87_自分を触媒として使う。
ある時期まで、私は作品制作というのは『自分』の中から何かを捻り出すことだと考えていました。
ただこの考え方だと、いずれどこかで『自分が枯渇するのでは』という恐怖がつきまといます。作品をどんどん出していくことは、自分の中にあるアイディアを急速に消費していくことであり、だったら1つ1つのアイディアを大切にしなくてはいけないのではないか、と。
今は違う考え方をしています。
作品制作をする上で脳が果たしている役割は『触媒作用』なのではないか、と。
見たり聞いたり読んだりした情報が、私の脳の中で何らかの変化や合成がなされた上で出力されたもの──それが作品なのではないだろうか、というのが今の私の考え方です。
そう考えるなら、作品の数をこなすことはあまり恐るべきことだとは言えません。あくまで加工され消費されているのは『見たり聞いたり読んだりした情報』なわけですから、それが足りなくなったら新しく情報を追加していけばいいだけです。自分が直接経験するにせよ、本などの資料で調査するにせよ、手間は必要ですが少なくとも何をすれば作品が書けるのかは非常に明確です。
この考え方に変えてから私は、作品制作が怖くなくなりました。自分を消費する行動ではないと信じられるようになったからです。
とはいえ、現実問題時間と労力を消費することはたしか。時間の消費が激しくなれば肝心のインプット量にも響いてきそうだし、考えなしに多産するのも自分の首をしめることになりそうではあります。
インプットの確保は必ず必要なわけですから、よきバランスを模索したいところです。




