66.ライアスルート3〜過去から未来12〜
その様子を少し離れた場所から見ていたライアスは、安心したように静かに息を吐いた。
今のところ問題は起きていない。
リリアも楽しそうだ。
その事実に少しだけ安心する。
笑顔のリリアを見ると、自然とライアスの口元も緩んだ。
だが、次の瞬間。
ライアスの表情が曇る。
カテリーナがいない。
婚約者であるはずのカテリーナの姿が、会場のどこにも見当たらなかった。
ライアスは周囲を見渡す。
やはりいない。
胸の奥に嫌な予感が広がった。
前世の記憶。
乙女ゲームの中でカテリーナが婚約破棄され、国外追放された理由。
それは――
リリアに毒を盛ろうとしたことだった。
もちろん今のカテリーナが同じことをするとは限らない。
だが。
もし何か企んでいるとしたら。
もしリリアに危害を加えようとしているのだとしたら。
ライアスは無意識に拳を握り締めた。
絶対に誰にもリリアを傷付けさせない。
ライアスは周囲に気付かれないよう、注意深くリリアとその周辺を監視し続けた。
そしてその頃。
会場の外では――。
誰にも見つからないように行動する、1人の令嬢の姿があった。
パーティー会場から少し離れた暗い通路。
人目のない場所で、カテリーナは一人の男と向かい合っていた。
その顔には、いつもの優雅な令嬢の笑みはない。
代わりに浮かんでいるのは、狂気に近い執念だった。
「このナイフであの女を刺すのよ。」
カテリーナは懐から一本の短剣を取り出した。
鈍く光る刃。
その表面には黒紫色の液体が塗られている。
「毒も塗ってあるわ。」
男の目が細くなる。
「少しでもかすれば終わりよ!」
カテリーナは嗤った。
「確実にあの世行き!」
男は無言でナイフを受け取り、懐へしまう。
そして頷いた。
「分かった。」
その返事を聞いたカテリーナは満足そうに微笑む。
「あの女さえいなくなれば。」
その目に憎悪が宿る。
「全て元通りになるのよ。」
そして、高らかに笑った。
「アーハッハッハッハ!」
その頃。
パーティー会場では。
ライアスがずっとリリアの周囲を警戒していた。
リリアはアルベルトと楽しそうに踊っている。
心から楽しんでいるようだった。
その姿を見て少しだけ安心する。
だが、ライアスの胸騒ぎは消えない。
その時だった。
人混みの中を、一人の男が早足で歩いている。
真っ直ぐ迷いなく、リリア達へ向かって。
ライアスの背筋に悪寒が走る。
嫌な予感がした。
気付けば足が動いていた。
リリア達へ向かって駆け出す。
男がリリアとアルベルトの背後へ到達する。
その瞬間、男の懐から何かが覗いた。
キラリと光ったナイフだ。
ライアスの瞳が見開かれる。
「危ない!!」
叫ぶ。
男がナイフを振り上げた。
「死ね!!リリア・ナーシアス!!」
リリアとアルベルトが振り返る。
だが遅い。
アルベルトも咄嗟にリリアを庇おうとする。
しかし間に合わない。
次の瞬間。
ライアスが飛び込んだ。
リリアを抱き寄せる。
そして。
グサリ。
ライアスの背中に鋭い激痛が走った。
「ぐっ……!」
ナイフが深く突き刺さる。
ライアスの身体が大きく揺れた。
その直後、セドリックが犯人へ飛び掛かる。
「てめぇ!!」
騎士達も駆けつける。
男はあっという間に取り押さえられた。
だが、ライアスはその場に崩れ落ちた。
うつ伏せに倒れる。
「ライアス様!!」
リリアが悲鳴を上げた。
慌てて駆け寄る。
血。
背中から大量の血が流れていた。
傷口が黒く変色していた。
「ライアス様!!」
リリアは必死に身体を揺する。
反応が弱い。
アルベルトが膝をついた。
「ライアス!直ぐ治してやるからな!」
治癒魔法を展開する。
眩い光が傷を包む。
だが、傷が塞がらない。
アルベルトの顔色が変わった。
「何故だ!?」
さらに魔力を流し込む。
「傷が塞がらない!」
アルベルトの額に汗が滲む。
「まさか特殊な毒か!?」
リリアの顔が真っ青になる。
「治せないんですか……?」
震える声。
アルベルトは歯を食いしばった。
「毒によっては難しい!」
