24話 「理想の押し付け合い」
「話を割ってごめん、兼継。でもここからは私が話すよ」
もともと交渉は私がするって予定だったから、兼継は特に何も返さないまま、再び背もたれに身体を預けた。
「真壁さん、あなたの言う通りだよ。私達はあなたの理想を聞きに来たの。世界が公になった世界の先に、あなたの理想があると言うなら教えてよ、その理想を。私たちが思っている世界より良くなるなら、私たちに止める理由なんてない」
「より良く……か。君はこの世界をどう思っている? その言葉が示すに、君は現状に満足しているのだろうね」
「うん、そうなんだろうね。概ね満足してるよ。ちょっと前まで退屈な世界だって思ってたし、今だって信じられない程多額の借金を抱えてもいるけど、悪くないよ。こんな世界も」
状況的にはかなり最悪に近いんだけど、言葉はすっと喉を通り抜けた。こんな状況に陥っているにも関わらず、まだそんなことを言える私に、私自身が驚いているくらいだ。
「そうだろうね、だが私には、この世界が非常にくだらなく見えて仕方がない」
その言葉は、今までと違っていた。それも圧倒的に。
上辺だけを優しく撫でているだけのような、言ってしまえば中身を伴っていない無意味なものではなかった。こうもはっきり語彙を強めておきながら、その表情は未だに冷たいままだ。
「誰もが周りの人間の顔色を窺いながら、窮屈な社会に囚われて暮らしている。世界はこうも広く、未知に溢れ、自由だというのに多くの人間がそれに気づくこともない。無気力に生きる割に、テレビを見れば事件や事故、スキャンダルなんていう見知らぬ他人事にさえ一喜一憂し、暇さえあればSNSを覗く。そして自分より立場の悪い人間を見つけては罵倒し貶すために躍起となっている。自分自身よりも周りに目を向けていながら、他人を許容できるほどの余裕などなく、一般的な幸福や正解、優位を押し付け合う様は、生きているというより囚われていると言った方が近いだろう。だから私は、誰しもがしがらみに囚われることもなく、自身の価値観に基づいて生を謳歌できる世界に再構築しようと、そう思ったんだ」
「世界が公になったからと言って、あなたが望む世界になるの? 人は社会的な生き物で、その社会性に依存しているからこそ、どんな形であれ誰かから影響を受けて変わっていく。一人でなんて生きられない。全員が全員、自分本位で生きられるはずなんてないでしょ」
「そうだよ。そこだよ、一色君」
なんなの、その反応。
まったく予想と違う。嬉しそうにさえ見えるそれだった。
「全員が全員自分本位でなど生きられない。その言葉は無責任なんだ」
強い言葉を使って表情だって愉快そうなのに、その高揚感が声にも、依然もたれ掛かったままの姿勢にも表れていない。感情の希薄さに薄気味悪ささえ覚えた。
「まるで自分本位で生きられている、一定数の人間が肯定されているようじゃないか。母数で言えば少数だろうが、まったくもって平等じゃない。であれば自分らしく生きられる人間とそうでない人間。その違いはどこにあるのだろうね」
ようやく椅子から背中を浮かせて、視線は鋭く私に向かった。
「それは一人ひとりの立場や能力、価値観の差だと考えている。だからこそ、私は一人一人に問いかけてみたい。今見えているその世界、それは君にとってなんなんだ? とね」
彼がしたいこととは何か、私の中でその答えが少しづつ輪郭を持ち始めた。
紫苑の話だと、世界を公にしたことをきっかけに覚醒者が一気に増えるらしい。ということは、世界を知っていることで覚醒を促せると考えても不自然じゃない。
だとすると彼は世界を公にすることで、世界中に問いかけようとしているんだ。
その問いかけによって多くの人が、世界とは何かを自覚する。つまりは覚醒することを意味するのだから。
「その結果、多くの人が傷つくとしても?」
「得た世界をもとに何を成すかは、すべて個人の選択だ。その問いかけの果てに、この国が混乱に陥るのなら、そもそもこの国は、とうに民意など反映していないに等しい。民主主義が聞いて呆れるというものだよ」
