第2話 見ただけ
その夜も、姉の蒼翠が蒼汰のベッドで添い寝をしていた。
また、出たのだ。
昨日と全く同じように。
どろりとした恐怖が部屋に満ち、指先一つ動かせない金縛りの中、それは確かにそこに『在った』。
そして悲鳴をあげて、また姉に慰められたのだ。
翌日。
容赦なく照りつける真夏の太陽と共に、幼馴染の月乃が蒼汰の自宅へとやってきた。
目的は恒例行事である夏休みの宿題だ。
幼い頃から、二人はこの儀式を夏休みに欠かしたことはない。
互いの親同士が飲み仲間であり、酔うたびに「もう付き合っちゃえば?」「いっそ結婚してくれたら親としては楽なんだけどな」などと好き勝手に囃し立てる。
それが互いに腹立たしく、妙な意地もあって「絶対に付き合うことなどない」と反発し合っていた。
しかし――今日の月乃は、少し様子が違った。
ふんわりとしたシルエットの薄い青色のフレアスカート。
そこから伸びる、日焼けした健康的な太もも。
蒼汰の視線は、どうしてもそこに吸い寄せられてしまう。
(落ち着け、俺。相手は月乃だぞ)
ドクン、ドクンとうるさい心臓の鼓動をどうにか打ち消そうとするが、どうしても目が離せない。
「えへへ、気になる? やっぱりかわいいでしょう?」
月乃がスカートの裾をふわりと揺らし、悪戯っぽく笑いかけてきた。
「昨日、つくばイオンで買ってきたばかりなんだ」
「あ、ああ……うん。かわいいん、じゃないか?」
動揺を隠しきれない蒼汰の反応を見て、月乃は内心で小さくガッツポーズをした。
彼が照れているのが手に取るようにわかる。
チラチラと自分の足元へ視線が落ちているのも……。
蒼汰は、客観的に見てかっこいい部類に入る。
一年生にして県南トップクラスと名高いバスケ部のレギュラー候補であり、中学時代は全国大会にも出場した実力者だ。
179センチの高身長に、人当たりの良い性格。
女子の間でもクラスで一、二を争う人気がある。
クラスメイトからは「夫婦」と揶揄されるほどの距離感。
だが、だからこそ『幼馴染の壁』を突破できないのがもどかしい。
月乃は、蒼汰が好きだ。
けれど、そんなこと絶対に言えるはずがなかった。
甘酸っぱい空気を断ち切るように、蒼汰が重々しい手つきで机の上に『それ』を置いた。
「……何、それ?」
月乃が眉をひそめる。
それは、土にまみれた古い木片だった。
表面には黒々とした漆が塗られているが、所々剥げ落ちている。
元の形が何であったのかすら判然としない……不気味な気配を放っていた。
「これを見つけたのは……二日前だ」
蒼汰の声音はひどく沈んでいた。
部活のランニング中、ふと視界に入ったこと。
それから二日連続で、夜に『出た』こと。
夜、女の下半身だけが現れること。
(さすがに、怖くて姉ちゃんに添い寝してもらったことは言えないが……)
蒼汰の話を聞き終えた月乃は、ぷっと吹き出した。
「あははっ!何それ、このエロ!エロガッパ! ……そんなに女の子の下半身が気になるお年頃なの?」
からかうように笑う月乃だったが、蒼汰の顔に笑みはない。
その目は、切実な恐怖に血走っていた。
「月乃……冗談じゃないんだ。本当に出るんだよ。来週には新レギュラーの発表があるのに……怖くて、夜もまともに寝られないんだ」
蒼汰のただならぬ様子に、月乃もようやく笑いを収めた。
「……マジなの?で、そのキーホルダーみたいな木片。あ、多分根付……?漆が塗られてるし……形が何だかわからないけど、関係ありそうなの?」
「これを見つけた日から出た。直感的に、あそこに放置したままじゃダメだと思って、翌日持ち帰ってきたんだ。でも、やっぱり出た」
「アンタねぇ……」
月乃は呆れたようにため息をついた。
「『呪物』って言葉知らないの?持ってきたらアウト。まあ、無理に捨てたりしてもアウトなやつだよ。どうするのさ」
