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目には目を

 オーランド伯爵の堕落は、6年前、サティーと侯爵家の長男ジェームズとの婚約が決まったときから始まった。

 もともと才覚に乏しい男で、妻はサティーが4つのときに間夫と出ていった。

 監督するべき鉱山事業も、援助を買って出た侯爵家に丸投げした。

 黙っていても入ってくる貿易収入。好みの若いメイドも雇い放題。数人は手をつける前に辞めたが、アマンダは喜んで伯爵と寝た。

 サティーと違って可愛らしく甘えてくるアマンダと、有り余る金で贅沢をした。



 ジェームズは父アレグリオの人望と影響力もあり、周囲の者は敬意あるいは下心を持って彼に接した。要するにおだてまくった。

 父が偉大なら自身も偉大と勘違いした。

 貴族子女学園に入学する頃には、サティーに誓った婿入りも忘れ、自分が侯爵家の後継だと信じて疑わなくなった。

 お小遣いたんまりある彼はモテた。中でも美少女ピチカートは、とにかく彼を褒め、自尊心を大いにくすぐった。


 才がなく欲だけがある者同士、伯爵とジェームズ、アマンダとピチカートは意気投合する。


 浪費に苦言した者は、その瞬間に解雇された。

 侍女、執事、庭師、馬丁と、使用人たちはサティーの今後を案じながら、ひとり、またひとりと伯爵家を去っていった。





「……私がいた部屋には、暖炉はありましたが、火を入れてはもらえませんでした。シェフも父に逆らえないため、食事は1日か2日に一度、冷たいパンとスープだけでした」


 隣に座るサティーの語りを黙して耳に入れながら、侯爵は眉間のシワを深くしていた。

 かたわらでは侍従ロウエが、サティーの証言を記録している。王家に提出する伯爵家の監査書となるものだ。


「私が指示したように言うな! 早く飲まないからスープが冷めただけだろうが!」


 伯爵が憤慨して口を挟むが、


「黙れ。耳障りだ」


 獅子のひと言で萎縮する。

 侯爵がサティーに続きを促した。


「あの前の日……12月2日はとても寒い日で、シェフは朝にこっそりと、私に温かいスープを用意してくれました。ベルもそれを承知の上で、運んでくれました」


 それが伯爵とアマンダの機嫌を損ね、厨房のふたりは即日解雇となったのだ。

 

「いつもなら、食事のワゴンをベルが片付けると、そのあとは誰も来ません。ですが、その日はアマンダが夜にも温かいスープを、ジェームズさまと一緒に運んできて……」

「な、何よ、悪いの? 使用人がお嬢さまに温かい食事を運ぶのは当然でしょ!?」


 いよいよ核心に迫っているからだろう。必要以上の大声で、アマンダはサティーの話を遮ろうとした。

 睨みつつ、侯爵がアマンダに尋ねる。


「それは何のスープだったのかね?」

「え? ……ぽ、ポタージュですわ」

「いいえ、キャベツ入りの塩味スープです」


 あっさり嘘が看破され、ばつの悪い顔でアマンダは黙り込む。そしてサティーもまた、顔を曇らせた。


「……学園でも、ジェームズさまとお喋りすることは稀でしたのに、その夜はジェームズさまからお喋りをされてきました。でも、失礼ながら、私はだんだんと強い眠気に襲われて……いつの間にベッドで眠ったのか、分からないのです。気づいたら、爆発でベッドから落ちていました」

「眠り薬だろうな……」


 サティーを確実に爆発に巻き込むための工作だ。明らかな殺意である。

 ジェームズは爆発物を仕掛ける作業要員でもあるだろう。アマンダひとりではできなかった。メイドに、いや、女性にできなかった作業……

 