「詭弁だよ、そんなの。どうあったって社会に不満を持つ人はいる。そしてその不満が恣意的なことだってあるんだよ? むしろ世界は、今までそれを実現できなかった個人に、その手段を与えかねない」
「その何がいけない? 善悪や倫理感なんてものは時代によって移ろう曖昧な基準だ。それとも君は、不幸にもこの時代のそれに沿わない理想をもって生まれた人間は、すべからく他者が理想を叶える姿を眺めるだけの屍として生きろというのかな」
「社会に害をなすのなら、私はそれでも肯定するよ」
「それこそ詭弁だ。少なくとも、少女一人を救うために街中でビル一棟を崩壊させたあの事件は、君の言う恣意的な不満が引き起こしたものだと、私は思っているのだがね」
「そ、それは……」
彼の視線が右に逸れた。彼の派閥には記優香がいるんだ、知らないはずはない。今ここに、その少女本人がいることも。
「言うまでもなく、あのビルにはプロジェクトアクト以外の事務所も入っていた。そのビルを無断で崩壊させた君たちは、世界を混乱させていないと? 要するにだ、君が満足しているというこの世界は所詮、他ではない君自身が、恣意的に世界を書き換えられるからに他ならない」
言われてはっとしてしまった。
あの件については彼の言う通りなのかもしれない。
犠牲者は出していないものの、その建物で働いていた人がいたんだ。その人たちからすれば、失ったものは多いだろう。
今の私が彼に返せる言葉なんて、もう───いや。
「……それでも、あなたがこれからしようとしていることとは、比べられないよ」
「それを決めるのは君ではない。私の問いかけに回答権を持った人々だ」
「それが本当に正しいと思っているの? 多くの人が望んでいると」
「わからないから問いかけるのさ。見たことも、話したこともない人間の考えを代弁しているつもりになっている君は、君自身を高く評価しすぎている。これは純粋な疑問だが、君はその力を正しく使えていると言い切れるのかな? 社会には君以上に優れた人間が大勢いて、君の知らないことを知っている人間も、君になせないことをなしている人間も存在している。その上で、自分達が偶然覚醒に至ったというただそれだけのことで、その力を正しく使いこなせると、本当にそう思っているのかな」
「そうは思ってないよ。でもそういう考えがあるならどうして他の方法を選択しないの? 私にはそれが不思議でたまらないよ」
「他の方法? では政治家らしく選挙でも行えばいいのかい? この国の選挙率は50%そこそこだ、先人たちが苦労して得たそれさえ、今となっては国民の総意を測りえない。皆、自らを当事者と認識すらできていないのだからね。当事者でない問いかけに、わざわざ時間を割いて答えるはずもない。その時点で既に、政治は敗北している。だから世界に生きる全員を対象に問いかけるんだ、その後は望む望まざるに関わらず、当事者となる。世界は大きく動き出すだろう。犠牲になる人間もいれば、生きる意味を掴む人間も出てくる。少なからず今よりずっと多くの人間が、己の価値観に基づいた選択をするようになるはずだ。その点において私は、今より良い世界になると断言できる」
「そんなの!────」
身を乗り出した私を、兼継は腕で制した。
「────もういいだろ、香織。これ以上話しても意味がねぇ」
「それには同感だが、そうだとして、どうするつもりなのかな」
「お前を説得できれば一番丸く収まったんだが、最初からそうならねーことはわかっていた。こっからは取引だ」
「ふむ……聞くだけ聞こう」
徐に立ち上がった兼継は、ポケットを探ってスマートフォンをテーブルの中央に置いた。
私たちの作戦が第2フェーズに入った合図だ。
「なにかな、これは」
「このビル、随分見通しがいいよな」
訝しんだ表情を浮かべつつも、帰ってくる言葉はない。
「紫苑、そっちの準備はどうだ?」
「いつでもいけるわ」
何も写さないままの画面から声だけが返った。
「悪いが先手を打たせてもらった。真壁択真、お前はもう時間の世界に観測されている。その意味はわかるだろ?」
今回、真壁派閥との交渉に臨んだのはここにいる4人だけだ。でも、私たちは全員でアジトを出た。
繋と胡桃と紫苑には、別の役目を担ってもらっていたんだ。