さらに魔力を注ぐ。
「だからって諦めてたまるか!!」
その時。
「きゃああああああああ!!」
会場に悲鳴が響いた。
全員が振り返る。
そこには、顔面蒼白のカテリーナ。
「何でライアスがぁ!!」
叫んでいた。
「あの男にはあの女を狙えって言ったのに!!」
会場中が沈黙。
「毒まで塗ったのに!!」
さらに叫ぶ。
「ライアスが死んじゃうじゃない!!」
会場が凍り付いた。
カテリーナ自身も気付いていない。
完全な自白だった。
騎士達が一斉に動く。
「確保しろ!」
カテリーナは取り押さえられた。
「違う!!」離しなさい!!」
叫ぶ。
だがもう遅い。
ノアがカテリーナの懐を調べる。
しかし。
「解毒薬らしき物は持っていません……。」
ノアは下を俯いた。。
絶望。
その言葉に全員の顔色が変わる。
ライアスの顔色はどんどん白くなっていた。
「ライアス!!」
アルベルトが叫ぶ。
リリアは震える手でライアスの手を握った。
涙が止まらない。
「ライアス様・・・。」
声が震える。
「ライアス様はいくつ私に返せないほどの恩を作るんですか・・・。」
ぽろぽろと涙が零れる。
「死んだらお礼返せないじゃないですか。」
ライアスの手を強く握る。
「王子様のライアス様に言うのはおこがましいですけど・・・。」
涙が止まらない。
「ライアス様は私の大切な人の中の1人なんです。」
嗚咽を堪えながら。
「だから、死んだら嫌です。」
ライアスの手をさらに強く握る。
「お願い、死なないで・・・。」
その瞬間だった。
リリアの身体から。
淡いピンク色の光が溢れ出した。
優しい光。
暖かな光。
それはゆっくりとライアスを包み込む。
会場中が光に満たされた。
そして少しずつ、ライアスの背中の傷が塞がり始める。
黒ずんでいた傷口が消える。
血が止まる。
青白かった顔色が戻る。
そして、ライアスがゆっくり目を開いた。
「・・・あれ?」
会場中が息を呑む。
「俺・・・。」
ライアスがリリアを見る。
そこには滝のように泣いているリリアがいた。
「よかったぁぁぁぁぁ!!」
ライアスは慌てた。
「ど、どうしたんだ!?」
状況が分からない。
アルベルトが肩へ腕を回した。
「とりあえず。お礼言っとけ。」
ライアスは首を傾げる。
「ありがとう?リリアさん?」
次の瞬間。
会場中から盛大な拍手が起きた。
「奇跡だ!」
「神の御業だ!」
「助かった!」
誰もが口々に叫ぶ。
ライアスは困惑しながらも。
大泣きするリリアの頭を優しく撫でた。
「あんまり覚えてないけど。」
苦笑する。
「泣かせてごめん。」
リリアは涙を拭いながら睨んだ。
「ほんとですよ!もうあんな思いはごめんですからね!」
ライアスは少し笑った。
「ああ、分かった。」
こうして新入生歓迎パーティーは幕を閉じた。
だが、カテリーナという大きな問題だけは、まだ終わっていなかったのだった。
捜査はすぐに進んだ。
カテリーナの侍女が秘密裏に特殊な毒を購入していたこと。
そしてライアスを刺した男の証言。
全てが一致した。
首謀者はカテリーナ・ヴァレンティア。
疑う余地はなかった。
当然ながらライアスとの婚約は正式に破棄された。
さらに王族暗殺未遂という重大な罪により、カテリーナには国外追放が言い渡される。
その追放先はアルバルガよりもさらに厳しい辺境の小国だった。
その小国の伯爵家に嫁ぐ予定だという。
そして、ヴァレンティア公爵家は2人続けて国外追放者を出した責任を問われ、公爵位を剥奪。
伯爵へと降格された。
かつて王国最高位の貴族だった家は、一気にその地位を失ったのである。
パーティーから一週間後。
王城地下にある貴族牢。
そこには一人の令嬢がいた。
カテリーナだった。
薄暗い牢の中。
壁にもたれかかりながら、鉄格子の向こうに見える小さな月を眺めている。
もはや以前の華やかな姿はない。
疲れ切った顔。
虚ろな瞳。
それでもどこか気品だけは残っていた。
「カテリーナ。」
聞き慣れた声に顔を上げる。
鉄格子の向こうにはライアスが立っていた。
「・・・ライアス様。」
