EP.52 湖畔の戦闘
青天の霹靂だった。
まさか隊列の背後、湖から襲撃されるなど、完全に想定外。
しかも相手は、完全武装されたリザードマンの軍勢。
元来、群れで行動することは知られていたものの、決して遭遇機会が多い相手ではなく、基本的には生息地を避ける対象として認識されているのがリザードマンなのだ。
こんな形で鉢合わせするなど、誰が思うものか。
「逃げろぉぉぉぉぉっ!」
最後方の兵たちが、パニックを起こして走り出した。
「隊長!」
顔面蒼白のラダックが、血走った目で指示を仰ぐ。
「全軍反転だ! 応戦せよ!!」
「全軍はんてぇぇぇぇん! 応戦せよぉぉぉぉッ!」
デイルの指示を受けたラダックが、喉も裂けよとばかりに絶叫で復唱する。
兵たちが反転し、湖畔の方に向かって戦闘隊形を取る。
が、逃げてきた兵と反転した兵たちがぶつかって混乱をきたす。
その混乱に乗じて、リザードマンたちがあっという間に迫ってくる。
その数、約50体。
対して騎士団は、隊長・副官を含めても計32人。
(ただし、現在は斥候で3人欠けているため、実際には29人)
数字の上でも、完全に劣勢だった。
「ひるむなぁーっ! 隊形整えーっ!」
隊の中心部でラダックが、必死に立て直そうとしている。
一方のデイルは、リザードマンたちとの距離を測っていた。
(行けるか? くそ! だがやるしかない!)
一瞬の迷いが勝敗の分かれ目になることぐらいは知っていた。
「火炎壁!」
デイルが詠唱を終えると、リザードマンたちの先鋒の目と鼻の先に炎の壁が立ちはだかった。
幅にして約10m、炎の高さは約3mだった。
出来上がる壁のサイズは術者の任意だが、当然魔力による限界はある。
そして今のこのサイズが、デイルの精一杯であった。
「おお! 隊長!」
魔法が誰によるものか、当然知っている兵たちから歓声が上がる。
パニックになっていた兵も、これでひと息ついて冷静さを取り戻したのだった。
水棲のリザードマンには火属性が有効だろう、という安易な読みが当たったのは幸運。
とはいえ、本来ヤツらの先頭にぶちかますつもりだったのが、やや位置がズレてしまったのは、デイルにとって不満だった。
リザードマンたちの進軍が止まり、炎の壁の裏に集結しつつあった。
しかし――。
シュァァァァァァッ。
一瞬にして炎が凍りつき、氷の壁になってしまった。
バリンッ!
バキバキバキッ!
氷の壁を破壊して、リザードマンたちが近づいてきた。
「魔法を使うのか? リザードマンが!?」
デイルも噂話程度には聞いたことがあった。
リザードマンの亜種、あるいは進化種に、魔法を使う個体がいるらしいと。
また一方で、戦士型の進化タイプもいるという噂もあった。
まさか本当にいたとは――。
自分の最大魔法が目の前で無効化されたショックと共に、この事実はデイルの自信を打ち砕くのに充分だった。
そうこうしているうちに、とうとう接敵。
接近戦が始まってしまった。
騎士団の兵たちは、決して惰弱な兵ではない。
日々、厳しい訓練を課し、何度も実戦を経験した実力者揃いだった。
その兵たちが今、完全に圧倒されていた。
「真空刃!」
ラダックが風魔法による攻撃を連発して、リザードマンの足止めをしている。
だが、傷は負わせるものの、致命傷に至らない。
「2班!3班! 前へ!」
デイルが直接指示を出し、槍兵を前に出す。
剣ではリーチ不足で不利と判断したのだ。
「隊列で押せ! 崩れたところを狙え!」
命令はしたものの、リザードマンを崩せるかどうかは未知数。
前線に張り付いているラダックの機転に、デイルは期待するしかなかった。
「なんだあれは!?」