 侯爵の耳に、サティーの先ほどの言葉がよみがえる。温かいスープの話だ。


「アマンダ。何故、君がスープを作ったのかね?」

「えっ……」


 びくりと、アマンダの顔が凍る。


「君のサティーへの忠誠心は恐ろしく低い。ベルに任せてもいいはずだ。しかしベルが作れば、彼女は自分で食事を運ぶ。君は、スープを作り、その重い鍋ごと運ぶ必要があった。違うかね?」


 本来なら厨房でスープ皿に分けるはずだ。しかし彼女は鍋を部屋の前まで持っていったと、侯爵は断じた。


「何故ならワゴンには、他にも運ぶものがあったからだ」


 侯爵は、応接室の暖炉を指す。


「薪だ。それをジェームズがここから運んだ。サティーの部屋にはなかっただろうからな。君らは、サティーの部屋を温めることが目的だった」

「……!!」


 アマンダの声にならない悲鳴が聞こえるようだった。青ざめた顔で震えている。自供しているようなものだ。


「サティーを眠らせ、暖炉に火を入れ、スープの入った鍋を火に掛ける。これで『爆弾』が完成する」

「な、何故そんなことを!! アマンダがするわけがない!」


 唾を飛ばして伯爵が横槍を入れるが、侯爵は我が意を得たり、と目を細めた。


「使用人が主の部屋を暖める。アマンダも言ったな、使用人ならする仕事だ。それを、『するわけがない』? 何故かね伯爵?」

「そ、それは」

「まるで危険であると知っているかのようだな」


 冷たい瞳で父を追い込んでゆく夫に、「危険?」と小さくサティーが呟く。

 一度うなづくと、侯爵は侍従に言付ける。


「ロウエ、厨房に現在ある調理器具、鍋の種類を知りたい」

「かしこまりました」


 侍従が扉へ向かうのを、「ま、待って!」と追いかけようとしたアマンダだが、


「動くな。君がいま這いつくばっていないのは、君が女性だからだ。本来なら、そこの家令と同じ形になっている」


 侯爵の視線の先で、床を舐めるように寝そべり顔を歪める家令の姿に、彼女は足を留めた。

 侯爵は隣の妻にのみ、穏やかに語りかける。


「空焚き、といってね。中のスープが全て蒸発してしまうほど、鍋を長く火に掛けておくと、鍋が温まりすぎて破裂する。とてつもない破壊力を持った『爆弾』になる」

「……!」


 令嬢は料理をしない。厨房に入ることもない。

 サティーは、鍋が火に強いことは知っていても、限界を超えて熱された鍋がどうなるのかは知らなかった。

 熱し続け膨張した鍋は、部屋の窓ガラスを全て割り、ベッドの天蓋をなぎ倒すほどの力で爆発した。鍋の原形も留めないほどに。

 部屋がそれほどまで加熱されても、割れた窓から吹き込む風で証拠は消える。

 主寝室は爆発の影響の及ばない西側にある。ジェームズも当然、伯爵邸を辞している。

 この夜の主犯らは、スープの蒸発する時間でアリバイ工作を成功させたのだった。

 


「本来、暖炉の中は鍋を掛けるようにはできていない。鉄の五徳を用意し、蒸発の時間を計算してスープを入れた重い鍋を掛ける。その力仕事は、メイドではなくジェームズがやったのだろう」

「……ジェームズさまが、私の怪我の心配をしたと仰ったのは、嘘なのですね」


 侯爵は口をつぐんだ。

 静かに、寂しげに呟いたサティーの言葉は、アレグリオ侯爵の胸を深く抉った。

 最後に聞いた婚約者の言葉すら嘘だった。その虚しさは、怒りは、いかばかりだろうか。


「失礼いたします」


 サティーを慰める言葉もなく、慰める資格も見出だせないまま、膠着した空気を破るように侍従が戻ってきた。

 アマンダは、いよいよ顔色を無くす。


「厨房の器具に、失ったと思われるものは見当たりませんでしたが……大鍋が見当たりません。それから、食器がずいぶんと不揃いでした。ソーサーがなく、カップだけがあり。ショットグラスが5つあるのに、ワイングラスはふたつしかない」

