第七話 黒き英雄の疑惑
「……詳しく、お聞かせください。」
シリルがそう言って、ようやく部屋に置かれていた椅子へ腰を下ろした。
それを見て、ガレスは小さく息を吐く。
「やっと座ったか。」
「必要になりましたので。」
「はいはい。」
ガレスは机の上に広げられた書類を一枚ずつ並べていった。
「最初の事件が起きたのは三週間前だ。」
「場所は?」
「王都の東側。商業区画の外れだ。」
「被害者は?」
「四十代の男。商人だった。」
シリルは書類へ目を落とす。
「……商人?」
「ああ。だが、裏では違法な奴隷売買に手を出していたらしい。」
「逮捕歴は?」
「ない。証拠が足りなかった。」
シリルの指先が、書類の端をなぞる。
「死因は?」
「不明。」
「発見時の状況は。」
「自宅の寝室だ。ベッドの上で眠るように死んでいた。」
「争った形跡は?」
「ない。」
「室内への侵入痕は?」
「それもない。」
シリルは黙って次の書類へ目を移した。
「二件目。」
「王都西部。宿屋に泊まっていた男だ。詐欺師として有名だった。」
「三件目は?」
「娼館の経営者。裏で人身売買をしていた。」
「四件目。」
「殺人の前科持ちだ。」
一人。
また一人。
被害者の名前と経歴が並んでいく。
誰もが何かしらの罪を抱えていた。
だが、死に方だけは同じだった。
外傷はない。
毒もない。
魔術の痕跡もない。
まるで、ただ眠っている間に命だけを抜き取られたかのように。
「……死亡した時刻には、何か共通点がありますか?」
「今のところはない。」
「目撃証言は。」
「これもなし。」
「では、被害者同士の接点は?」
「それも調査中だ。」
シリルは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「犯人は被害者を選んでいる可能性が高いですね。」
「俺もそう考えてる。」
「偶然、犯罪者ばかりが死んでいるとは考えにくい。」
「ああ。」
「ですが、それならば動機が分かりません。」
「正義感って線は?」
「……。」
シリルは一瞬だけ考え、首を横に振った。
「犯人が独自の正義感から人を殺している可能性は否定できません。しかし、今の情報だけでは判断できないでしょう。」
「だよな。」
ガレスは腕を組んだ。
「それに、もう一つ気になることがある。」
「何でしょう。」
「死体の周辺から、魔力の残滓すら見つからねぇ。」
シリルの眉が寄る。
「……完全に?」
「ああ。」
「それは妙ですね。」
「だろ?」
ガレスは苦々しく笑った。
「だからこそ、黒き英雄の名前が出てきた。」
シリルは黙った。
「外傷がない。」
「魔術の痕跡もない。」
「しかも、殺されたのは悪人ばかり。」
ガレスは机を指で軽く叩く。
「噂が広がるには、十分すぎる材料だ。」
シリルは書類へ視線を落としたまま、静かに呟く。
「……フェリクス様が犯人である可能性はありません。」
「分かってる。」
ガレスは即答した。
「陛下もそう考えている。」
「でしたら、なぜ私を?」
「だからだ。」
「……?」
「お前に調べてほしい。」
シリルが顔を上げる。
ガレスは真剣な目でシリルを見つめていた。
「今回の事件を専門に調べる捜索隊を編成する。」
そして。
「その指揮を、お前に任せたい。」
「……お断りします。」
返事は早かった。
ガレスは眉を上げる。
「即答かよ。」
「当然です。」
シリルは椅子から立ち上がった。
「私はフェリクス様の護衛です。」
「分かってる。」
「でしたら話は早いでしょう。」
「だがな。」
ガレスは椅子へ深く背を預ける。
「これは英雄殿のためでもあるんだぞ。」
シリルの足が止まった。
「……。」
「このまま事件が続けば、黒き英雄が犯人だって噂は消えねぇ。」
「……。」
「それどころか、もっと酷い噂になるかもしれない。」
ガレスの声は静かだった。
「お前がこの事件を解決すれば、英雄殿への疑いを晴らせる。」
シリルはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……ずるいですね。」
「何がだ?」
「そのような言い方をされれば、断れないではありませんか。」
穏やかな声だった。
けれど、わずかに怒気が滲んでいる。
ガレスは苦笑した。
「悪いな。」
「本当にそう思っておられますか?」
「半分くらいは。」
「……。」
シリルはじっとガレスを見つめた。
「昔から、そういうところだけは変わりませんね。」
「褒め言葉として受け取っとく。」
「褒めておりません。」
「知ってる。」
しばらく睨み合ったあと、シリルは観念したように肩の力を抜いた。
「……分かりました。」
「お。」
「前向きに捉えておきます。」
「それは引き受けるってことでいいのか?」
「まだです。」
「まだなのかよ。」
シリルは立ち上がり、乱れのない礼服の袖を整える。
「フェリクス様のお許しが出ましたら、改めてご連絡いたします。」
「……お前なぁ。」
「何か?」
「そこまで徹底してんのか。」
「当然です。」
シリルは何の迷いもなく答えた。
「私が仕える御方ですから。」
その言葉だけは、冗談でも建前でもなかった。
ガレスはそんなシリルを見つめ、やがて小さく笑った。
「……相変わらずだな、お前は。」
「先ほども伺いました。」
「何度でも言うさ。」
シリルはそれ以上何も言わず、静かに一礼した。
「それでは、失礼いたします。」
「おう。」
扉へ向かうシリルの背中を見送りながら、ガレスは小さく呟いた。
「……頼んだぞ。」
その声が届いたのか。
シリルは足を止めることなく、ただ一度だけ小さく手を上げた。




