一切の希望を捨てよ
「何てことを……侯爵さま、何てことをっ!!」
「死にはすまい。大した怪我にはならんそうだからな」
ひとかけらの情けもなく、アレグリオ侯爵は言い放つ。爆風と刃物の雨を無防備に受けたサティーより、むしろ軽いくらいだ。
3階の窓から落ちたアマンダは、数秒静かであったが、すぐさま泣き叫ぶ声が響いた。
「アマンダ、無事で良かった!」と伯爵は喜び勇んで窓の下を覗くが、
「痛ぁい! 痛いわぁぁ! 何で私がこんな目に会ってんのよぉ! オルフとジェームズよ! あいつらがサティーをさっさと殺してればぁ! あのクソどもがぁ! 役立たず、ウジ虫野郎ぉぉ!」
聞いたこともない汚い罵声をあげる女がいた。可愛いく甘えてきたアマンダは、影もなかった。
かける言葉は、伯爵の喉の奥に引っ込んだ。
涙と傷と木屑でボロボロになりながら、アマンダは駄々をこねるように泣きわめく。
「早く助けなさいよぉ! 侯爵さま、侯爵さまのお屋敷に連れてってぇぇ! 私もサティーみたいに甘やかされたいぃ! 侯爵さまのお屋敷でゆっくり療養したいぃ!」
駆けつけた侯爵家の私兵が、彼女に縄と猿ぐつわをかけて回収し、護送用の荷車に乗せた。
希望通り侯爵家に向かうのだが、待つのは冷たい牢であることを彼女は知っているのだろうか。
窓際で、伯爵は膝から崩れ落ちた。
「……わ、私が、誰のために……」
あれは、本当にアマンダなのか。
愛しい男を、たった一度の失敗で、汚い言葉で切って捨てるような。
控えめすぎて魅力のない実の娘サティーと違って、多少のワガママすら愛しいと思ったメイド。
魔石の宝飾も流行のドレスも、何でも買ってやった。買い与えると、「私のために? 嬉しい!」と、ぱあっと瞳を輝かせて抱きついてくるのだ。
サティーならここで「こんなことに領民たちの税を使うなんて……」などと、賢しらなことを言って、自分より経営者ぶるのだ。
何と可愛気がない娘だろうか。
嫌味のように毎日地味なドレスで過ごし、平民である使用人たちにニコニコと媚びへつらう。
侍女を解雇してやれば、新しい侍女を雇って下さいと親に頭を下げにくるかと思ったのに、身支度を自分でしてしまうのだ。貴族のプライドすらない。
その点、サティーより3つ上のアマンダは違う。豊満な肢体に、年頃の娘の可愛いらしさ。男に甘える甲斐性もある。
自慢のアンティークコレクションを披露すれば、「旦那さまは目利きでいらっしゃるわ!」と惜しげなく賛辞をくれた。
「お嬢さまが私をいじめるの!」などと、ありもしないことをでっち上げて、構ってほしいとせがむのだ。
自分を見下しているに違いないサティーなど、娘とは思わぬ。隣国にでも追放し、アマンダを養女にした方が自分は幸せだ。
だからアマンダと、サティーとの婚約を破棄したいジェームズの立てた作戦に乗った。
あの日、ベッドで爆発音を待ちながら、ふたりの未来を語り合ったというのに。
「私が、誰のために毎日、働いてやったと……」
抜け殻のような独白に、侯爵は耳を疑った。
「卿が働いただと? いつだ?」
12月28日。
アレグリオ・イザーク侯爵の上申により、王家と貴族院の緊急審議を経て、オルフ・オーランド伯爵の爵位剥奪の方針が決まった。
この日、貴族法廷が設けられ、王宮内の法廷広間中央に、オーランド伯爵と、謹慎中のジェームズ、ピチカートが姿を現した。
簡素な白いシャツとよれよれのズボン、スカートのみの姿で、枷などはないが、10人の武装した兵士が槍を手に、彼らの座る被告席を固めている。
侯爵によって炙り出された事件に、領地へ戻る予定だった貴族らは旅程を取りやめ、足を運んだ。
オペラ劇場のような左右の2階傍聴席は、さながら話題の演目を今か今かと待つ観客である。
「あのシャルル伯爵の令嬢、すり寄っていた子息の数は両手の指では足りぬとか?」
「それに気づかぬとは、侯爵子息もオマヌケというか……」
「ご次男ワルターさまは大変優秀との噂ですな」
「シャルル伯爵は娘と縁を切り、領地へ引きこもったそうですぞ」
「気の毒に。ははっ」
「あぁぁ、今日のアレグリオ侯爵さまも精悍で素敵……」
「ところで、あのオーランド伯爵とやら、見覚えありまして?」
「夜会にいらしたことあったかしら」
「いたとしても、気づきませんわ。柱の上のガーゴイルかと思いますもの」
