013 乙女心は複雑ですのよ?
「ケイタさぁーん。朝ですわー!」
夢が唐突に終わる。さっぱり思い出せないが、良い夢ではなかったんだろう。寝覚めは良くない。
それ以上に、眠い。
もう少し寝かせてくれ。
声に背を向ける。そもそもいま何時だ? 薄目を明けて左手を顔を寄せーー。
「二度寝しちゃ、ダメですわよ?」
左手が小刻みに振動して、顔のすぐ前で悪戯っぽく声が囁いた。バチっと目が開く。『七時二分』。
小さくため息が出た。バイタルデータで起きたのバレてやがる……。
恨めしくスマートウォッチを睨んでから、仕方なく身体を起こし、眼鏡をかける。
俺と目が合うと、腰に手を当てたツヤがクスクスと笑う。一輪の花のような金髪縦ロールのお嬢様は、スカートをつまんでうやうやしくお辞儀した。
「おはようございますわ。ケイタさん」
「おはよう……んふああ……」
あくびを噛み殺そうとして失敗。視界がぼやける。
「今朝は随分と眠そうですのね?」
「んー……」と生返事しつつ目を擦り、視線を床に落とす。昨日見た小さな頭はない。ただ床があるだけだ。
いつ、出て行ったんだろうか。
何も言わないってことは、ツヤはこの部屋にいたミャーコのことを見ていないんだろう。
てことは五時より前か。本当にいびきうるさかったとか?
ーーいや、違うだろ。ミャーコの一言が蘇る。アレは、どういう意味だったんだ。
「ケイタさん?」
ツヤに相談するのは、ない。漠然とそう思った。
「あー……ツヤは、メンテ無事に終わったのか?」
「はい。予定通り終わりましたわ! アップデートもバッチリですわ!」
口元にピースサインを添えるツヤを見て、俺も少し気分が和らいだ。
「さぁさ。ご飯が炊けておりますわ!」
ツヤに急かされるいつもの朝。
スマホを首に下げ、まず洗面所へ向かう。ドアノブに手をかけようとすると、慌て気味にドアが逃げた。
「あ」
音になったのは俺の声か、ミャーコの声か。
もう制服に着替えたミャーコがそこにいた。見上げる視線と見下ろす視線がぶつかる。
咄嗟の言葉が出ない。それはミャーコも同じか。無言の間に声が割って入る。
「おはようございますわ。ミヤコさん」
固まっていたミャーコだったが、ツヤを見て小さく嘆息した。
「おはよう、つやひめ。ケイくんも」
ミャーコは冷めた様子だったが、特に機嫌は悪いように見えない。
とはいえだ。いまここで、聞けるか?
「なに? じろじろみて」
「いや……」
聞くにしたって、なにをどう聞けばいいのか。いっそ選択肢とか出てくれないものか。
「……変? 学校メイクなんだけど」
ミャーコの顔がふっと曇る。いかんーーなんでもいいから、
「よくお似合いですわ!」
「……ありがと」
すぐさま答えてくれたツヤに少しホッとする。礼を言いながらもミャーコはどこか不満げだった。「通りたいんだけど」と言われ、俺は道を開けた。
「あ、すぐ朝飯用意するから、リビングで待っててくれよ」
すれ違いざまに声をかけると、ミャーコは俺の前でピタリと止まった。狭い廊下だ。りんごひとつ分の距離で、小さな顔が俺を見上げる。化粧のせいか昨日の晩のミャーコより、少しだけ大人びて見える。ツヤとは違う、褐色の瞳が近い。
「いい。もう食べたから。もう学校いくね」
「お、おう」
物足りなさそうに揺れて、俺を映した瞳はすぐに遠くなった。ミャーコの背中が部屋へと向かう。
「あのさ」
数歩で足音が止まった。ミャーコは振り返えることなく、言葉を続けた。
「ゴメン! 昨日言ったことは忘れて!」
言い終えるなり、ミャーコは飛び込むように部屋に入った。ドアの閉まる音が静かな廊下に大きく響いた。
「なんのことですの?」
「いや、俺にもよくわからん……」
首の後ろあたりを掻きながら、俺も洗面所に入る。
顔を洗っていると、小さく階段を降りていく音が聞こえてきた。
「いってきますくらい言ってけって」
タオルで顔を拭きながら、俺はツヤにも聞こえないくらいの声でひとりごちて、息をついた。
今日は午前中から外回りで、夕方に戻ると「ミャーコちゃん、昼過ぎに帰ったっすよ。社長にもよろしくって言ってたっす」とスミレちゃんが教えてくれた。なんだか拍子抜けというか、消化不良の気分だった。
仕事が終わり、帰宅する。
当たり前だがミャーコの姿はない。
替わりにあったのは、きちんと掃除された部屋、綺麗に洗われた鍋と食器。
立つ鳥跡を濁さず、か。
食卓に残されていた「ごちそうさまでした。ありがとうございました」のメモは、俺とツヤどちらに宛てたものなのか。
こうして、慌ただしくはじまった嵐のようなホームステイは、あっさりと終了したのだった。
夜。献立は、秋らしく「キノコたっぷり鮭のホイル焼き」だった。
適当な太さに切った玉ねぎの上に、塩コショウを振った鮭、えのきにしめじ、エリンギを並べる。バターを乗せてアルミホイルを畳めばあとは焼くだけだ。水を敷いたフライパンで蒸し焼きにしていく。
「父親って大変だなぁ」
焼けるのを待つ間、そんな言葉がこぼれた。
たったの五日間ではあったが、俺が感じていたのは多分父親に近い感覚だったんだと思う。妙に疲れた気分だった。寂しさがまったくないかと言われれば嘘だが、それ以上に解放感が勝っている。
「ミヤコさんのことですの?」
胸のあたりからの声に、「まーなー」と答える。
なに話したらいいのかわからんし、機嫌はコロコロ変わるし。
「何考えてるのかさっぱりわからんかったなぁ……」
結局昨日のことは分からずじまいだ。「年頃の女の子」ってのは難しい生き物なんだなと改めて実感した。ツヤがクスリと笑った。
「乙女心は複雑ですのよ?」
得意そうに言われてもなあ。顔見えないけど。
「ツヤならわかるみたいな口ぶりだな」
高性能とはいえ、AIのツヤに人間心理を説かれるのはなんか違う気がする。
「まあ! わたくしもれっきとした乙女ですわ! 昨日のアップデートで、コミュニケーション機能のバージョンも上がったんですのよ?」
「なんだそれ? 空気が読めるようになったとか?」
「ケイタさん? それ、どういう意味ですの? あ、そろそろ弱火にしてくださいな」
「あ、おう」
話すのは夕食作ってからにしよう。急いで話したら勿体ない。
今日はなんだかツヤの顔をみてゆっくり話したい気分だった。




