第六話 黒き英雄に忍び寄る影
シリルは足早に騎士団本部へ向かっていた。
フェリクスを屋敷へ送り届けるという、自分にとって何よりも優先すべき役目を途中で他の者へ任せることになったのだ。
それが気に入らない。
呼び出したのは騎士団長のガレス。
昔から世話になっている相手ではあるが、それとこれとは話が別だった。
重厚な扉を開く。
「団長殿。」
執務室へ入るなり、シリルは足を止めた。
「私はフェリクス様をお送りするという最重要任務を、他の者へ預けてまで参ったのです」
普段の柔らかな笑みは、どこにもない。
「それ相応の理由がおありなのですよね?」
静かな声音だった。
怒鳴っているわけでもない。
それなのに、妙な圧がある。
机に向かっていたガレスは、思わず顔を上げた。
「……ははっ。」
そして、困ったように笑う。
「相変わらずだな、お前は。」
「感心されているのでしたら、帰ります。」
「いや待て待て。」
シリルが踵を返しかける。
ガレスは慌てて手を上げた。
「昔話をしたくて呼んだわけじゃねぇよ。」
「そうですか。」
「昔からお前は――」
「帰ります。」
「だから待てって!」
ガレスは頭を抱えた。
昔から変わらない。
シリルとは家族ぐるみの付き合いだった。
幼い頃から知っている。
弟のように思っていた時期もあるし、今では立派な騎士となった彼を誇らしく思ってもいる。
だからこそ、こういうところもよく知っていた。
シリルは、フェリクスのこととなると驚くほど頑固になる。
「……まぁいい。」
ガレスは椅子へ深く腰を掛け直した。
「本題に入る。」
その声音から、先ほどまでの軽さが消える。
「最近、王都周辺で殺人事件が相次いでいる。」
シリルの足が止まった。
「……殺人事件?」
「ああ。」
ガレスは机の上に置かれていた数枚の書類へ手を伸ばす。
「ここ数週間で、すでに何件も起きている。」
紙をめくる音が、静かな室内に響く。
「だがな。」
ガレスの表情が険しくなる。
「どうにも妙なんだ。」
シリルは黙ってガレスを見る。
「妙、とは?」
「殺された奴らに、外傷が一切ない。」
「……。」
「斬られたわけでもねぇ。刺されたわけでもねぇ。毒が検出されたわけでもない。」
ガレスは一枚の書類を指先で叩いた。
「まるで、眠っている間にそのまま命だけ抜き取られたみたいにな。」
シリルの瞳が細くなる。
「死因は?」
「今のところ不明だ。」
「魔術の痕跡は。」
「ない。」
「目撃者は?」
「それもいねぇ。」
シリルは黙り込んだ。
不可解だった。
これだけの事件が続いているというのに、手掛かりが何一つない。
そして――。
ガレスが、ふっと口元を歪めた。
「……それだけじゃねぇ。」
シリルが顔を上げる。
「被害者には、ある共通点がある。」
「共通点?」
「全員、何かしらの犯罪に関わっていた。」
シリルの眉がわずかに動いた。
ガレスはその反応を見逃さなかった。
「窃盗、詐欺、人身売買……中には殺人までな。」
「……。」
「だから王都じゃ、妙な噂が広がり始めてる。」
ガレスはそこで一度言葉を切った。
そして、シリルの顔を真っ直ぐ見つめる。
「黒き英雄が、悪人どもに裁きを下してるんじゃねぇかってな。」
シリルの表情から、完全に笑みが消えた。
「……くだらない。」
低い声だった。
「俺もそう思う。」
ガレスは肩をすくめる。
そして、わずかに口角を上げた。
「だがな。」
その目が鋭く光る。
「外傷が一切ないんだ。」
シリルは何も言わない。
ガレスは静かに続けた。
「……まるで黒き英雄殿の殺し方みたいじゃないか?」
室内に、重い沈黙が落ちた。