「可愛いメイドとお過ごしだったのでしょ」
ヒソヒソとした話し声と嘲笑が、伯爵らに存分に注がれている。
絶妙に当人らに聴こえるような音量でささやかれる会話に、3人は唇を噛んで耐えていた。
巨大な白い石壁に囲われた荘厳な広間の奥、上段には王家を現す黄金のグリフォンの像がある。その下段に、アレグリオ・イザーク侯爵と、侍従であり男爵のロウエ・イズマエル、そしてサティーが登壇している。
「サティー、怯えなくていい」
「はい……」
小さく震えるサティーを、侯爵は肩を抱いて優しく励ます。
視線を下げれば、自分を殺そうとしていた3人がこちらを睨みつけているのだ。サティーはぎゅっと拳を握り、己を叱咤する。
(大丈夫、旦那さまも、ロウエさんも側にいる……)
アマンダはこの場には呼ばれていない。貴族法廷に平民の立ち入りは許されていないからだ。
王家御用達の新聞【マレット・ジャーナル】の記者のみ、傍聴席の一席を与えられている。
「静粛に」
法廷官であるフォンタナ老公爵が上段に現れると、広間のざわめきは止み、一斉に着座した。
カーン、と開廷の鐘が鳴った。
公爵はアレグリオ侯爵と目線を交わすと、よく通る声で宣言する。
「これより、オーランド伯爵家における、サティー・オーランド伯爵令嬢の殺人未遂事件の公聴会議を始める。補佐官は事件概要の説明を……」
「あのっ、お聞き下さい、フォンタナ公爵さまっ!!」
広間に集った全員がぎょっとした。
被告席にいるピチカートが突如立ち上がり、無礼にも公爵の進行を遮ったのだ。
周囲の兵が瞬時に槍を構える。隣のジェームズとオーランド伯爵も驚いている。
「……何かね、ピチカート・シャルル伯爵令嬢」
不快な声をごまかしもせず、フォンタナ老公爵は発言を渋々許可した。
ピチカートはふるふると、胸もとのボタンをひとつ外しながら訴える。
「わ、私、知らなくてっ……ジェームズさまがサティーさまを殺そうとしてたなんて! そ、そりゃあ私も、サティーさまに意地悪されてたけど、殺そうとなんて思ってなかった。信じて下さい! 全部、ジェームズさまとオーランド伯爵家の人たちがやったことです! 私は無実なんですぅっ……!」
「お、おいピチカート! お前ばかりズルいぞ!」
「小娘、ふざけるな!」
罪をなすりつけられる、と直感したジェームズと伯爵が立ち上がるが、
「黙れ。鎖で縛りつけられたいか。それからピチカート伯爵令嬢、その娼婦のような真似はやめたまえ。目が腐る」
意外と言葉がキツかった老公爵にたしなめられた。3人ともしゅんとして、席に戻る。
ぎろりと被告席を睨み下すと、老公爵は今度こそ罪状を読み上げる指示を、法廷補佐官に出した。
「オルフ・オーランド。この者は愛人関係にある使用人を養女に迎えるべく、実子サティー・オーランドを排除しようとした。加えて、長年にわたりサティー嬢を虐待し、この度の殺害計画にも積極的に加担、阻止することはなかった」
「ジェームズ・イザーク。この者はピチカート・シャルルと婚姻を結ぶべく、現婚約者であったサティー嬢を排除、殺害しようとした。サティー嬢の部屋に刃物の入った鍋を仕掛け、爆発するよう仕向けた実行犯である」
「ピチカート・シャルル。この者はジェームズがサティー嬢の婚約者と知りながら、ジェームズと肉体関係を持ち、自分を婚約者とするよう迫った。また、同様の手口で13の貴族家嫡男に接触、肉体関係を持っている。殺害計画当日は別行動であるが、計画は知っており、阻止することはなかった」
「なお、殺害計画実行犯はジェームズと、オーランド伯爵家使用人の女である」
淡々と、罪状が述べられる。
傍聴席のざわめきは補佐官が口を開くたびに大きくなる。オルフ・オーランド伯爵は、このあとの進行に希望を託していた。
貴族間の揉めごとを、双方の話し合いで妥協点を探るのが、この公聴会議である。
王家が領地を与えた貴族が問題を起こすことを、体面を重んじる王家は良しとしない。侯爵家や公爵家があいだに入って、双方丸く納めるのだ。
つまり貴族は、いわゆる罪人にはならない。
平民の反感を買わない程度の貴族ルールでことを収めるのが、平民の裁判と違うところである。
(アマンダが全てやったのだ。アマンダの計画を証言すれば私は無実だ!)
