第5話 『少年の想念』
この世は平等である。
それは、真実か?
確かに表面上では、平等であると思うことが多い。
表面上は詭弁だらけで、嘘に塗りたくられてはいるが、それでも平等には見せようとする。
そうだ、見えているだけだ。
見えない、見えにくい部分では不平等が積み重なっている。
でもそれは、仕方がないことなんだ。
どうにもならないことなんて、いくらでもある。
生まれる場所も、環境だって選べない、戦地に産まれ、すぐ死んでしまう可能性だってある。
すぐ死んでしまうのは、まだマシな方だ。
この世に足枷を持って、生まれてきた人間はもっと残酷だ。
一生、その足枷と向き合って生きていくことになる。
他人と違うというだけで、どれほど生きづらいか想像できるだろ?
平等なんて言葉は綺麗事だと言える。
でも俺は、平等にはなれなくても、なろうとすることはできると思っている。
できるはずだ。同じ人間、確かに産まれも、育ちも、思考も、感情も違うだろうが、少しでも平等ありたいとそう願う思いは同じだと信じたい。
向き合っても寄り添っても、全てが平等になる訳ではない。
でも、平等な関係には人間なれるはずなんだ。
大抵の人間はそうではない、少しでも自分とは違う部分があると排他的になってしまう。
それだと差別やいじめ、社会問題が未だにこの世から消えることはない。
不平等の積み重ねが、さらなる不幸と理不尽を生み出していると俺は考えている。
確かに、中にはどうにもならないこともあるだろう。
でも、お互いに寄り添う努力することができれば、いや、努力なんてしなくても、少しでも互いが一歩引き、認め合うことができるなら、この世の不幸と理不尽を減らすことは可能のはずだ。
皆で、手と手を取り合えば、解決できる問題は多々あるということだ。
その手を取るのが難しくて、誰も手を取ろうとしないのが現実な訳だが。
だけどもし、もしもの話だ。
人が手と手を取り合える世界があるとしたら、俺はそれを見てみたい――。
※ ※ ※ ※ ※
あの出来事以来、何もやる気が出ない。
何かやらなければいけないというのは、分かっているつもりだ。
分かっていて、何もできない。
何かやろうとはしているが、今まで当たり前にできていたことができない。
飯を食おうとして、どの指で、どう持てばいいのか、箸の持ち方が分からない。
寝ようとして、仰向けに寝ていいのか、横向けに寝ていいのか、瞼はどこに置けばいいのか分からない。
今までどうやって本を読んでいたのか、どう文字を認識していたのか、分からない。
以前まで、どう生活していたのかが思い出すことができない。
あの日のあれが、頭から離れることがない。
あれが頭の中心にあって、あれ以外思考することができない。
ずっと考えている。自分の気持ち、父親の気持ちを。
嫌いだったはずだ。
いや、嫌いなんてもんじゃない、憎かったはずだ。
心の中ではいつでも死ねと、いつか殺してやると、思っていたはずなんだ。
俺はなぜ、こんな暗い気持ちになっている?
ざまぁみろと、お前の最期なんてあんなもんだろと、そう思うはずだ。
そう思って、いいはずなんだ。
そういう扱いをされてきたんだから。
俺は、どうしたいんだ?
あいつの死に際は、何を考えていたんだ。
俺は、あいつの死を見て何を思えばいい。
そんな考えが頭の中でぐるぐるして、思考が止まらない。
この憤りと、どう向き合えばいい。
この衝動はどうすれば、解消できるんだ。
親のことを忘れて生きていくのが、一番なのだろう。
でも、あのメッセージと最期の親の顔が脳からこびり着いて離れない。
「お゛え゛ぇ゛ぇ゛」
何もしてないとあのことばかり考え、気持ち悪くなって嘔吐することがある。
この数日、何も腹に入れていないので、空嘔吐になるわけだが。
辛いものには変わりはない。
辛い現実が変わる瞬間は、あるのかもしれない。
でも今は、その瞬間を待つ余裕も希望も持てる気がしなかった。
待てる訳もなかった――。
※ ※ ※ ※ ※
ずっと家にいたら、気が狂いそうだったので外にできることにした。
別に行く宛ても、行きたい場所もないのだが歩くことはできたので外で、散歩することにした。
できるだけ頭の中を空っぽしようとするが、上手くいかない。
何か音楽でも聴くとするか――。
「―――――」
久しぶりに、人から名前を呼ばれた。
俺の名前を知っているということはどこかで会っているのか。
それか元職場で知ったとかだろうか。
職場で俺のことを見掛けて、名前を憶えているとか。
それは自惚れすぎか。
しかし俺の知らない人だ。
「あっ……」
声を出そうとするが、上手く出なかった。
数日、声を出していないだけで、発声できなくなるものなのか。
「ごほんっ……俺の名前を呼んだ気がするが、俺のことを知っているのか?」
ちゃんと声はだせてはいたと思う。
だが、相手は豆鉄砲を食らったような顔をしている。
もしかして、上手く喋れてなかったのか?