「誰か別の人間に渡すとか……警察に届けるとか?」
「アニメとかだと、そういうことした途端に死ぬパターンじゃない?」
「マジかぁ……俺、どうすりゃいいんだよ」
頭を抱える蒼汰を見て、月乃は少し意地悪く、ニヤニヤと笑いながら言った。
「しょうがないなぁ。私、一緒に寝てあげようか?」
「ば、バカ言うなよ! 女と一緒に寝れるわけが……俺が、その、なんかしたらどうするんだよ!」
カッと顔を赤くする蒼汰。
「何かするの?ふーん」
月乃は余裕ぶった態度で肩をすくめる。
「今日からお盆だから部活は休みでしょ?うちのママも仕事休めるわけないし。ママに話したら、数日お泊まりするのだって『いいよ』って言うよ、きっと。あおちゃん(蒼汰の姉)だっているんでしょ?」
「ああ……いるよ。お盆の後半から合宿だって言ってたけど。ウチの部は顧問が法事で、今年の合宿は夏休みの最後になったしな」
「ふーん、私は合宿ないな。弱小すぎて合宿すら組んでもらえないしね」
月乃はクスクスと笑うが、その実、心臓は早鐘を打っていた。
(蒼汰の家に、お泊まり……!)
二人はそれぞれの親に、トークアプリ『ガストン』で連絡を入れた。
すぐに蒼汰のスマホが鳴る。
『ちょうど良かった! おばあちゃんの具合がよくないから、お父さんとしばらく秋田に行くことになったの。お盆でチケット取れなくて困ってたんだけど、これで安心ね。まあ帯状疱疹だから死にはしないんだけどさ。蒼翠にお金渡しておくから、留守番よろしくね!』
蒼汰はがっくりと項垂れた。
「……息子が『女をうちに泊める』って言ってるのに、何の心配も無いんだな、うちの親……」
ほどなくして、月乃のスマホにも母から返信が来た。
『じゃあ、私は帰り遅くなるからしばらく泊まっておいで。どうせアンタたち結婚するんだろ?』
画面を覗き込んだ蒼汰が再び赤面し、月乃もボンッと音を立てて顔を真っ赤にした。
「ば、バカじゃないの、あの母親……! はぁ……心配なんて百億光年の彼方だわ……。じゃあ、着替えとお泊まりセット持ってくる!」
月乃は誤魔化すように立ち上がると、ウキウキとした足取りで自宅へと帰っていった。
自転車で三分ほどの距離である。
夕食時。
蒼汰は目を白黒させていた。
見慣れた自宅のキッチンに、エプロン姿の月乃が立ち、唐揚げを揚げている。
その横で、姉の蒼翠がポテトサラダを作っているという、なんとも非日常的な光景。
「きゃっ!?」
「うわっ!」
ボッ、と音を立てて油が噴火し、女子二人が揃って悲鳴を上げて逃げ惑う。
その危なっかしい手つきにおののきながら、蒼汰はそっとスマホを握りしめ、いつでも119番通報できる準備だけは整えておいた。
だが、完成した料理の味は確かだった。
「うまい! 月乃、これすげぇ美味いよ」
「ふふふ、そうでしょう? ママに惣菜売り場の味付けのコツ、教えてもらってるからね!」
得意げに胸を張る月乃に、蒼汰は素直に感心した。
結婚しても食事は困らない……続いて自然に湧いてきた、恐ろしい雑念に首を振って対抗した。
そんな二人を、姉の蒼翠がニヤニヤと見つめる。
「で?そろそろ今回のお泊まりイベントの理由、教えてよ。ついに両親公認のカップルになったの?ねえ、お布団はどこに敷くの?まさか私の部屋じゃないわよねぇ、ツッキー?」
おかしそうに笑う姉に、「バッ、やめろ! そんなんじゃない!」と蒼汰は慌てて否定した。
「そんな事より……毎晩、霊が出るって話、しただろ? 月乃がそれを見るって言い出して……」
「へぇ……私も見たい」
蒼翠の目が、好奇心にキラリと光った。
「本気かよ、姉ちゃん……」
「まあ……若いお二人が二人きりになりたいのを、お邪魔するのでなければね?」
「えっ! 楽しそう! じゃあみんなで寝よう!」
