25話 「破綻」
「ああ、目的は十分に果たせた」
なぜか、真壁択真がそれに答えていた。
「……どういうこと?」
「この場を利用していたのは、アンタたちだけじゃないってこと、言われなきゃわかんない?」
不安が明確な形を持った。
シナリオが、変わっている。
本来のシナリオなら、兼継の交渉に真壁派閥が乗ってこの場は解散となる流れだった。その後、彼が紫苑の力を借りずに世界を公にしようとすることそのものは変わらないけれど、そこに私たちが介入し止められる算段を立てていたというのに。
「アンタ達はこの会談で応接室に択真を縛るつもりだったのかもしんないけど、アンタたちが思いつくことを択真が思い至らないとでも思ったわけ? ここにアンタたちを縛っておきたかったのは、ウチらも変わんないだよ!」
ふと瞬きをする間もなく、目の前にいた男の姿は真壁択真のそれから別人へと変わってみせた。
短く整っていた髪型が少しだけ伸びた。眼鏡だって掛けていなかったし、角ばった頬骨からはげっそりとした印象を受ける。
その人の顔を初めて見るけれど、名前はわかった。
数式の世界、数元学だ。
「……なんで?」
やられた、だまされていたんだ。
何をされていたのか、おおよそ検討がつく。
彼女、弐識美音の認識の世界だ。それで数元学を真壁択真と認識させられていたんだ。
でもなんで?
「西鶴!」
「うん、ここまで彼の言葉に嘘はなかったよ。間違いないよ、最初に合ったその時から」
おかしい。彼は最初、私たちを出迎えた時に自分から真壁択真を名乗っていた。それが西鶴の世界に映らないはずがないんだ。
「だーかーら、互いに素性を知ってんの。この作戦を実行するにあたって一番厄介なのは、欺瞞の世界。それくらい対策するに決まってるでしょ」
「対策……?」
「最初に会って挨拶したのが、択真本人ってこと。アンタらがここに時間の世界を連れて来ないことは想定済みだけど、欺瞞と言葉の世界二人で来たりされても困るわけで、当日アンタたちの出方を見て、こっちの動きを変えたんだよ」
「あの電話、あれが自作自演だった……ということかしら」
「そゆこと」
仮にそうだとしても、紫苑のノートにそれが書かれていなかったってことは、やっぱり未来に干渉できる世界が真壁派閥に協力しているんだ。
いや、今そんなこと考えたって仕方がない。彼女は私たちをここに縛っておくのが狙いだと言っていた。そうなれば考えられるのは揺動、真壁本人が紫苑の居場所を知っている可能性すら考えられる。
「兼継!」
一刻も早く、ここを離れないと。
「おう!」
同時に全員が立ち上がった。
「行かせると思う?」
「悪いけど、通してもらうよ」
西鶴が机を蹴って倒した隙に、兼継は私の手を引きながら、
「西鶴、詩葉! ここは任せた!」
そう言い放って、向いているのはガラスの方向。
まさかここから飛ぶつもり?
