LOG_0065:僕は神になる
レオンの叫びと共に、漆黒の騎士が剣を振り下ろした。
壁に叩きつけられ、身動きの取れないヴィンセント。
その頭上に死の刃が迫る。
「ヴィンセントさんッ!!」
思考よりも先に、星奈の身体が弾かれたように動いた。
彼女はヴィンセントの前に滑り込むと、白磁の剣を逆手に構え、落下してくる巨大な質量をその身で受け止めた。
「ぐ、ぅぅぅ……ッ!!」
鼓膜が破れそうな金属音が鳴り響き、星奈の膝が床にめり込む。
まるで油圧プレス機に挟まれたような重圧。
腕の骨がきしみを上げ、全身の筋肉が悲鳴を上げる。
出力を少しずつ上げながらとはいえ、その重みを押し返すことができない。
(重い……! でも、離さない……ッ!)
星奈は歯を食いしばり、震える視界で『神の眼』を起動した。
この怪物の構造を解析し、弱点を見つけなければ勝機はない。
『解析開始……』
「あぐッ……!?」
起動した瞬間、脳髄を焼きごてで抉られるような激痛が走った。
鼻の奥から、ツンとした鉄錆の臭い――鼻血が垂れてくるのを感じる。
システムが、異界の視点を持つ彼女を再三に拒絶し、脳への負荷を与え続けているのだ。
視界が点滅し、力が抜ける。
その一瞬の弛緩を、感情のない機械人形は見逃さなかった。
騎士は星奈の剣を強引に押し込み、その切っ先を彼女の喉元へと滑らせる。
(しまっ……)
死の冷気が肌に触れた、その時。
乾いた銃声が響いた。
至近距離から放たれた弾丸が、星奈の首を刈り取ろうとしていた剣の側面を正確に弾き、その軌道をわずかに逸らす。
「お嬢ちゃん、どけッ!!」
ヴィンセントだ。
彼は激痛に顔を歪めながらも、小型拳銃の引き金を引いていた。
だが、その行動が彼自身の命運を分けた。
騎士の動きには、躊躇いも隙もない。
弾かれた剣の勢いを殺すことなく、流れるような動作で手首を返し――そのまま、銃を構えたヴィンセントへと刃を翻したのだ。
「――ッ!?」
回避は間に合わなかった。
漆黒の閃光が走り、鈍い音が響く。
ドサッ。
「……あ、ぐ、ああああああああああッ!!??」
ヴィンセントの絶叫が研究室に木霊した。
宙を舞ったのは、握られた拳銃と――肘から先を切断された、彼の右腕だった。
「ヴィ、ンセント……さん……?」
鮮烈な赤が噴き出し、星奈の純白の鎧を斑点模様に染め上げる。
温かい液体が頬にかかる感触に、星奈の思考は真っ白に凍りついた。
「ハハハハハ! 素晴らしい! なんて鮮やかな切断面だ!」
レオンが狂喜の声を上げる。
「見ろよ救世主様! これが『虚無』の切れ味だ! 人間の肉体など、バターのように脆いデータに過ぎないんだよ! 肉体を消す事も、斬る事も出来るんだあ」
ヴィンセントは失った腕を押さえ、大量の失血に膝をつき、痙攣している。
その姿を見て、星奈の心臓が早鐘を打った。
ドクン、ドクン、ドクン。
恐怖、動揺、そして自分を庇ったせいで彼が傷ついたという、耐え難い罪悪感。
(私のせいだ……私が、弱かったから……)
「さあ、次はお前の番だ。その美しい首を、僕のコレクションに加えよう」
騎士がゆっくりと、血に濡れた剣を星奈に向ける。
だが――。 その極限の絶望が、逆に星奈の中で「何か」のリミッターを焼き切った。
(……許さない)
星奈はゆらりと顔を上げた。
恐怖で麻痺していたはずの四肢が、熱い怒りで再び駆動する。
「……よくも」
彼女は自身のこめかみに指を当て、血走った瞳をカッ! と見開いた。
もう、痛みなどどうでもいい。
脳が焼き切れても構わない。
このふざけた「記述」を、この理不尽な暴力を、絶対に許してはならない。
そして彼女は最大出力で「神の眼」を起動する。
血管が破裂する音が聞こえた気がした。
激痛と共に、星奈の両目からツーッと赤い筋――血の涙が流れ落ちる。
視界が赤く染まり、世界の情報が濁流となって脳内になだれ込んでくる。
『警告:精神汚染率・危険域』
『警告:生体維持に支障アリ』
うるさい。
そんな警告は無視だ。
星奈は血の涙を流しながら、眼前の騎士を睨みつけた。
すると――ノイズ混じりの視界の中で、漆黒の騎士の「輪郭」が揺らぎ、変化していく。
無機質な鎧の奥。
黒いデータで塗りつぶされた深層領域に、ぼんやりと浮かび上がったのは――。
(……え? あれは……人間?)