「なるほど、鍋に入っていたのはそれらの破片か。飛び散っても、サティーの部屋の花瓶なり窓ガラスだと思わせられる」

「はい。それと、興味深いものがございました」


 侍従は、侯爵に数枚のメモを差し出す。


「かまどの横に張られていた、スープのレシピでございます」


 シェフなら必要ないであろう、材料や使う食器、調理の手順などを記したメモだ。

 解雇されたシェフが、出て行く前にこれから食事の支度をすることになるメイドへ、親切に書き残していったものだった。


「他のスープは全て同じ筆跡ですが、1枚だけ筆跡が違うものがありました」

「ほう。……キャベツ入りの塩味スープ、だな。一番手順が簡単な」

「左様でございます。そしてこちらが、家令の部屋から押収しました、使用人の雇用契約書です」


 侯爵は侍従の意図を察し、アマンダのサインと、レシピの筆跡を見比べる。

 口元に、笑みとも嘲笑ともとれる歪みが浮かぶ。

 

「アマンダ。このレシピは誰に聞いたものかな? 先ほどいた偽の侍女、町の食堂の娘か?」

「そ、それは……」

「君は他のスープは作れなかった。難しすぎた。急いで簡単なスープのレシピを求めた。違うかね? まあ、先ほどの娘に聞けば知れることだが」


 じわじわと追い詰められ、場の空気に耐えきれなくなったメイドが叫ぶ。


「……もうたくさんよ! 私は楽してこの家の娘になるはずだったのにっ!! お嬢さまの怪我なんて顔だけで、ぜんぜん大したことないじゃないっ……」


 罵倒が終わる直前に、アマンダの体が浮く。

 ソファから立ち上がり、一瞬で距離を詰めた侯爵が、胸ぐらを掴んで持ち上げたからだ。

 レディへの対処ではない。吊り上がった空色の目、天を衝くたてがみ。侯爵の怒りに、全員が固唾をのんだ。


「サティーの傷が、目に見えるものだけだと本気で言っているのかね? 父親に、君らに、婚約者によって刻まれた傷は彼女の心にまで及んでいる。彼女の傷が大したことがないと言うのなら、君も同じ傷を負ってみるといい」

「え……」


 声を詰まらせたアマンダだが、爆弾はもうない。せいぜい殴打だろうと、たかをくくった。

 「こ、侯爵さま、横暴ですぞ!」とオーランド伯爵が追いすがるが、侯爵の歩みは止まらない。


 応接室を出て、アマンダを引きずったまま階段を登る。途中、枯れた花がいけてある花瓶を引っ掴み、3階のサティーがいた部屋へ踏み入った。

 惨状は片付いていたが、割れた窓には板が張られ部屋は薄暗い。絨毯は破れたまま、ベッドには天蓋を失った柱が、釘をむき出しにしていた。

 怪我をしたサティーへの待遇は、なにひとつ変わっていなかった。

 侯爵は、言葉もない。


「侯爵さま、な、何を!」


 花瓶を掴んだ手で、窓に張った板をかち割った。

 大小の木っ端が外に落ちてゆく。

 花瓶も手を離れた。木片の中で固い音で砕け、白い破片が地面に散る。

 胸ぐらを捕まれたままのアマンダは、ここに来て己の運命を悟った。窓に近づく体を必死に捻り、懇願する。


「こ、侯爵さま、お許し下さいませ!! 私は、伯爵、伯爵に頼まれただけですっ! お嬢さまに恨みなどありません、お嬢さまは大変できたお方で使用人にも優しくっ」


 それ以降を言うことは、叶わなかった。


「アマンダぁぁあ!!」


 黒いワンピースが宙を舞い、窓の外に落ちて行った。

 遠目には、怪鳥が撃ち落とされたかと思うであろう奇声をあげて。 


 

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