このあと、フォンタナ公爵は問うはずだ。
「罪状に、異議はあるか?」と。
異議なしと素直に認め、アマンダの暴走のせいにすれば、領地に隠遁くらいで済むはずだ。
その時をオーランド伯爵はうずうずと待っていた。
はたして公爵は、口を開く。
「罪状に異議はあるかね、オーランド伯爵」
「ございません! そ、それは全て」
「だそうだぞ。アレグリオ」
公爵は、オーランド伯爵の発言をぶった切った。
満を持して、アレグリオ・イザーク侯爵が被告席を見下ろす証言台に立つ。
たゆたう沈金色のたてがみ、優雅に弧を描く口元に、伯爵は嫌な予感しかなかった。
「お、お待ちを……」
「潔く罪を認めた伯爵に、まずは敬意を」
アレグリオ侯爵は壇上で、左胸に右手をかざし、深々と頭を垂れた。
そして、侍従に持たせていたトランクを受け取る。
「あ――っ!!!!」
ジェームズとピチカートが悲鳴を上げた。
ふたりには見覚えのあるものだ。夜会にいなかった伯爵は、何のことか分からない。
傍聴席にも、ざわめきが起きている。アレが見れるのか、という期待感である。
侯爵は傍聴席に語りかけた。
「お察しのかたもおられる様子。これはアンバー記憶鉱石と名付けたもので、周囲の風景を記憶する魔石である。伯爵らの罪状を裏付ける証拠として、ここに公開したい」
わあっ、と拍手が起きた。
法廷は偶然にも、映してくれと言わんばかりに巨大な白壁に囲まれている。
血の出ない公開処刑がスクリーンで楽しめるのだ。
取り残されている伯爵をよそに、ジェームズとピチカートは、魔石を設置する法廷補佐官らを被告席から罵倒する。
「やめろ、やめないか! 父上、これは私への虐待では!?」
「やめろって言ってんでしょ! ひ、酷いわ侯爵さまっ! あの捏造の風景をまた人目に晒すなんてっ!! 捏造よ捏造っ!!」
アレグリオ侯爵は、沈痛な父親の顔を作って息子を見据えた。
「獅子は、千尋の谷に子を突き落とし、這い上がってくるのを待つという。ジェームズ、私はお前を、そう育てようと思う」
「いや、もう育ちきってますけど父上!?」
手遅れ感がハンパない親子の対話の間に、記憶鉱石公開の準備が整った。手順通りに魔石をセットし、出力を開始する。
「さあ、反省の時間だ」
ピチカートの裏工作のリバイバル上映と共に。
新作として、侯爵がブローチとして身につけていた鉱石が記憶した、伯爵邸での一幕を白壁に映し出した。
【「あっ、パリス子爵令息さまぁ、お願いがあるんですけどぉ~、私がサティーさまに突き飛ばされたって、証言してもらえますぅ? お礼はぁ……カ・ラ・ダ・で☆」】
【「あぁ~んジェームズさまぁ、うまく包帯が巻けないのぉ~」
「包帯? 何でそんなものを?」
「うふ、私がサティーさまに意地悪されてるってイメージ作りよ☆」
「なるほど、サティーを悪役令嬢にするんだな。そうすれば婚約破棄したって不自然じゃない。さすがは俺のピチカートだ!」】
【「サティーを眠らせ、暖炉に火を入れ、スープの入った鍋を火に掛ける。これで『爆弾』が完成する」
「な、何故そんなことを!! アマンダがするわけがない!」
「使用人が主の部屋を暖める。アマンダも言ったな、使用人ならする仕事だ。それを、『するわけがない』? 何故かね伯爵?」
「そ、それは」
「まるで危険であると知っているかのようだな」】
【「もうたくさんよ! 私は楽してこの家の娘になるはずだったのにっ!! お嬢さまの怪我なんて顔だけで、ぜんぜん大したことないじゃないっ」】
【「痛ぁい! 痛いわぁぁ! 何で私がこんな目に会ってんのよぉ! オルフとジェームズよ! あいつらがサティーをさっさと殺してればぁ! あのクソどもがぁ! 役立たず、ウジ虫野郎ぉぉ!」】
傍聴席で、誰かが「ブラーヴォ!!」と叫んだ。
そして湧き上がるスタンディングオベーション。
法廷は涙と笑いと嗤いに包まれ、上映会は拍手喝采のうちに幕を閉じたのであった。