それは、苦悶の表情を浮かべ、無数のコードに雁字搦めにされた、青白い「人の形」のように見えた。
そして、その胸の中央。
コードが複雑に絡み合う結び目に、一箇所だけ、外部からの干渉を受け入れる「綻び」が存在していた。
「……見つけた」
星奈は血の涙を拭うこともせず、白磁の剣を握り直した。その刹那だった。
ブツンッ。
唐突に、視界の赤色がブラックアウトした。
(――え? なんで……!?)
脳内で無慈悲なシステム音が響くと同時に、星奈の視界は強制的に「通常」のものへと引き戻された。
解析によって見えていた青白い「人の形」も、胸元の「綻び」も消え失せ、目の前には再び、無慈悲な漆黒の鉄塊が立ちはだかるのみ。
あまりの負荷に、脳の処理能力が追いつかずシステム自体がオーバーヒートし落ちてしまったのだ。
「くそっ……肝心な時に!」
星奈は奥歯を噛み締める。
だが、弱点の「座標」は脳裏に焼き付いている。
胸の中央、装甲の継ぎ目よりも深く、データが交錯する一点。
(やるしかない。座標は覚えている……!)
星奈は絶叫と共に、自身の肉体にさらなる出力を強いた。
全身の筋肉が軋み、血管が悲鳴をあげる。物理的な限界寸前の加速で、彼女は騎士へと突っ込んだ。
しかし、騎士の防衛本能は完璧だった。
まるで星奈の思考を先読みしているかのように、大剣を最小限の動きで滑らせ、白磁の剣をいなしていく。
「眼」のサポートがない今、レベル差も含めた純粋な身体能力の差が、絶望的な壁となって立ち塞がる。
(届かない……! あと数センチなのに、この剣が重い……!)
焦りが思考を鈍らせ、剣筋が雑になる。
騎士がその隙を見逃すはずがない。
漆黒の剣が、星奈の胴を薙ぎ払おうと軌道を変えた。
「――させるかよォォォッ!!」
鈍く、重い音が研究室に響いた。
星奈の目前。騎士と彼女の間に割り込んだのは、血まみれの背中だった。
「ヴィンセント……さん!?」
片腕を失っていたヴィンセントが、残された最後の力を振り絞り、騎士へと飛び込んだのだ。
漆黒の大剣は、ヴィンセントの腹部を深々と貫通し、その切っ先は背中から突き出している。
大量の血が床に滴り落ちる。
誰がどう見ても、致命傷だった。
だが、この古強者の目は死んでいなかった。
「……逃がさ、ねえぞ……!」
ヴィンセントは、自分の腹を貫いている刃を無視し残った左手で騎士の籠手を万力のように鷲掴みにした。
騎士が腕を振るってヴィンセントを振りほどこうとするが、彼はテコでも動かない。
すると、騎士の装甲の隙間から、黒い煙のような「虚無」が溢れ出した。
それは実体化したバグの塊。
ヴィンセントの腹部、そして掴んでいる左手に触れた瞬間、肉体がジュワジュワと音もなく「消滅」していく。
「ぐ、ウウウウッ!!」
焼かれる痛みではない。
自分の存在が削り取られる、根源的な恐怖と苦痛。
それでも、彼は指を食い込ませ、騎士の動きを完全にロックした。
「今だッ!! やれぇぇぇッ、ステラァァッ!!」
ヴィンセントの裂帛の気合いが、星奈の躊躇を断ち切った。
「――ッ!!」
涙も、迷いも、全てを捨てて。
星奈は白磁の剣を構え、ヴィンセントの脇をすり抜けるように踏み込んだ。
狙うは記憶の中にある座標。
ヴィンセントが命を削って抉じ開けた、たった一つの道筋。
白磁の切っ先が、漆黒の胸部装甲を突き破りその奥にある「綻び」へと深々と突き刺さる。
確かな手応え。
星奈は剣を通して、自身の演算領域にある「終了コード」を叩き込んだ。
『――対象ノ、構成記述ヲ、破棄シマス』
甲高い音が鳴り響き、騎士の動きが停止した。
溢れ出していた黒い虚無が霧散し、漆黒のボディが輪郭を保てずに崩れていく。
数秒前まで圧倒的な殺意を放っていた怪物は、光の粒子となって空気に溶け、後には重厚な鎧の残骸だけが、カシャン、と虚しく床に崩れ落ちた。
「……ッ、ヴィンセントさん!」
崩れ落ちる巨体を、星奈は慌てて抱き留めた。
ずしりと重い。
だが、それは筋肉の重みというよりも、生命そのものが鉛のように沈んでいくような不吉な重さだった。
「へっ……ざまぁねえな……」
ヴィンセントが口端から血を流し、力なく笑う。
その傷は凄惨を極めていた。
肘から先を失った右腕からは動脈血が噴き出し、虚無に抉られた腹部の傷口は、赤黒く焼け爛れたように変色している。
「喋らないで! 今、止血を……!」
星奈は震える手で、自身の白磁の鎧から千切れたマントを押し当てる。
だが、溢れ出る鮮血は止まらない。
純白だった星奈の鎧も、白い肌も、見る見るうちに彼の赤黒い血で染まり、鉄錆の臭いが周囲に充満していく。
(嫌だ、嫌だ……! 私のせいだ……私がもっと早く……!)