月乃の一声で、蒼汰が口を挟む間もなく、わちゃわちゃと女子二人の会話だけで今夜の寝場所の取り決めがまとまってしまった。
結局、蒼汰が自分のダブルサイズのベッドを女子二人に明け渡すことになった。
六畳半の部屋にダブルベッドは明らかに邪魔だったが、179センチの大きな体を収めるためには仕方がなかったのだ。
父親が家具屋でブツブツ文句を言いながら買ってくれたのを思い出す。
蒼汰は床に客用の布団を敷いた。
電気を消し、暗闇の中……三人で他愛のない幼い頃の思い出を語り合う。
人の気配がすぐそばにある安心感からか、蒼汰もいつしか自然と深い眠りに落ちていった。
――4時03分。
異変は、唐突に訪れた。
(……動か、ない)
蒼汰は絶望的な金縛りに見舞われていた。
目だけは動くが、どれだけ力を振り絞っても指先一つ動かせない。
昨日、一昨日と続いた『あれ』だ。
一時間なのか、二時間なのか……時間の感覚すら狂っていく。
そして、それは不意に空間から滲み出るように現れた。
――モンペ姿の、下半身。
上半身は、無い。
古びた布地から覗く足は……無惨にも、もげていた。
足首から下は、刃物で綺麗に切断されたようなものではない。
引きちぎられたように骨が露出し、赤黒い血に染まったピンク色の肉が、びらん状にめくれ上がっている。
ピタ、ピタ……。
蒼汰の頬に、生温かい血液が垂れ落ちる。
叫ぼうにも口が動かない。
「ヒュー、ヒュー」と、引きつった空気が喉の奥から鳴る音だけが室内に響く。
部屋全体にかかる、圧倒的で暴力的な重圧。
本能が「これ以上見てはいけない」と最大級の警鐘を鳴らしている。
その時だった。
「「――きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」」
鼓膜を劈くような悲鳴が上がった。
ドサッ! と鈍い音を立てて、顔面を真っ青にした月乃と蒼翠が、ベッドから転げ落ちてきた。
「か……かな……金縛りが……っ!」
「下半身……!かはんしんが……天井にぃぃっ!」
結局、三人は一睡もできないまま夜明けを迎えた。
――朝六時。
家中のすべての照明を煌々とつけ、青白い顔のままダイニングテーブルを囲んで朝食を始める。
「ねぇ、ソータ。あれ……いや、ごめんなさい。あの子が、毎晩出るの……?」
月乃の声はまだ微かに震えていた。
「そうだよ……。今回で、もう3回目だ」
「ソウクン……寝ぼけてたんじゃ無いのね、あれ……」
蒼翠の顔は蒼白に沈んでいる。
「そうだよ……。いいよ、もう二人とも……分かっただろ?多分……これから毎日出るんだ。こんなの、寝れるわけないだろ?」
「そもそも、出るきっかけは何なの?」
姉の問いに、蒼汰はあの忌まわしい木片を見つめた。
「この木片が……部活のランニング中に、視界に入ったんだ」
「それを見つけて、持ち帰ったから出たって事?」
「違うんだよ……!見ただけでその日の夜に出たんだ……」
蒼汰は首を横に振った。
「だから、わざわざ取りに行って持ち帰ってきたんだ。……あそこに放置したままじゃ、いけないって気がしてさ……」
その言葉に、月乃がハッと顔を上げた。
「ねえ、あおちゃん……。ダメだよ。ソータ、今言ってたでしょう? 『視界に入った』って……」
「ええ……。じゃあ……」
「木片の場所は関係なく、見ただけで出るってことだよ。私たちも……一人で自分の部屋で寝るの試してみる?」
月乃の推測に、室内は水を打ったように静まり返った。
「……そうかもな」
蒼汰がポツリとこぼす。
「今夜から……三人で固まって寝るしか無いじゃない! しかもこれ……下手に捨てたり、誰かにあげたりしたら……!」
「アニメとかゲームだと、確実に死にフラグだよな……」
蒼汰の呟きが、セミの鳴き声が響き始めた夏の朝の空気に、ひどく虚しく溶けていった。




