第7話 『少年の憑依』
視界が揺れる、脳が揺れる、世界が揺れる。
揺れているなかで無意識に体を動かそうとする。
意識が朦朧としているのか、立ち上がりつつも体がふらふらしている。
何が起きている……?俺は確か――、
少年が記憶を探ろうとしていると、目の前の男が動き出す。
「―――はずだぁ!」
目の前の状況が呑み込めないのか、少年はその男の対応ができない。
そのまま男に組される。
そして、首を絞められた直後、少年の記憶が少しずつ蘇る。
――父親に殴られていた日々。
――父親の死に顔。
――自分が自殺した直前。
今までの記憶が頭に思い浮かんでくる。
「誰だか、知らないが死ねぇ!」
記憶によれば、俺は死んだはずだ。
なのに、なんでこんな状況になっている……?
「どういう……ことだ?」
死ぬ前に夢でも見ているのか?
だとしたら、最期に見るのがこんなものなんて。
この状況で鮮明に思い出していたのは親に暴力を受けていた記憶だ。
少年には、目の前の男が記憶のなかにある父親が暴力を振るっていたときの姿と重なって見えた。
「俺は……あのとき……」
ッ……突然、頭に痛みが走った。
体の持ち主の記憶の断片が自分に宿るのを感じる。
父親に無抵抗に殴られる記憶と、目の前の男に襲われる現実が混同する。
体の持ち主だった者が殴られていた記憶と、自分が殴られていた記憶が混ざり合う。
混ざり合って、体の持ち主だった者の気持ちが伝わってくる。
そして、自分の気持ちと体の持ち主だった者の気持ちが混ざり合っていく。
俺は、あのとき――本当はどうしたかったんだろうか。
今、問いかけているのは、自分なのか、体の持ち主だった者なのか、確かではない。
でも、確かなものはある。俺の心だ。
「そうだ……あのとき、俺は。本当は……本当に俺がしたかったのはっ……」
そうだ。俺がしたかったのは諦めでもなく、絶望でもなく――。
希望を持って、目の前の理不尽に抵抗することだった。
体は動く。
手は、足は、頭は、正常に機能している。
なら、抵抗できない道理はない。
他に必要なのは一握りの勇気だけだ。
「がはっ」
目の前の男を退かすことに成功した。
だが、成功しただけではまた無慈悲に襲られる。
そんなものは言わずとも知れている。
だから、後は相手が自分を襲えない体にするだけだ。
少年は、倒れた男に組して殴り始める。
殴る、殴る、殴る――。
今までの人生の不満を、憤りを、怒りを、悲しみを拳に込めて目の前の男にぶつける。
ただひたすらに。
男の動きが止まっても、少年は殴り続けた。
「ハァ……ハァ……」
「人を殴るって、こんなに痛かったんだな」
感慨深く、少年はそう言葉にした。
いつも俺を殴っていた、あいつも痛かったのだろうか。
「つか……れた……」
少年はそう口にすると倒れ込むように意識が遠のいた。
意識を失っている間、少年の頭の中では混ざり合っていた断片的な記憶が少しずつ整理されていった。
その断片的な記憶はぼんやりとした意識の奥に静かに浮かび上がる。
※ ※ ※ ※ ※
――お前なんて、生まれてこなければよかったのに。
――なんでお前のせいで、俺が苦しい思いしなくちゃいけねぇんだよ。
――この借金は、お前のせいだ。
――■■が出て行ったのは、お前のせいだ。
――こんな生活が強いられているのもお前のせいだ。
――分かっているよ。俺にも、こんなことが悪いってことぐらい。
――■■は、死んだ。こんなことがあっていいのか……?
――でもよ。分かってくれ。こうでもしないと気が狂いそうになんだ。
――いいはずないだろ!俺にはあいつしかいなかったのに。
――何もかもお前のせいにしないと、この状況に納得ができないんだ。
――■■は死んだのに、なんでお前は平然としてるんだ!
――お前は少しでも働いて、生んでよかったと俺に思わせてくれ。
――■■は死んだんだよ!俺に口答えするってのか?
色んな記憶の断片が、少年の頭の中に入り込む。
記憶の断片が生前の父親と今世の父親らしき姿が所々重なって、見えるときがある。
そして最後に見えたのが。
――お前、最近元気にしてるか?
それがきっかけに、少年が飛び上がる勢いで起きる。
「ハァ……ハァ……」
少年は、汗を流し、疲れているように見える。
それも無理はない。
混濁されていた断片的な記憶、二人分の記憶が一気に整理されたのだから。
「ふぅ、どうやらここはあの世でもないみたいだな」
記憶の整理が終わったのか、今いる場所があの世ではないと知った。
自殺を謀ったので、この場所をあの世であると思ったがどうやら違うらしい。
一瞬で色んな出来事があり、気持ちが渋滞しているが、今の気持ちを一つでいうなら困惑。
どうして、こんなことがあり得るのか。
どういう原理で、別の世界でおそらく死んだ人間の意識に入るのか。
おそらくといっているのは、死んでいると確証がないから。
もしかしたら、意識が失っていただけかもしれない。
そうなると、俺はこの体持ち主だった者のの意識を奪ってしまったのか?
「それは、おそらくないか」
今世の父親らしき存在が襲い掛かるときに、殺したはずだと叫んでいた。
なら、殺したのだろう。
死んだことを確証した人のセリフだ。
そこは、少しほっとした。――ほっとした?
先ほど、体の持ち主の父親を殺したいうのに。
意識が曖昧だったとはいえ、父親を殺したのだ。
そんなことでほっとするなんて、間違っている。
父親を殺したことに罪悪感を少しでも感じる必要があるはずだ。
罪悪感を感じるどころか、殺した実感すらない。
「俺はこんなにも、人でなしだったのか」
正直、記憶も曖昧だ。
本当に自分が殺したのか疑いたくなるほどに。
俺が殺したんだよな。
曖昧だが、今世の父親らしい存在を殴っていた記憶はある。
でも、仕方ないのではないだろうか。
いきなり知らない場所、知らない人間に憑依して、記憶も意識も混濁しているなか、あんな状況になっていたんだ。
あれで、正常な判断するというのは難しいだろ。
少なくとも俺にはできる気がしないな。
どれも言い訳か。言い訳ばかりだな俺は。
他に言い訳しようと思えばいくらでも思いつく。
人に暴力を振るう人間に同情する価値なんてないとか、体の持ち主だった者も、普段から父親にいい思いを抱いていなかったから気にする必要なんてないとか。
自分を許すための言い訳が頭に思い浮かんでくる。
「思い上がりもいいところだな」
確かに、暴力を普段から振るっていた人間であった。
でも、それがすべてとは限らない。
あの男にも、自分の子供を思うときがあったかもしれない。
子供の方もそうだ。
俺の父親は――そこで一瞬、メッセージのことを思い出すが、それはなかったことにする。
「俺の父親はないか」
前世の父親は完全に俺のことを嫌っていた。
それは、これまでの言葉と行動で分かり切っていることだ。
体の持ち主の父親は分からない。
だって、言い訳に使おうとしたものなんて断片的にある記憶から予想したものだ。
そんなものなんて、全く価値がないものだ。
俺が体の持ち主の父親を殺した事実は変わらない。