「え? 待って、ここ45階だよ!?」
「行くぞ、香織!」
「ちょ、ちょっと────」
有無を言っている暇もなく、窓ガラスを突き破って飛び出した。
ガラスが割れる乾いた音と七色に光を反射して飛び散るその欠片。兼継の世界で怪我はしないものの、こういうの、本当に慣れないな。
身体全身に風圧を感じながら、さっきまでいた場所を見上げると弍識美音がこちらを見下ろしていた。
「ったく、面倒増やさないでよ……」
ガラス片が飛び散って街を行き交う人々が何事かと見上げていたのに、すぐに何事もなかったかのようにこちらを気にしなくなった。
多分、まだ世界を公にしたくなくて認識の世界で書き換えたんだ。
「学!」
「わかっている」
交渉が上手くいかなかった時のために、近くのビルの屋上に空飛ぶ箒を隠してある。まずはそこで箒を回収しないと。
飛び出して3階分くらい落下したものの、兼継の世界で重力に逆らえるから、その後は空中に足が着いた。
踏んだ感触は何もないのに、踏み込むと空気に押し返される。
違和感を拭えないまま走っていたんだけど、すぐにそれは別の形の違和感と成す。
理屈はわからないけれど、徐々に兼継の速度が遅くなっている。気がする。
「兼継? どうかした?」
「思うように進まねぇー、多分干渉されてる」
兼継の世界は力だ。それに干渉できる世界となると、数元学だろう。
兼継が定義する力も彼にとっては数式で表せる結果に過ぎない。兼継の推進力に干渉しているのかもしれない。
「香織、悪いがすこし手荒になる」
手首を掴んでいた兼継の手のひらが、背中に回ってなんとも嫌な予感がし始める。
「な、なにするつもり?」
「あっちのことは任せたぞ」
相変わらずなんの説明もしてくれないけれど、薄々感づいていた。
「な、なるべく優しく───」
聞く耳を持たないのもいつものことなんだけど、サイドスローでボールを投げるかのように振りかぶって、
「してほしかったんだけど!!」
ビルの屋上めがけて投げ飛ばされた。
数百メートルは離れていたビルが、すごい勢いで近づいてくる。
「これ着地ってどうす───」
振り返ると、兼継もすごい速さで数元学がいる方向へ引き寄せられていた。
だめだ、すでに声が届く距離じゃない。
首を正面に戻すと、それがもう目の前だ。
思わず顔を背けて目を瞑るけれど、死を覚悟するレベルだった。
でも、ぶつかる寸前で急激に減速して、足から無事に着地できた。
「……あの状態から書き換えたっていうの?」
今考えるべきはそこじゃない。真壁の事務所から結構距離があるけれど、追っ手が来ないとも言い切れないし。
数秒だけ来た方角を振り返った。
まだ誰かが追ってきているようには見えない。
「無理しないでね、みんな」
屋上の出口辺りに立てかけてある箒を手に取って、アジトに向けて飛び立った。
* * *
蹴り上げられた机が宙を舞った。
木製の重々しいそれは、見た目とは相反して空中で幾度となく回転している。
「西鶴、詩葉! ここは任せた!」
それがまだ宙を舞っている間にガラス片が飛散して、室内に強風が吹き込んできた。
高層階に吹き込む風は激しく、壁に掛けられたカレンダーや椅子がフロアーの内側へと吹き飛ばされていく。
言い残した兼継の背中を、西鶴は周辺視野で見送った。
方や中心視野では、細長いテーブルが真っ二つに切り分けられる瞬間を捉えている。
「うわっ、そこまでするっすか」
空中で割れていくテーブルの奥に覗いたのは、自身の腕よりも細く長い剣を振り下ろした十亀隼人の姿。テーブルはその背後に流れ、床を打って鈍い音を立てた。
自重で砕け、飛散する破片は風に乗って、微かな木の香りだけを残す。残骸の断面には一切のケバ立ちすらなく、剣の切れ味が伺えた。
「君達まだ高校生っすよね? 意外と荒っぽいっすねー」
どこから取り出したのかさえ不明瞭なそれの先端が向けられる。
「そんなものを持っている人に言われたくはないね、銃刀法違反だよ、それ」
当然、西鶴にあの大きさの机を蹴り飛ばせるほどの脚力はない。木製のそれを軽量プラスチック製のテーブルに書き換えてから蹴り上げていたとはいえ、それをいとも簡単に、十亀は両断して見せた。
