15.誰を怒らせた?〜伯爵令息〜
王都中心部。
大通りに面する巨大な白亜の建物。
フェルディナンド商会本部。
衣料、食料、魔導具、輸入品、物流。
あらゆる商売を手掛ける王国最大級の大商会だった。
——少なくとも五年前までは。
「・・・また、撤退か。」
執務室。
机へ置かれた報告書を見つめ、ノア・エヴァンスは深くため息を吐いた。
紺色に髪と目。整った顔立ち。
人当たりの良い笑みで知られていた青年は、最近疲れ切った顔をしている。
「今月だけで八社目です。」
秘書が重苦しく言った。
「北部流通組合。東部繊維商会。南方輸入連盟。」
「・・・全部か。」
ノアは額を押さえた。
最近、異常だった。
商人が減る。輸入が止まる。物流が崩れる。そして商会が消える。
しかも加速度的に。
「輸入船は?」
「今月は三隻のみです。」
「は?」
ノアが顔を上げる。
「先月は十七隻だっただろ。」
「帝国側港へ流れているそうです。」
またその言葉だった。
帝国。
最近、何もかも帝国へ流れている。
商人。職人。技術者。騎士。そして金。
「理由は。」
「……『向こうの方が売れるから』と。」
ノアは舌打ちした。
「そればかりだな。」
だが、それだけで説明がつかない。
最近の流れは異常だった。
まるで誰かが意図的に王国から人を引き剥がしているみたいに。
ノアは机へ視線を落とす。
そこには赤字報告。
契約解除。取引停止。売上低下。
そんな文字ばかり並んでいた。
そして、ここ五年。
商会最大の問題があった。
「……新商品開発部は。」
秘書が顔を曇らせる。
「全滅です。」
ノアは静かに目を閉じた。
カテリーナの発明。
それがフェルディナンド商会を急成長させた。
保存食。新型ランプ。改良布。携帯加熱器具。
どれも爆発的に売れた。
だから皆、信じていた。
カテリーナが居れば未来は安泰だと。
だが五年前を境に、新しい“当たり”が消えた。
売れない。流行らない。模倣される。
逆に帝国側からは次々と新商品が生まれている。
「・・・何故だ?」
ノアは低く呟く。
最近のカテリーナはおかしい。
発明を相談しても曖昧。
以前みたいな確信が無かった。
「・・・これは異常だ。」
ノアは立ち上がる。
「帝国だけで説明が付かない。」
何かある、絶対に。
数時間後。
ノアは王都旧商業区へ来ていた。
古びた煉瓦造りの建物。
長年付き合いのある老舗商会。
その商会長なら何か知っていると思ったのだ。
「久しぶりですな、ノア様。」
白髪混じりの老人が頭を下げる。
王都でも古株の商人。裏事情にも詳しい男だった。
「単刀直入に聞きます。」
ノアは椅子へ座る。
「何が起きてる?」
老人は少し黙った、そして困ったように笑う。
「・・・難しい質問ですな。」
「誤魔化さないでください。」
ノアは真剣だった。
「最近の撤退。輸入停止。帝国流出。全部異常だ。」
「・・・・・。」
「向こうの方が売れる、だけで説明が付かない。」
老人は周囲を気にするように視線を動かした。
そして、小さくため息を吐く。
「本当は内緒とのお達しなのですが。」
ノアの目が鋭くなる。
「何です。」
老人は声を潜めた。
「帝国から。この国とのやり取りを禁止するように言われているんです。」
空気が止まる。
「は?」
ノアは唖然とする。
「表向きは自由交易です。ですが裏では、“王国と深く関わるな”という空気が出来ております。」
「何故そんな事を。」
「分かりません。」
老人は苦い顔をした。
「ですが皆、逆らいたがらない。特に帝国の大商会は。」
ノアの背筋に嫌な汗が流れる。
「・・・理由は。」
「皆こう言うんです。」
老人はゆっくり言った。
『お前達は、一体誰を怒らせたんだ。』
ノアは黙った。
誰を怒らせた?
そんな心当たりは無い。
王国上層部にそんな危険人物など——。
その瞬間。
脳裏へ浮かぶ。
ピンク色の髪。
『どうしてですか!?』
『盗作なんてしてません!!』
泣きながら叫んでいた少女。
リリア・ナーシアス。
「・・・いや。」
ノアは即座に頭を振る。
有り得ない。
ただの元平民の少女だ。
そんな筈がない。
だが、胸の奥が妙にざわつく。
その時だった。
窓の外から怒号が響く。
「帝国産を入れろ!!」
「王国製は高すぎる!!」
「商会は何してるんだ!!」
民衆の怒鳴り声。
ノアはゆっくり窓を見る。
王国が崩れている。
少しずつ。
確実に。
「・・・っ!どうすれば!」
考えても答えが出ない。
だが、確実に帝国が絡んでいるなら話は別だ。
「ライアス様と・・・カテリーナ様に相談するしかない。」
最近の二人も様子がおかしい。
だが、それでも頼るしかない。
「ノア様?」
「王宮へ向かいます。」
ノアはまだ知らなかった。
自分達が追い詰め切り捨てた少女が。
今なお地獄の底で、全てを憎み続けている事を。




