16.頭を過ぎるのは〜王太子1〜
王太子執務室。
その机の上に積まれているのは祝賀の手紙と書類ではない。
税収減少。物価高騰。地方飢饉。商会撤退。騎士不足。
そんな暗い報告書ばかりだった。
「・・・はぁ。」
ライアス・ルヴェルハイトは疲れ切った顔で椅子へ深く腰掛けた。
金髪碧眼。誰もが見惚れる美貌。
だが最近、その顔から余裕が消えている。
「殿下。北部からの税収報告です。」
従者が差し出した紙を見て、ライアスは眉を寄せた。
「・・・また減ったのか。」
「はい。」
「日照りの影響もあり。」
ライアスは苛立たしげに机を叩く。
最近、何もかも上手くいかない。
商人は減る。輸入は止まる。民の不満は増える。
しかも、カテリーナとの関係まで少しずつ悪化していた。
「・・・・・。」
昔は違った。
カテリーナは何でも知っていた。
未来を見通すみたいに。
新しい発明。
流行。
問題の回避。
全て彼女が導いてくれた。
だからライアスは信じていた、彼女こそ運命の相手なのだと。
だが最近は違う。
『最近、新しい案は無いのか?』
『そんな簡単に思いつく訳ないでしょ!?』
『いや、だが前は——』
『前前うるさいわね!!』
ヒステリックに怒鳴られた。
最近のカテリーナは余裕が無い。
焦っている。
そして、何故かライアスを見る目も少しずつ変わっていた。
「・・・・・。」
ライアスは目を閉じる。
そして、不意に脳裏へ浮かぶ。
ピンク色の髪。
泣きそうな顔。
『どうしてですか・・・?』
リリア・ナーシアス。
学園で皆から嫌われていた少女。
「・・・・・。」
もし、カテリーナが言っていた事が起きていたなら。
『乙女ゲーム』
『ヒロイン』
『攻略』
『カテリーナの破滅』
もし本当にその通りになったなら。
自分は、リリアへ惹かれていたのだろうか。
カテリーナを捨てて。
あの少女をーー
「・・・ありえないか。」
ライアスは自嘲気味に笑う。
「俺は何を考えているんだ。今更、あんな女の事を・・・。」
その時だった。
バンッ!!
勢いよく扉が開いた。
「ライアス様!!」
「ノア?」
飛び込んできたのはノアだった。
息を切らしている。
「何事だ。」
「最近の物流停止・・・帝国の仕業です。」
空気が変わる。
「何?」
「裏で王国とのやり取りを止めてる。商人達にも圧力を掛けてるんです。」
「理由は。」
「分かりません。」
ノアは険しい顔で言った。
「ですが、商人達はこう言うんです。」
『お前達は、一体誰を怒らせたんだ。』
ライアスの眉が寄る。
「誰を怒らせた?」
「僕にも分かりません。ですが異常です。」
ノアが続けようとした。
その瞬間。
再び扉が乱暴に開かれた。
「ライアス!!」
「セドリック?」
辺境騎士団長セドリックだった。
だが様子がおかしい。
顔には怒りが浮かんでいる。
いや。
それ以上だった。
「誰だ。」
低い声。
「リリアを娼館に送った奴は。」
一瞬、部屋の空気が止まった。
「・・・は?」
ライアスは目を見開く。
「何を言っている。」
「とぼけるな!!」
セドリックが机を叩いた。
「リリアは追放後、娼館送りにされてたんだぞ!!」
「なっ・・・。」
ライアスの顔色が変わる。
知らない。
本当に知らない。
学園追放後の事など聞いていない。
「待て。どういう事だ。」
「帝国の男から聞いた。」
「リリアは娼館送りにされたってな。」
ライアスの頭が真っ白になる。
リリアが。
娼館?
あの少女が?
