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第六十一話 剣士と弟子志願者

神代葵は諦めが悪かった。


蒼麻はその事実を、ここ最近嫌というほど学習していた。


最初に会った日から数週間。


顔を合わせるたびに言われる言葉がある。


「剣術をやらないか」


そして蒼麻の返事も決まっていた。


「酒の方が好きです」


もはや様式美であった。


その日も蒼麻は和灯で酒を飲んでいた。


蓮二が出してくれたのは鰹の藁焼きと新じゃがの煮ころがし。それに合わせて少し辛口の純米酒が置かれる。


実に良い夜だった。


少なくとも葵が現れるまでは。


「いたか」


暖簾をくぐった葵は当然のように蒼麻の隣へ座る。


「いたか、じゃないですよ」


「探した」


「なんでです」


「剣だ」


蒼麻は頭を抱えた。


真響は向かいで酒を飲みながら面白そうに眺めている。


完全に他人事だった。


「蒼麻」


「嫌です」


「まだ何も言ってない」


「剣ですよね」


「剣だ」


「嫌です」


葵は本気で残念そうな顔をした。


その顔だけ見ると、振られた青年に見える。


だが内容は剣術勧誘である。


真響が酒を飲みながら呟く。


「もう諦めればいいだろう」


「この逸材を見過ごすのはあまりに惜しい」


葵は真顔だった。


「何がです」


蒼麻が聞く。


葵は少し考える。


そして真面目な顔で答えた。


「僕の勘が、蒼麻は絶対に化けると告げている」


「またそれですか」


「勘は大事だ」


全く説得力がなかった。


その時だった。


暖簾が開く。


若い女性が店へ入ってくる。


蒼麻は思わず目を向けた。


美人だった。


年齢は二十代後半ほど。


落ち着いた雰囲気があり、どこか育ちの良さを感じさせる。


だがそれ以上に目を引くのは空気だった。


静かだ。


ただそこに立っているだけなのに、妙に隙がない。


女性は店内を見回し、葵を見つける。


そして小さく頭を下げた。


「師匠」


蒼麻が止まった。


師匠。


今、師匠と言った。


「来たか」


葵は自然に手を上げる。


女性は歩み寄り、そのまま隣へ座った。


「お久しぶりです」


「三日ぶりだな」


「三日も会わないなんて、充分お久しぶりですよ」


蒼麻は思わず聞いた。


「弟子なんですか?」


女性は笑う。


「そうですね」


そこで一度言葉を区切った。


そして続ける。


「妻でもあります」


蒼麻は酒を吹きそうになった。


「え?」


「妻です」


「弟子なんですよね?」


「弟子です」


「妻なんですか?」


「妻です」


情報量が多かった。


真響が酒を飲む。


女性は改めて蒼麻へ向き直る。


神代(かみしろ)(すみれ)です」


そう言って丁寧に頭を下げた。


蒼麻も慌てて頭を下げ返す。


「神代蒼麻です」


「知っています」


「どうして知ってるんですか」


「葵が最近ずっと話していますから」


蒼麻は嫌な予感がした。


横を見る。


葵が視線を逸らした。


「何を話してたんですか?」


菫は少し考えた。


そして正直に答えた。


「面白い人がいると」


「はい」


「ものすごく惜しい人材だと」


「はい」


「剣術はやる気になってくれない、と」


蒼麻は頭を抱えた。


やはりそれだった。


蓮二が追加の料理を持ってくる。


今日は鰆の西京焼きだった。


「美味しそう」


菫は目を輝かせる。


葵も嬉しそうだ。


蒼麻は少し意外に思った。


二人とも強者の空気を持っている。


だが同時に、妙に普通だった。


酒を飲む。


料理を楽しむ。


笑う。


どこにでもいる夫婦みたいだった。


「そういえば」


蒼麻が聞く。


「菫さんも剣を?」


「はい」


菫は頷く。


「師匠に教わりました」


「強いですよ」


葵が言う。


珍しく即答だった。


「僕より筋がいい」


菫が苦笑する。


「師匠は昔からそう言います」


「事実だ」


「そういうところです」


夫婦らしい会話だった。


その時だった。


店の奥にいた常連客が立ち上がる。


ふらついた。


盃を落とす。


そしてそのまま倒れそうになる。


蒼麻が反射的に動こうとした。


だが。


誰より先に動いた者がいた。


それは菫だった。


椅子から立ち上がる。


それだけだった。


本当にそれだけだった。


だが次の瞬間には常連客を支えている。


蒼麻は目を見開いた。


見えなかった。


「なんです、今の」


「ただの移動です」


菫は笑う。


絶対に違う。


葵は満足そうに頷く。


「強いだろう」


どこか自慢気だった。


弟子として。


そして妻として誇らしいのだろう。


蒼麻は少しだけ理解した。


葵がなぜ菫を弟子にしたのか。


そしてなぜ伴侶になったのか。


強さだけではない。


互いに信頼している。


背中を預けられる。


そういう関係だった。


酒宴は続く。


気づけば真響まで菫と酒の話をしていた。


葵は機嫌がとても良い。


料理を褒められ蓮二も楽しそうだ。


和灯には不思議な人間が集まる。


蒼麻は今さらながらそう思った。


帰り際。


店を出たところで葵が言振り返る。


蒼麻にはもう何を言われるか、わかっていた。


「蒼麻」


「なんです」


「剣術をやらないか」


蒼麻は天を仰いだ。


横で菫が笑う。


「まだ諦めてなかったんですか」


「まだ間に合う。さっきも菫の足の運びが普通ではないと気付いたろう。君はどういう訳か基礎の部分が整っている。必ず世に名を残す剣士になるぞ」


葵は本気だった。


蒼麻はため息を吐く。基礎の部分。


なにか特別な訓練をしたことはない。思い当たる事といえば父に教わった“酒の作法”くらいだ。


葵がなぜそんなに自分に目をかけてくれるのかわからない。


「やりません」


即答だった。


葵は残念そうに頷く。


だがその顔は、まったく諦めていなかった。


蒼麻は確信する。


この人は一生言い続ける。


そんな気がした。


夜風が吹く。


和灯の灯りが背後で揺れる。


笑い声が聞こえる。


怪異も神代も関係ない夜だった。


だが蒼麻は少しだけ思う。


こういう時間も悪くないと。


そして同時に思う。


できれば剣の勧誘だけは、そろそろ終わってほしいと。

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