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全てを奪われたヒロインは転生悪女に復讐する  作者: 鈴木べにこ


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8.地獄の落ちた先〜過去6〜

 その日から。


 リリア達の地獄が始まった。



「次、入れ。」



 無機質な声。


 ガチャリと扉が開く。


 控室へ顔を覗かせた男は、怯えるエミリアを見てニヤニヤと笑った。



「今日は貴族様のお相手だ。機嫌損ねんなよ?」



 エミリアの肩がビクリと震える。



「・・・はい。」



 掠れた声だった。


 まだ娼館へ来て数日しか経っていない。


 なのに、もうエミリアの瞳から光は消えかけていた。


 リリアはそんな母の袖をぎゅっと掴む。



「お母さん。」



 エミリアは振り返る。


 そして無理やり笑った。



「大丈夫よ。」



 その笑顔が、あまりにも苦しそうで。


 リリアは胸が締め付けられた。



「でも・・・。」


「リリアはここで待っててね。」



 優しく頭を撫でられる。


 その手は冷たかった。


 扉が閉まる。


 リリアは一人、狭くて暗い控室へ残された。


 酒臭い空気。湿った壁。遠くから聞こえてくる男達の笑い声。


 そしてーー



「っ・・・あ・・・!」



 母の苦しそうな声。


 リリアはビクリと肩を震わせた。


 聞きたくない。


 でも耳を塞いでも聞こえてしまう。



「や、やめ・・・っ!」



 男達の下品な笑い声。


 何かが倒れる音。


 苦しそうな息遣い。


 リリアは耳を押さえ、膝を抱えた。



「やだよ・・・。」



 涙がぽろぽろ落ちる。



「お母さん・・・。」



 どれくらい経ったのか分からない。


 数時間後。


 扉が開いた。



「ほらよ。」



 乱暴に押し込まれるようにエミリアが戻ってくる。



「お母さん!!」



 リリアは慌てて駆け寄った。


 エミリアは床へ崩れ落ちる。


 ドレスは乱れ、肩は露出し、白い肌には赤黒い痣が無数についていた。


 首筋には噛み跡。


 唇は切れて血が滲んでいる。



「いや・・・・っ!」



 リリアの顔が青ざめる。


 エミリアは苦しそうに息を吐きながら、それでも娘へ笑おうとした。



「だい・・・じょうぶ・・・。」


「全然大丈夫じゃない!!」



 リリアは泣きながら桶に水を汲んだ。


 そして震える手で母の身体を拭く。


 肌に触れるたび、エミリアは小さく呻いた。



「ごめんなさい!ごめんなさい!」



 涙が止まらない。



「私のせいで・・・!」


「違うわ。」



 エミリアは弱々しく首を振る。



「リリアは・・・悪くない・・・。」


「でも私が学園で・・・っ!」


「違う。」



 エミリアは必死に娘の手を握った。



「貴女は何も悪くないの。」



 その声は震えていた。


 けれど母だけは、最後までそう言い続けた。



 だが、娼館に情けなど存在しない。



「今日は客が多い。」



 オーナーが煙草を吸いながら言った。



「休憩無しで回せ。」



 エミリアの顔が強張る。



「ま、待ってください・・・昨日から熱が・・・。」


「だからなんだ?」



 オーナーは鼻で笑った。



「働けねぇなら娘を出すぞ。」



 その瞬間。


 エミリアは青ざめた。


 リリアも恐怖で身体を震わせる。



「やめて・・・!」


「なら働け。」



 冷たい声。


 エミリアは俯いた。



「・・・分かりました。」



 その日。


 エミリアは十人もの客を取らされた。


 深夜。


 戻ってきた母は歩く事すらできなかった。



「お母さん!!」



 リリアが支える。


 エミリアの身体は熱かった。


 息も荒い。



「ごほっ、ごほっ!!」



 激しく咳き込む。


 床へ血が落ちた。



「血・・・。」



 リリアの顔から血の気が引く。



「お医者さん呼ばなきゃ!」


「無駄だよ。」



 近くの娼婦が呟いた。



「ここじゃ病気になった奴は捨てられるだけ。」



 リリアは震えた。


 怖かった。


 この場所が。


 人間達が。


 全部。


 