「あ……ああ……ああああッ!!」
その時、絶望に満ちた絶叫が背後から響いた。
レオンだ。
彼は、光の粒子となって消滅した「虚無の騎士」の残骸――空っぽになった空間を呆然と見つめやがてその顔を狂気で歪ませた。
「消えた……僕の……僕の真理が! 完璧な世界が! この世界じゃない、別世界の扉があ!」
彼は持っていたナイフを力強く握ると、血走った目で星奈を睨みつけた。
「返せ……返せよ! お前が壊したんだ! 僕の夢を、僕の『記述』を返せェェェッ!!」
理性はとうに崩壊していた。
ただ喪失感に突き動かされる獣と化したレオンが、ナイフを振り上げ、星奈へと突進してくる。
星奈はヴィンセントを抱えたまま、身動きが取れない。
『眼』を行使する魔力も、剣を振るう体力も、既に底をついている。
(……ッ!)
星奈が覚悟を決め、ヴィンセントの体に覆い被さろうとした
その瞬間だった。
重厚な駆動音と共に、厳重にロックされていたはずの研究室の扉が強制的に開放された。
「――え?」
レオンが足を止め、反射的に入り口を振り返る。
そこには、直視できないほどの眩い光が満ちていた。
「五月蝿いわね」
凛とした、しかし絶対零度の冷徹さを孕んだ女性の声。
次の瞬間、深紅の閃光が奔った。
圧縮された高密度の魔力弾がレオンの身体を直撃し、彼は抵抗する間もなく吹き飛ばされた。
壁際のモニター群に叩きつけられ、火花の中でその体は力なく崩れ落ちる。
「……え?」
星奈が呆然と顔を上げる。
硝煙が漂う入り口。
逆光の中に、三つの影が威圧的に並び立っていた。
先頭に立つのは、深紅のドレスに銀の鎖をあしらった制服を纏う妖艶な女性。
ギルド『聖典の守護者』において、『秩序の編纂局』を統括する局長、イザベラ・ルクレツィア・デ・メディチ。
その指先からは、未だ赤い魔力の残滓が陽炎のように立ち上っている。
「……配管の異常値が検出されたと思えば。まさか、身内から出るとはな」
その隣で、太い葉巻を噛み砕かんばかりの形相で睨みを利かせるのは、銀髪を短く刈り込んだ頭と、鋼鉄のような肉体を持つ男。
『基盤の修復局』を統括する総理、バルタザール・クロムウェル。
そして、彼らを守るように、塔のような巨大な盾を構えた岩の様な鎧が控えていた。
『騎士団』の執行官、ハバルト・アイアンメイスだ。
「……確保せよ!」
ハバルトの重厚な号令が落ちる。
その背後から、完全武装した二名の正騎士と、秩序の編纂局に所属する三名の検証官が、雪崩を打って室内に突入した。
「う、うあぁ……離せ! 僕は神になるんだ! 離せェェッ!」
瓦礫の中で暴れるレオンだが手練れの騎士たちに組み伏せられ、検証官によって即座に拘束術式を施される。
「……イザベラ、局長……?」
星奈が掠れた声で呟く。
イザベラは、冷ややかな瞳で部屋の惨状を一瞥し、最後に血まみれの星奈とヴィンセントへと視線を落とした。
その瞳の奥に、わずかながら痛ましげな色が走ったのを、星奈は見逃さなかった。