────真壁択真を紫苑に視認させること。
ノートによれば、近いうちに真壁派閥がアジトの場所を特定する予定になっているけれど、それは今日じゃない。だから3人にはできる限り速く目的を達成したのち、すぐ拠点に戻ってもらう手筈になっているんだ。
「正直俺は、さっきアンタが言っていたことがまったく理解できねー。だがアンタがその気である以上、どうしたって止められねーんだ。なら止めるんじゃなく、先に進ませてやればいい。先の世界を見せてやるよ」
紫苑の世界で彼の時間を進めて、未来まですべて見せてあげるんだ。
でもそれには一つ問題があった。彼がテレビ電話から私たちに世界を使用できないのと同様に、紫苑も実際に彼を視認しなければ世界を使うことができなかった。
だから紫苑たちを別行動にして、彼が必ず現れるこの場を使って遠方から先に視認させたんだ。
幸いにも今日の天気は曇り。箒で宙を舞いながら双眼鏡を覗いている人間がいたとしても、気付かれにくい。たとえ誰に見つかろうとも、真壁派閥にさえ見つからなければ、作戦に障りはないしね。
「それはいい、そこではきっと私の理想が体現されている、ということなのだろう」
「んなわけねーだろ、お前が見るのは、お前の人生だけだ」
「……私は今、脅されている。ということかな」
「手段を選ばないのは、こっちも同じだ。適当に50年先にでも行ってみるか? 言うまでもねーが、アンタが生きているという確証はどこにもないが」
あまり気分のいい作戦じゃないんだけど、要はいつでも彼を老衰させられるということだ。
当然実際にするつもりはないし、これで根本的な解決にならないのもわかってる。私たちはただ、時間が欲しいんだ。
彼の真意を聞くという目標が達せられた今、あとはもうここから無事に帰還することが最優先。これはそのためのカードでしかない。
「交渉と言うならば、そちらが提示する条件は何かな?」
「お前自身に世界を使え。『一生涯、時間の世界に関わらない選択』を自分自身にさせるんだ」
「ふむ……」
左手で顎を摩りながらも表情は重くない。その仕草にどこか余裕さえ感じ取れた。
「さて、どうしたものかな」
「悪いが俺らも暇じゃなくてな、今この場で選択してくれ」
「君達の言う通りにしても構わないが……いや、する必要もないな」
力が抜けたように椅子にもたれかかった彼は、表情も幾分か柔らかくなった。
安堵しているようにも見えるそれが、今日見せた表情の中で一番掴みやすかった。
「……どういうことだ?」
「君たちには、重大な勘違いがあるみたいだね。ここにいる全員が欠けたところでこの物語は終わらない。構わないさ、君たちの好きにするといい」
彼の余裕は一体なに? ただのハッタリ?
それとも私たちならそこまでしないと、高をくくっているの?
西鶴に視線を送って見るけど、目が合っても首を横に振られるだけだった。
真壁択真の言葉に嘘はない。
どの地点からなのかわからないけど、シナリオが変化し始めているみたいだ。
「後悔は、ないな?」
「ああ」
スマートフォンを拾い上げる兼継の仕草がいつもよりゆっくりで、それが躊躇いなのか、警戒しているのか、私にはわからなかった。
「───ぷっ」
思わず吹き出したような声は、真壁択真の左側から。私達から見て一番上座に座っている少女、弐識美音からだった。
「ちょ、美音ちゃん────」
「ごめん、もう無理」
十亀の言葉を遮って、唐突に声を上げて嗤い出した。
私たちに何か抜かりがあったとは思えない。それでも彼女の振る舞いから不安がふつふつと沸いて出る。
「いやーごめんね、面白くってつい」
「これ以上はまずいですって、美音ちゃん!」
十亀が必死に止めようとしているのに、当の本人は目に浮かんだ涙を拭っている。
彼女の言動の何一つを、真壁択真が言及することはなく、視線さえ向けていなかった。
「もういいでしょ、向こうが本性現したんだし、付き合ってあげる義理ないって。ねぇ、学」
私の思い違いでなければそれは、彼女の隣に座る男に向けて放たれていた。
そしてそれを肯定するように、
「ああ、目的は十分に果たせた」
なぜか、真壁択真がそれに答えていた。




