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第六十話 終着駅の落とし物

相談が持ち込まれたのは神代商工会だった。


依頼主は地方銀行の支店長である。


内容だけ聞けば怪異とは思えないものだった。


「退職者が増えているんです」


蒼麻は首を傾げた。


「人手不足ですか?」


「違います」


支店長は疲れ切った顔で答えた。


「辞めた人間がみんな同じことを言うんです」


机の上に資料が置かれる。


そこには退職者たちの聞き取り記録が並んでいた。


『もう十分働いた気がする』


『ここまででいいと思った』


『続ける理由がなくなった』


『終わった気がした』


どれも似たような内容だった。


年齢も職種も違う。


共通点はない。


ただ一つを除いて。


全員が同じ駅を利用していた。


翌日。


蒼麻は現地へ向かった。


麻那は今回も別件で動いている。


今回はそこまで危険な案件ではないと判断された。


真響は当然のように同行している。


「今回は酒蔵じゃないんだな」


「駅で酒が出ると思うか?」


「売店はあるだろう」


「その発想をやめろ」


問題の駅は、今ではほとんど利用者のいない古い終着駅だった。


路線の再編で役目を終え、観光客もほとんど来ない。


だが完全な廃駅ではなく、一日に数本だけ列車が来る。


中途半端に残された場所だった。


蒼麻が改札を抜けた瞬間、妙な感覚を覚える。


縁がある。


無数の縁だ。


だが普通の縁ではない。


途中で途切れた縁。


諦めた縁。


手放した縁。


そんなものばかりが集まっている。


「嫌な感じだな」


蒼麻が呟く。


真響も珍しく真面目な顔をしていた。


「終わったものの匂いがする」


調査は夕方まで続いた。


駅員への聞き取り。


利用者への聞き取り。


周辺調査。


だが決定的なものは見つからない。


そして日が沈み始めた頃だった。


ホームの端に何かが落ちているのを蒼麻が見つけた。


白い紙だった。


折り紙ほどの大きさ。


拾い上げてみたが何も書かれていない。


ただ妙に綺麗だった。


風が吹く。


今度は別の場所に白い紙がある。


さらにその先にも。


蒼麻は眉をひそめた。


「なんだこれ」


真響がそれを見た瞬間、盛大にため息を吐いた。


「面倒なのが来ているな」


「知ってるのか?」


「知っている」


真響はホームの先を見る。


「本人より先に気配が来る」


蒼麻が何かを聞こうとした時だった。


ホーム全体の空気が変わった。


駅へ列車が入ってくる。


しかし時刻表には存在しない。


白く霞んだ列車だった。


乗客も見える。


だが全員表情がない。


どこか満足したような顔で、どこか空虚だった。


列車が停車する。


扉が開く。


そして乗客たちが一斉に振り向いた。


「もう終わりでいい」


誰かが言った。


「ここまででいい」


別の誰かが言う。


「降りれば楽になる」


その声は甘かった。


疲れた人間ほど乗りたくなる声だった。


蒼麻は赤ペンを取り出す。


だが、その瞬間だった。


風が吹いた。


白い紙片が舞い上がる。


一枚。


二枚。


十枚。


数え切れないほどの白い紙が空へ広がる。


次の瞬間、列車の中央が静かに断ち切られた。


轟音はない。


衝撃もない。


ただ、そこだけが切れていた。


怪異が悲鳴を上げる。


蒼麻は目を見開いた。


「なんだ今の」


ホームの反対側から足音が聞こえた。


白い着物。

緑柱石色の妖艶さを纏った美しい瞳。

月光のような流れる長い髪を編み込んでいる。

腰に一振りの刀を差した一人の女性が歩いてくる。


派手さはない。


だが存在感だけが異様だった。蒼麻はこの気配を知っている。


女性は蒼麻の前で立ち止まり、そして小さく頭を下げた。


「初めまして」


蒼麻は少し驚いた。


思ったよりちゃんとしている。


女性は続けた。


白狐(びゃっこ)雫瑠(しずる)と申します」


真響が横で言う。


「見た目に騙されるな」


雫瑠が僅かに眉を動かした。


「心外だ」


「事実だ」


「黒は口が悪い」


「白は愛想がない」


蒼麻は二人を見比べたが、仲が良いのか悪いのか分からなかった。


その間にも列車の形をした怪異は歪に膨れ上がる。


終わった人間。


諦めた人間。


立ち止まった人間。


そうした感情が怪異列車へ集まっていた。


雫瑠は怪異を見つめる。


その瞳には怒りも憎しみもなかった。


ただ静かな否定があった。


「終わったものを集めるのは構わない」


怪異が揺れる。


「だが」


雫瑠は一歩前へ出た。


「終わっていないものまで終わらせようとするな」


その瞬間だった。


空気が張り詰める。


蒼麻は息を呑んだ。


神降しほどではない。