「魔法だ!」
「こっちにくるぞ!」
「防御! 防御だ!」
兵たちの声でデイルも気づいた。
上空10mほどのところに、夥しい数の物体が浮いていることに。
あれは――。
「氷だッ!!」
デイルの声は一瞬遅かった。
氷の槍が雨あられと降り注ぐ。
第一陣が終わると、第二陣が、そして間髪入れずに第三陣が次々と襲い掛かった。
もはや、目に見える範囲に、立っている騎士団兵はひとりもいなかった。
デイル自身、氷が脇腹を掠めて裂傷を負い、尻もちをついていた。
リザードマンたちは戦闘を停止し、湖畔に並んでこちらをじっと見ている。
「衛生兵! 衛生兵はどこだっ!」
倒れながら必死に呼ぶ兵の声。
だが、その声に応えて立ち上がる者はなかった。
誰もが、倒れたまま痛みを堪え、あるいは必死に這いつくばって、少しでも湖から離れて森の方へ移動しようとしていた。
不幸中の幸いか、まったく動けなくなっている兵はいないようにデイルには見えた。
果たしてこれは奇跡的な幸運か、天の配剤か、あるいは敵の手加減なのか。
「うわぁ、これはひどい!」
突然若い女の声がして、デイルはぎょっとした。
今この敗戦が確定した戦場にまるで似つかわしくない、違和感を覚えたのだ。
振り返ると、まさに先刻まで騎士団が進むはずだった森の中から、人影がひとりまたひとりと姿を見せた。
「あ、リザードマンだ! パイセンパイセン、リザードマンっスよ!」
「ほんとだ。しかもあんなに。どうして並んでこっちを見てるんだろう」
「それよりこの倒れてる人たちはなんなの?」
「リザードマンと戦って負けたんだよ、きっと」
「よわっ!」
「ダメよ、サム。そういうこと言っちゃ」
「しかし酷い有様だな……回復士はいないのか?」
まったく緊張感の欠片もない会話が聞こえてきて、デイルは一瞬眩暈がした。
しかし、最後に現れた人物を見て、眩暈も一瞬で吹き飛んだ。
(ターゲットだ!!)
*
「おい、どうしたモグラ!」
「見てわかるだろ、やられたんだ」
「誰に?」
「ターゲットの付き人の男だ」
「なに? 例の中年紳士か?」
「ああ。なんであいつの情報がなかったんだ? 下手なSランクより強いぞ、アレは」
「なんだと!? おい本当なのかセミ!」
「いや、オレは見てなかったから……」
「じゃあ何やってたんだよ、寝てたのか!?」
「違う! 護衛の冒険者とやってたんだ。情報が違ったんだ。あいつら、護衛を8人も雇いやがって」
「8人だと? どういうことだ?」
「そんなのいいから、早くモグラを治療してくれ! 血を一杯吐いたんだ」
「わかった、待て。おいキツネ!」
「今やってるよ……ったく」
「ああ、だんだんラクになってきた」
「こりゃかなり重傷だぞ。内臓の修復はオレじゃ難しいかもしれない」
「なら仕方ねえ。これを飲ませてやれ」
「お!? こりゃ上級回復薬じゃねえか。太っ腹だなクマさん」
「死なせるわけにゃいかねえからな」
「ほら、飲めよ」
「んぐんぐ……ぷはっ。おお、こりゃすごい。一瞬でよくなったぞ」
「上級回復薬だからな」
「助かったよ、クマさん」
「礼はいいから、しっかり働け」
「わかった。だが、あの男はもう勘弁してくれ。何度やっても勝てる気がしない」
「ならオレがやる。キツネ、援護たのむ」
「……わかった」
「ああっ! あそこ! 来たッ!!」
「くそ、早いな。あいつら」
「あれか。確かに中年紳士の他に8人いるな」
「セミとモグラは影人形でできるだけ護衛の気を引け。あと、あのトカゲどもの様子もちゃんと見てろよ」
クマとフォックスは、森の奥から回り込む。
セミとモグラは、ゆっくりとマリーベルたちに近づいていった。