 それからの日々。


 リリアは毎日、母の身体を拭いた。


 客を取らされて帰ってくる度に。


 痣だらけの身体を。血の滲む肌を。震える身体を。



「痛い?」


「平気よ。」


「嘘。」



 リリアは泣きながら薬を塗る。



「なんでこんな・・・。」



 エミリアは何も答えない。


 ただ娘の頭を撫でる。


 その手はどんどん痩せ細っていった。





 数ヶ月後。


 エミリアは明らかに壊れ始めていた。


 ぼんやり天井を見る事が増えた。


 笑わなくなった。


 客が来るたび、小さく震える。



「お母さん・・・。」


「リリア。」



 ある夜。


 エミリアは娘を抱き締めた。



「もしお母さんがいなくなっても・・・・・。」


「やめて!!」


 リリアは泣きながら叫ぶ。


「そんな事言わないで!!」


「・・・ごめんね。」



 エミリアは苦しそうに笑った。



「貴女を守りたかっただけなの。」



 リリアは首を振る。



「やだ・・・。」


 怖かった。


 母までいなくなったら。


 本当に一人になってしまう。





 そして一年後。


 娼館で病が流行り始めた。


 最初は一人の娼婦だった。


 高熱を出し、血を吐いて死んだ。


 次の日には二人。


 三人。


 客達まで倒れ始める。



「なんだこの病気!?」

「うつるぞ!!」

「逃げろ!!」



 娼館は大混乱になった。


 そんな中。



「・・・エミリアから広がったらしい。」



 誰かが呟いた。


 リリアは目を見開く。



「え・・・?」


「アイツ最初から咳してただろ。」

「最悪。」

「ふざけんなよ!!」



 罵声が飛ぶ。


 だがエミリアはもう起き上がれなかった。


 高熱で苦しみながら、浅い呼吸を繰り返している。



「お母さん!!」



 リリアは必死に看病した。


 水を飲ませ。


 額を冷やし。


 手を握る。


 でも、何も良くならない。



「お医者さん……!」



 誰も来ない。


 皆、自分が逃げる事しか考えていなかった。




 数日後。


 娼館は閉鎖された。


 病人達を置き去りにして。




 静まり返った娼館。


 もう笑い声も怒鳴り声も無い。


 あるのは腐臭だけ。



「・・・お母さん。」



 ベッドの上。


 エミリアは静かに横たわっていた。


 目を閉じたまま。


 もう動かない。



「お母さん・・・?」



 返事は無い。


 リリアは震える手で母に触れる。


 冷たい。



「やだ・・・。」



 涙が溢れる。



「起きてよ。」



 肩を揺する。



「お願いだから・・・!」



 でも。


 何も返ってこない。



「いやぁぁぁぁぁっ!!」



 リリアの悲鳴だけが、静かな娼館へ響いた。





 静まり返った娼館。


 かつて男達の笑い声や酒臭い怒鳴り声で満ちていた建物は、今では死人の匂いしかしなかった。


 腐臭。


 カビ臭さ。


 乾いた血の臭い。


 そして。


 死。


 リリアはその天井裏の一室で膝を抱えていた。


 痩せ細った身体。


 ボロボロの服。


 手入れされなくなった長いピンクの髪は埃と汚れで絡まり、かつて宝石のようだった瞳は濁っている。


 もう笑わなくなってどれくらい経ったのだろう。


 泣き疲れて、涙すら枯れ果てた。



「・・・・・。」



 汚れたベッドの上。


 そこにはエミリアの亡骸がある。


 本当なら埋葬してあげたかった。


 綺麗な花を添えて。


 優しかった母へ、ありがとうと言いたかった。


 でも。


 リリアにはそんな力も金も無かった。


 だからせめて近くに置いていた。


 一人にしたくなかった。



「お母さん。」



 返事は無い。


 分かっている。


 もう返ってこない。



「許さない。」



 その瞳に宿ったのは憎悪だった。


 底なしの。


 真っ黒な憎悪。



「許さない許さない許さない。」



 ぶつぶつ呟く。


 壊れた人形みたいに。



「カテリーナ。ライアス。ルイス。アルベルト。セドリック。ノア。みんな。」



 学園で笑っていた奴等。


 石を投げた奴等。


 母を追い詰めた奴等。


 全員。


 許さない。

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