「―――――」
上手く喋れてはいたらしい。
けど、驚いた。
喋りかけてきたのが、中学校にいた元委員長だったとは。
正直、誰だが全く分からなかった。
こんなに人は変わるのか。
考えれば当たり前のことか、あれから三年以上経っている。
確かに言われてみると、少し面影はあるな。
「あぁ、今思い出した」
「―――――」
本当に思い出したのか、元委員長に聞かれる。
そう言われると難しいな。
自分が、相手のことを覚えている証明なんて。
少し中学の頃の話でもするか――。
※ ※ ※ ※ ※
あれから、中学の頃の話をした。
お互い、別に仲良かったわけではない。
中学にあった共通の話題で盛り上がっているだけだ。
「―――――」
最近は何をしているのか、聞かれた。
普段なら、予想できた質問だ。
だが、正常に頭が働いていないのか言葉が詰まりそうになる。
そう。普段なら人に伝える必要がないものの判断ができたはずだ。
だが今は、そうじゃない。
会話に静寂が流れないようにするために、事実を伝えた。
伝えてしまった。
「最近は色々あって、仕事を辞めて休息中だ」
「―――――」
元委員長の言葉を聞いて、俺の体に緊張が走った。
事実を伝えたのであれば、その質問は来るのは当然だ。
俺が無職になって何もしていないことを知れば、この元委員長は心配するのが性格だろう。
伝える必要がなかったこと、嘘でよかった質問への回答。
でも伝えてしまったのであれば、止まることはできない。
少なくとも今の俺に、止まることができなかった。
「ついこの前、親の……自殺現場を目撃したんだ。その時のショックが仕事とか、生活に支障が出て、仕方なく仕事をやめたんだ」
伝えようとした瞬間、鮮明に親の死に顔を思い出して、また嘔吐しそうになるが我慢する。
できるだけ、元委員長に今の心情を察せられないように伝える。
元委員長のことだ、知ったら何か重荷を背負うかもしれない。
こんな偶然出会った人間から、そんなものを背負う必要はない。
声は、震えることなく出せた。
おそらく、俺の心情は気づかれなかったはず――、
「それは……■■くん、可哀想だったね……」
「……」
――カワイソウダッタネ。
それを聞いた瞬間、元委員長という存在がとてつもなく遠ざかったように感じた。
まるで、元委員長が地平線の彼方へ飛んで行ったように。
物理的な距離は近いのに、今では元委員長という存在は遥か彼方。
そして、この距離はもう縮まることはない。
ここ数日、この会話中でも頭の中にあれがあったが、元委員長の言葉を聞いた瞬間、思考が止まった。
そのあとも、何か言っていた気がするが、頭に何も入ってこなかった。
瞬く間に思考が動き始めたが、ここ最近で一番頭がスキッリしている気がする。
一瞬でも、あれが離れたからだろうか。
そして、今までの言動を振り返る。
なんで俺は、馬鹿正直に無職であることを話した?
そんなものは、嘘でごまかせばいいものを。
だが、それはいい。
よくはないが、次が致命的だった。
なんで、親のことを言ったんだ?
――人に言ったら、この気持ちが晴れるとでも思ったか?
――人が知ってくれたら、この憤りが少しでも収まるとでも思ったか?
――人に縋れば、この現状から救われるとでも思ったか?
だとしたら、俺の大きな勘違いだ。
なんで、人にこんなこと言ったんだ。
いや、俺は分かっているはずだ。
このどうしようもない現実を、人に言うことで楽になろうと思った。
――辛い現実を人に伝えることで、楽になると思った。
――救われると思った。
――少しでも、救われたいって思った。
思ってしまった。
それが、元委員長に伝えてしまった理由だ。
それから、微妙な雰囲気になった元委員長とは解散した。
解散した後のことは……よく覚えていない。