だが何かがいる。


鋭い神気。


切断。


境界。


終焉。


雫瑠の背後に一瞬だけ白い影が立つ。


怪異が震えた。


恐怖している。


本能で理解したのだ。


この狐は終わらせる存在だと。


雫瑠は静かに刀へ手を添える。


「人が歩く先を勝手に閉じるな」


白い閃光が走った。


次の瞬間、怪異の核だけが切り離されていた。


終わりへの誘惑。


諦め。


停滞。


そこだけが切られている。


列車は崩れ始めた。


乗客たちの影も消えていく。


ホームに集まっていた縁がほどける。


蒼麻はそこでようやく赤ペンを走らせた。


残された縁を整理する。


不要な執着を解く。


終わった未来を閉じる。


怪異は静かに消えていった。


静寂が戻る。


雫瑠は静かに刀を鞘へ納めた。


乾いた金属音が夜の境内へ短く響き、張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。


蒼麻はゆっくりと息を吐いた。斬れるとは思っていなかったが、あの一瞬に込められていた圧は、これまで出会った怪異とも退魔師とも違っていた。


「……終わり、ですか」


問い掛けると、雫瑠はすぐには答えなかった。


白い髪を夜風が揺らす。


その視線は蒼麻ではなく、少し離れた場所で腕を組む真響へ向けられていた。


「黒狐」


静かな声だった。


「ずいぶんと人へ近付いたな」


真響は小さく肩を竦める。


「そう見えるか」


「見える」


それだけの短い会話だった。


だが二人の間には、長い年月を共に過ごした者だけが持つ理解があった。


蒼麻は何となく口を挟めず、二人を見守る。


やがて雫瑠が再び蒼麻へ目を向けた。


その瞳は相変わらず冷静だった。


敵意もなければ、歓迎の色もない。


ただ見極めようとしている。


建葉槌命(たけはづちのみこと)の気配がある」


唐突な言葉だった。


蒼麻は僅かに目を見開く。


「……分かるのか」


「分かる」


雫瑠は短く答えた。


「まだ浅い。神を降ろしているとは言えぬ」


その言葉は厳しかった。


しかし侮蔑ではない。


事実を述べているだけだった。


「だが、器としての形は見え始めている」


蒼麻は思わず苦笑した。


褒められているのかどうか分からない。


「それともう一つ」


雫瑠は一歩だけ近付いた。


その瞬間、蒼麻の胸の奥が微かに熱を帯びる。


自分でも気付かないほど深い場所で、何かが反応した。


ほんの一瞬だけ、冷たい夜風の中へ別の気配が滲む。


真響の表情が僅かに変わる。


雫瑠は静かに目を細めた。


「やはりいるか」


その一言だけで十分だった。


蒼麻には意味が分からない。


だが真響には伝わった。


九尾の欠片。


神代一族の誰も知らないほど深い場所に眠る、その存在を雫瑠は確かに感じ取っていた。


長い沈黙が流れる。


やがて真響が静かに口を開いた。


「……それで?」


雫瑠は答えない。


代わりに蒼麻を見つめたまま言った。


「お前は何も知らないまま歩いている」


蒼麻は苦笑するしかなかった。


「それは否定できないな」


「知らぬことは罪ではない」


雫瑠は夜空を見上げる。


「だが、知った時に何を選ぶかで、人は決まる」


その言葉は蒼麻へ向けたものでもあり、真響へ向けたものでもあった。


しばらくして雫瑠は踵を返す。


「もう帰るんですか」


蒼麻が尋ねると、彼女は足を止めずに答えた。


「見るべきものは見た。また会うこともあるだろう」


それだけだった。


白い背中が闇へ溶けていく。


蒼麻はその姿が見えなくなるまで黙って見送った。


やがて境内に静けさが戻る。


「……何だったんだ、あの人」


真響は小さく息を吐き、盃を傾けるような口調で答えた。


「あれで十分だ」


「十分?」


「雫瑠は必要がなければ姿を現さない」


蒼麻は首を傾げる。


「じゃあ今日は必要だったのか」


真響は少しだけ笑った。


「私が間違っていないか、確かめに来たんだろう」


「真響を?」


「そうだ」


蒼麻は思わず真響を見る。


真響は普段通りの表情に戻っていたが、その目だけはどこか遠くを見ていた。


「私たちは互いを信用している。だが、盲信はしない」


「だから自分の目で確かめる」


「それが雫瑠だ」


蒼麻は静かに頷いた。


なるほど、と心の中で呟く。


あの白狐は自分を認めに来たのではない。


真響が選んだ道を、自らの目で確かめに来たのだ。


その結果、何を思ったのかは分からない。


ただ一つだけ確かなことがある。


最後まで雫瑠は、蒼麻を一人の人間として見ていた。


神代でも、九尾でも、建葉槌命の器でもなく。


これから何を選ぶのか、その可能性だけを見つめていたのだった。


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