『私、何もしてないのに・・・。』
泣いていた顔が脳裏を過る。
「・・・誰が。」
ライアスの声が低くなる。
「誰がそんな事をした。」
セドリックは険しい顔で周囲を見る。
「俺は知らない。」
「だがお前達の誰かだ。」
「ふざけるな!そんな命令はしていない!!」
ライアスが怒鳴る。
すると。
ずっと黙っていたノアが、小さく口を開いた。
「・・・多分。」
「何だ。」
ノアは気まずそうに目を逸らした。
「ルイス、です。」
「・・・は?」
セドリックの顔が歪む。
「お前。」
「知ってたのか?」
「確証は無かったんです!!」
ノアが叫ぶ。
「でも追放後、ルイスだけ妙に動いてたんだ!!」
「貴様ァ!!」
セドリックがノアの襟を掴む。
「知ってて黙ってたのか!!」
「ぐっ・・・!」
「やめろ!!」
ライアスが二人を引き離した。
だが、ライアス自身の顔も怒りに染まっていた。
ルイス。
カテリーナの弟。
ずっと自分達と共にいた少年。
確かにあいつはリリアを異常に嫌っていた。
『姉上を傷付けるなら許しません!!』
何度もそう言っていた。
ライアスの拳が震える。
もし本当にルイスがやったのなら。
「今すぐ呼べ。」
低い声。
「今すぐルイスをここへ連れて来い!!」
部屋の空気は最悪だった。
誰も喋らない。
ただ重苦しい沈黙だけが流れる。
そしてライアスの脳裏には。
ずっと。
泣きながら助けを求めていた、ピンク髪の少女の顔が焼き付いていた。
しばらくしてーー
重苦しい沈黙が部屋を支配していた。
ライアス、ノア、セドリック。
そして呼び出されたカテリーナとルイス。
「・・・何の用ですの?」
最初に口を開いたのはカテリーナだった。
黒髪紅眼の公爵令嬢。
だがその声には、以前の余裕はもう無い。
焦りと苛立ちだけが混ざっている。
隣ではルイスが静かに立っていた。
穏やかな微笑み、それが今は異様なほど浮いて見える。
ライアスが低く言う。
「ルイス。」
「はい、殿下。」
「リリア・ナーシアスについて聞きたい。」
一瞬、ルイスの目が揺れた。
セドリックはそれを見逃さない。
「・・・何故、今更あの女の話を?」
ルイスは平静を装う。
だが、ライアスの声は冷たかった。
「答えろ。」
「・・・・・。」
「リリアが追放後、娼館へ送られたという話を聞いた。」
カテリーナの顔が引きつる。
「・・・え?娼館・・・?」
ライアスはルイスを睨む。
「ルイス、お前は何をした。」
沈黙。
長い沈黙の後。
ルイスは静かに言った。
「・・・本当です。」
「何だと・・・?」
ライアスが鋭く睨む。
ノアが息を呑む。
セドリックの拳が震える。
ルイスは淡々と続ける。
「学園追放後、リリアと母親が身を寄せる場所を探していた時・・・人攫いに流しました。娼館へ売れば、二度と戻ってこないと思ったので。」
あまりにも静かな声だった。
悪意を語っているというより、処理を語っているような声音。
「貴様ァ!!」
セドリックがルイスの胸倉を掴む。
そのまま壁へ叩きつける。
「相手は女の子だぞ!!娼館だと!?何考えてやがる!!」
「姉上のためです。」
「は?」
ルイスは壁に押し付けられたまま続ける。
「姉上が破滅しない未来のためなら必要でした。」
「ふざけるな!!」
再び拳が振り上げられる。
その瞬間。
「やめて!!」
カテリーナが叫んだ。
全員の視線が向く。
彼女は顔面蒼白で震えていた。
「ルイス、嘘、よね?」
「・・・・・。」
「ねぇ、嘘って言いなさいよ!!」
だがルイスは答えない。
その沈黙がすべてだった。
「・・・私は悪くない!!」
突然、カテリーナが叫んだ。
ライアス達が固まる。
「私は悪くない!!」
もう理性ではなく、反射だった。
「弟が勝手にやった事よ!!」
「姉上・・・?」
ルイスが呆然とする。