「剣は銃でもなければ刀でもないっすっよ? むしろ、君の持ってるそれこそ、完全にアウトじゃないっすか」
「これ、エアガンなんだ」
警告もなく引き金は引かれた。銃声は火薬のそれに他ならない。
だが十亀の額に向けて放たれたそれは、紛うことなくおもちゃの弾丸だ。小さくて丸く、オレンジの色をしている。しかしながら銃口から上がる煙からは火薬の匂いが立ち昇る。
弾速もその数倍は速く、人の反射神経では当然捉えられないが、十亀はそれを軽く振り上げた剣で当然のように切り伏せた。
そのまま投げ上げたそれは、空中で淡い光となって消えてなくなった。
「それを言うならほら、剣なんてどこにもない。見間違えたんじゃないっすか?」
「隼人、何やってのよ? アンタ」
「あ、美音ちゃん」
十亀を見るその表情は心底呆れている様子。
「そっち、どうなりました?」
軽い口調で尋ねながらも、視線が西鶴から外れることはない。
「どうなった? じゃなくてさ、アンタの役目は逃走者の追跡でしょ? ここはいいから早く追ってよね」
「悪いけど、そうはさせないよ」
エアガンとは思えないほどの音を響かせて、再び小さな弾丸が放たれる。吹き込む風の速度や向きも考慮しながら、狙った先は美音の右足。十亀を狙った時とは異なり、急所を外しているのが彼なりの温情だったのだろう。
しかし、その弾丸が美音に届くことはなく、はたまた十亀に防がれることもなく、ただ地面に落ちて転がった。見た目と反してその音は重々しい。
「十亀、弐識、早くしろ。もうじき力兼継が戻ってくる。ここにいたら巻き込みかねないぞ」
「数元さん! ナイスっす」
速度を低下させたのか、それとも弾丸の飛距離を収束させたのか、いずれにしても弾丸が届かなかった事実だけが残っていた。
「隼人はともかく、あたしは気にしなくていいって。てか、隼人は早く行って」
「りょーかいっす」
「西鶴、止めて」
「うん────」
距離を詰めようと西鶴が動き出すその瞬間にはもう、十亀の姿はそこになかった。
「ざんねーん、あんたたちの相手はあたしねー」
いつの間にか数元の姿も見えなくなっている。それどころか、先ほどまで強風が吹き荒れる応接室にいたはずなのに、西鶴と詩葉の視界にはおしゃれな喫茶店が映っている。
「認識の世界……だね」
「そ。アンタたちの相手をすると言っても事が終わるまでここにいてもらうだけだから、まー適当にくつろいで」
美音は窓側のカウンター席に着いて、どこからか持ち出したグラスを口に運んだ。
木を基調とした店内にどこかで聞いたことのある音楽が流れている。席はまばらに埋まってて、するはずのない珈琲の香りが鼻に届く。
誰一人立ったままの二人を気に掛けないこと以外、違和感がなかった。
「お誘いは嬉しいけど、そういうわけにもいかないんだ。これ以上邪魔をするなら力づくになるけど、いいかい?」
構えたエアガンの先は、その額を捉えている。
「あのさー、こうなってる時点でわかんない? アンタたちの目の前に見えるあたしが、本物だと思う? 先に言っておいてあげるけど、外部からの強い干渉でもない限り、あたしの世界からは抜け出せない。試しに打ち抜いてみたら?」
ショートケーキが突き刺さったフォークを西鶴に向けながら言い放つと、口に運んでぱくっとたいらげる。
詩葉と視線を合わせてから、美音の肩に向けて放った弾丸は彼女どころか店舗の窓さえ通過して消えてしまった。
「ほらね? 大人しく力兼継が助けに来るまで待ってな。まー学との相性は悪いから、助けに来れるかどうかは別だけどね」
いまだ店内に立ち尽くす二人を、他の客は気にも留めていない。店員がレジを打ったり飲み物を作っている傍らで、客は飲み終わったコップを片づけ扉を潜って消えていく。
西鶴と詩葉も、頭では状況の異常さに気付いているものの、本物と見間違えるほどの風景だ。
「あーちなみに、認識が違うだけで元居る場所とかわんないから、変にうろついて窓から落ちても知らないからね?」
一口、また一口と美音はケーキを口に運んでいる。
その様子を眺めることしかできない二人。
出入口のベルが、来客を告げていた。




