお見受けいたします。私、フェリシア・キルシュブルームと申します」
人混みの影で、フェリシアが優雅にお辞儀をした。
「ええ……そうですけれど。私になにか御用でしょうか?」
見知らぬ令嬢の接近に、エミリーが警戒するように眉を寄せる。
「セドリック・ルーミス様の件で、少しお話ししたいことがございますの。今、よろしいかしら?」
「セっ……セドリック……!? どうして、彼のお名前を……?」
セドリックの名が出た瞬間、エミリーの顔から血の気が引き、動揺で肩が震えた。
「私たち、彼を追ってストラスブルクまで参りましたの。彼のアパートであなたのお美しい肖像画を拝見いたしましたわ。本来は三枚の連作絵画を追っていたのですが……あなたなら何かご存じかと思いまして」
「あ……あの絵は……っ!」
エミリーはキュッと唇を噛み締め、気まずそうに視線を落とした。そして、意を決したように消え入りそうな声で白状した。
「……勝手に持ち出しちゃったの!! あんなに高価で大事なものだなんて知らなくて……! ごめんなさい……っ!」
「……はい?」
あまりに予想外な方向からの告白に、フェリシアは優雅な笑みのまま固まり、ぽかんと目を丸くするしかなかった。
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