カテリーナは小さく笑った。
その笑みには自嘲が混じっている。
静かに口を開く。
「ねぇ、言った通りになったでしょう?」
ライアスは何も言わない。
「あの女は私から全部奪った。」
「違う。」
即座に返ってきた言葉。
カテリーナは目を細めた。
「カテリーナ。」
声が重い。
「君がこうなったのはリリアさんのせいじゃない。」
「じゃあ誰のせいですの?」
「俺だ。」
カテリーナが目を瞬いた。
「俺がもっと早く話すべきだった。」
「何を?」
ライアスは少しだけ目を閉じる。
そして、覚悟を決めたように口を開いた。
「俺には前世の記憶がある。」
沈黙。
「・・・・・は?」
カテリーナの表情が固まる。
「前世?」
「ああ。」
ライアスは静かに頷いた。
「前世でも君は乙女ゲームに囚われていた。」
「・・・・。」
「そして俺もそれを信じた。」
カテリーナの瞳が揺れる。
ライアスは続けた。
「俺達はリリアさんを追い詰めた。」
「・・・・・。」
「怒らせてはいけない人を怒らせた。」
「・・・・・。」
「その結果、復讐された。全てを奪われたよ。」
カテリーナの指が震え始める。
「君は娼館へ送られた。」
カテリーナの顔色が変わった。
「俺は処刑された。」
「処刑・・・?」
「息子を守るためにな。」
牢の中が静まり返る。
カテリーナはしばらく言葉を失っていた。
やがて、震える声で尋ねる。
「本当・・・ですの?」
「ああ。」
ライアスは頷く。
「本当だ。」
ライアスは悔しそうに拳を握った。
「もっと早く話すべきだった。」
「・・・・・。」
「信じてもらえないと思った。ごめん。」
カテリーナは呆然としていた。
しばらくして、ふと口を開く。
「ライアス様。」
「なんだ。」
「私のこと、好きではありませんでしたわよね。」
ライアスは目を伏せた。
「……ああ。」
否定しなかった。
「むしろ嫌っていましたでしょう?」
「・・・・・。」
ライアスは何も言えない。
それが答えだった。
カテリーナは小さく笑う。
「分かっていましたわ。私だって馬鹿ではありませんもの。」
寂しそうな笑み。
「では何故。」
カテリーナは真っ直ぐライアスを見る。
「何故あんなに私に優しくしてくださったのですか?」
ライアスはしばらく黙った。
そして。
「ライアンだ。」
カテリーナが目を見開く。
「ライアン?」
「前世で君との間に生まれた息子だ。」
声が震える。
「俺の全てだった。」
「・・・・・全て。」
「今も。」
ライアスの目から涙が零れた。
「もう一度会いたかった。もう一度父親になりたかった。」
涙が溢れる目でカテリーナを見た。
「それだけだった。」
カテリーナは何も言えなかった。
ライアン。
前世で存在した息子。
この未来では存在しない事が確定した子。
二人の選択によって失われた未来。
「じゃあ。」
カテリーナが力なく笑う。
「私のせいで、そのライアンには永遠に会えなくなったのですね。」
ライアスは黙った。
長い沈黙の後。
「・・・違う、2人のせいだ。」
小さく答える。
「残念だ。」
ライアスは袖で涙を強引に拭った。
「本当に馬鹿でしたわね。」
カテリーナはぽつりと呟く。
「今更ですけれど。」
天井を見上げる。
「乙女ゲームなんて気にしなければよかった。」
笑う。
乾いた笑いだった。
「好きに生きればよかった。」
だけど綺麗な顔で笑っていた。
「だって、ヒロインなんて気にしなくても、王太子妃になれて息子も生まれたのに。」
ライアスは止めていたのに、自分の選択で全て失った。
涙が零れる。
「乙女ゲームなんて。大嫌いですわ。」
カテリーナは乙女ゲームの呪縛からやっと解き放たれた。
だが、全てが遅かった。
「あはは……。」
カテリーナは笑う。
「あはははは……。」
悲しい笑い声が牢の中に響く。
ライアスはその姿を見つめた。
もう何も言えなかった。
もう遅い。
失ったものは戻らない。
そしてライアスは踵を返す。
「さようなら、カテリーナ。」
返事はなかった。
ただ、牢の奥から聞こえる悲しい笑い声だけが、いつまでも響いていた。




