第五十一話 和灯という店
和灯に怪異が多すぎる。
そう言ったのは、圭吾だった。
「いや、今さらだけどさ。多くない?」
蒼麻は盃を置いた。
「今さらだな」
蓮二はカウンターの向こうで、味噌を炙りながらため息をついた。
「俺もたまに思う。うち、小料理屋だよな?」
麻那が少し考えてから言う。
「小料理屋です。ただ、普通の小料理屋ではなくなっています」
「やめて。店主としてはだいぶ怖い」
真響は静かに酒を飲んでいたが、やがて盃を置いた。
「この店が怪異を呼んでいるわけではない」
蒼麻が顔を上げる。
「違うのか?」
「違う。ここは、見つけてしまう場所だ」
蓮二が眉をひそめる。
「見つけてしまう?」
真響は店内を見回した。
「酒を飲む場所には、縁が残る。感謝、愚痴、約束、後悔、言えなかった言葉。人は酒の席でそれらをほどく。だが、ほどけきらなかったものは、しばらく場に残る」
麻那が頷いた。
「和灯は、特に会話が残りやすいんだと思います。騒いで忘れる店ではなく、話して帰る店だから」
蓮二は少し黙った。
「……それは、悪いことか?」
真響は首を振る。
「悪くはない。だが、縁は残れば淀むことがある」
蒼麻は苦笑した。
「そこに俺がいるわけか」
麻那が少しだけ目を伏せる。
「お兄ちゃんは、縁を縫い止める性質がある。たぶん、本人が思っているよりかなり強く」
「嫌な性質だな」
「嫌なだけじゃないよ。だから助かったものもある」
真響が静かに続けた。
「だが、本来なら流れていくはずのものが、お前の近くでは留まる。和灯に残った縁も、蒼麻の気配に引かれて形を持ちやすくなる」
圭吾が青ざめる。
「つまり、蒼麻くんが怪異ホイホイ?」
「言い方」
蒼麻は睨んだが、否定しきれなかった。
蓮二は腕を組む。
「でも、それだけじゃないんだろ」
麻那が頷いた。
「お父さんの守りもあると思う」
蒼麻の表情が変わった。
「父さんの?」
「うん。お兄ちゃんを守るために、お父さんは全国の奉納酒や土地の気脈を使って封印を維持していた。その影響で、和灯の周辺にも緩い守りが残っている可能性が高い」
真響が補足する。
「怪異は蒼麻へ向かう。だが、麻臣の守りに引っかかる。大事になる前に、この店の周囲で形を現す」
蓮二がゆっくり息を吐いた。
「つまり、うちは怪異を呼んでるんじゃなくて、網に引っかかった怪異を見つけてるのか」
「そういうことだと思います」
麻那が言うと、蒼麻は盃を見つめた。
父は死んでも、まだ自分を守っている。
それがありがたくて、少し腹立たしくて、どうしようもなく寂しかった。
真響がふいに言った。
「あー、それと、私だな」
蒼麻は顔を上げる。
「おまえ自覚あったのか」
「多少は」
「多少?」
「わたしの気配は強い。怪異から見れば、灯台のようなものだろう」
圭吾が小声で言う。
「じゃあ、真響さんも怪異ホイホイ……」
真響が圭吾を見る。
圭吾は即座に姿勢を正した。
「すみませんでした」
蒼麻は少し笑った。
「でも、これでだいぶ説明はつくな」
蓮二は店内を見回した。
「酒と会話で縁が残る。蒼麻が縫い止める。麻臣さんの守りが引っかける。真響さんの気配も目印になる」
「全部揃ってますね」
麻那が真顔で言った。
蓮二は頭を抱えた。
「うち、小料理屋なのに」
真響は盃を持ち上げる。
「悪い店ではない」
蓮二は少しだけ驚いた顔をした。
「褒めてます?」
「褒めている」
蒼麻が笑う。
「珍しい」
真響は無視した。
「この店は、縁を腐らせる前に見つける。怪異になる前にほどけるものもある。なら、悪くない」
蓮二はしばらく黙って、それから小さく笑った。
「じゃあ、できるだけ美味い飯を出すよ」
圭吾が手を挙げる。
「俺は?」
蓮二が即答する。
「余計な英語読みを減らしてください」
「そこ!?」
麻那が笑い、蒼麻もつられて笑った。
その夜、和灯にはいつもの音が戻っていた。
酒器の音。
炙った味噌の香り。
人の声。
言えなかった言葉。
それでも、少しずつ流れていく縁。
和灯は怪異を呼ぶ店ではない。
ただ、誰かが見落とした小さな淀みを、灯りの下に浮かび上がらせてしまう店だった。
そして今日も、その灯りは消えなかった。




