LOG_0061:潜入
「……本気なんですか? ヴィンセントさん」
星奈は、目の前に積まれた薄汚れたコンテナを見上げ、呆然と呟いた。
そこはルディの店の裏手に広がる、非正規の搬入口だった。
どこから回収してきたのかも不明な、錆びついた魔導パイプや、規格外の燃料タンクが無造作に積み上げられている。
「ああ、本気だ。工廠区への直通便はこいつしかねえ」
ヴィンセントは、作業着に着替えたルディが荷車に防水シートを被せるのを手伝いながら、平然と答えた。
「ギルドの『工廠区』は、常に慢性的な資材不足だ。下層からの正規ルートじゃ、申請から納品まで平気で二週間はかかる。だが、現場の機械は二週間も待っちゃくれねえ。壊れたらその場で直す、燃料が切れたらその場で足す。……そうしなきゃ、この街のインフラは一日たりとも持たねえんだよ」
「だからって、こんな非正規の……しかも出処の怪しいジャンクパーツを使っているなんて。私は総監として、そんな報告一度も受けていません」
星奈の言葉に、ヴィンセントは手を止め、油にまみれた手袋を脱ぎながら振り返った。
「そりゃそうだろうな。正規の報告書に『スラムからゴミを買いました』なんて書けるわけがねえ。基盤の修復局では皆んなあからさまではなければ黙認している。現場の連中はな、みんな自腹切って、リスク背負って、必死に帳尻合わせてるんだよ。……あんたが座ってる綺麗な机の下には、こういう泥臭い土台があるってことだ」
星奈は言葉を詰まらせた。
頭では理解していたつもりだった。「記述」には表れないノイズや例外処理があることを。
だが、それをシステムの一部として黙認し、利用している現場の現実を突きつけられると、自身の管理能力の至らなさを痛感せざるを得ない。
「……私の目は、まだまだ節穴だったみたいですね」
「そう卑下するな。あんたは上を見てりゃいい。下を見るのは、俺みたいな汚れ役の仕事だ」
ヴィンセントはニカっと笑うと、コンテナの一つを指差した。
「さあ、乗った乗った。ここから先は『検問』の連続だ。救世主様のその目立つ鎧も、しばらくはシートの下に隠してもらうぜ」
「……分かりました。案内してください、その『土台』のさらに奥へ」
「その綺麗な脚も汚れちまうが割り切ってくれ」
「気にしたことありませんので」
星奈は覚悟を決め、白磁の身体を折り曲げるようにして、薄暗いコンテナの隙間へと身を潜めた。鼻を突く鉄錆と油の匂い。
それは、彼女がこれまで知ることのなかった、この世界を動かす「摩擦熱」の匂いだった。
ルディが御者台に座り、魔導エンジンのスイッチを入れる。ガタガタという不快な振動と共に、荷車はゆっくりと動き出した。
目指すは、ギルド本部の地下深層。
華やかなエリュマントスを支える、熱と騒音の迷宮「工廠区」だ。
ガタゴトと、車輪が不揃いな石畳を叩く音が、暗闇の中で反響している。
防水シートの下は蒸し風呂のような熱気と、鉄錆の匂いが充満していた。
星奈は膝を抱え、隣で同じように身を潜めるヴィンセントと肩を触れ合わせながら、息を殺していた。
やがて、荷車の速度が落ち、周囲の空気がピリついたものに変わった。
「……止まれ。検問だ」
シートの外から聞こえてきたのは、冷たく事務的な騎士団の声だった。
ここがスラムと工廠区を隔てる、物理的かつシステム的な境界線だ。
「へへっ、ご苦労様です、旦那。今日はいつになく厳重ですねえ」
ルディの軽薄な声が響く。だが、相手の反応は硬い。
「当然だ。昨夜、中層で『大規模なシステム障害』が発生した。ギルド本部からの通達で、出入りする全ての物資の検閲が義務付けられている」
ザッ、ザッ、と複数の足音が荷車を取り囲む気配がする。
星奈の心臓が早鐘を打つ。騎士団の鎧が擦れる金属音。
それは、かつては自分と共に危険に立ち向かった頼もしい音だったが、今は死刑執行人の足音のように聞こえた。
「おい、今日は随分と荷が多いな。中身を改めさせろ」
「えっ? い、いやいや旦那! こいつはただのスクラップでさぁ。開けたら最後、有毒な魔力ガスが出ちまうかもしれねえし、何より――」
「問答無用だ。開けろ」
シャキン、と剣の抜かれる音が響く。
ルディの声が裏返る。
これ以上の抵抗は怪しまれるだけだ。
ヴィンセントが、隣で音もなく短銃の撃鉄を起こした。
「……やるしかねえか」
彼の声は、隣にいる星奈にしか聞こえないほどの囁きだった。
(ダメ。ここで戦闘になったら、ルディさんも巻き添えになる。……やるしかない、今の私なら!)
星奈はヴィンセントの腕を制止するように強く握ると、目を閉じて意識を極限まで集中させた。
三年という月日とレベルが上がったことで、『神の眼』の出力は以前よりも遥かに向上している。
だが、システムそのものに物理的な干渉を行うこの力は、脳への負荷が桁違いだ。以前、下層での戦闘で使用した際は、数秒で意識を失いかけた。
(……お願い、私の脳。あと数秒だけ耐えて!)
星奈はカッと目を見開き、シートの繊維ごしに、検問ゲートの魔導制御装置を直視した。
視界が真っ赤な警告色に染まる。
【対象:検問ゲート・セキュリティシステム】
【解析開始……干渉コード生成……実行】
星奈の脳髄を、焼きごてを押し当てられたような激痛が貫いた。
「……うぐっ……!」
彼女は声にならない悲鳴を上げ、両手で頭を抑え込んだ。
その直後。 検問所の警報装置が、けたたましい誤作動のアラームを鳴り響かせた。
『――警告! 警告! 第四ゲート、魔力反応の異常数値を検知! 爆発の危険あり! 直ちに退避せよ!』
ゲートの魔導灯が激しく明滅し、制御盤から火花が散る。 騎士たちは突然の事態にパニックに陥った。
「な、なんだ!? 襲撃か!?」
「違う、魔力炉の暴走だ! 全員下がれ! 巻き込まれるぞ!」
「……へっ、ツイてやがる!」
ルディはその隙を見逃さなかった。
彼は御者台でニヤリと笑うと、手綱を思い切り引いた。
「どけえぇッ! 暴走する前に突っ切るぞ!!」
混乱する騎士たちの脇をすり抜け、荷車はゲートの向こう側へと強引に躍り出た。 シートの中で、星奈は激しい頭痛と吐き気に耐えながら、ヴィンセントの肩にもたれかかるようにして荒い息を吐いた。
「……ここでお別れだ。ルディ、助かったぜ」
工廠区の薄暗い搬入ドック。
人気のない資材置き場の影で、荷車から降り立ったヴィンセントは、懐から取り出した革袋をルディに放り投げた。ずしりとした重みが、その中身の価値を物語っている。
「へっ、毎度あり。……あんたらも気をつけてな。この先は、俺みたいなネズミでも迷う迷宮だ」
ルディはニヤリと笑い、金袋を懐にしまうと、空になった荷車と共に闇の中へと消えていった。
「……編纂局の人間が、裏金とはね」
星奈は乱れた呼吸を整えながら、呆れたように呟く。
ヴィンセントは肩をすくめ、悪びれもせずに答えた。
「ケチをつけるな。それに、こうする以外に手はなかったろ? 正規の手続き踏んでたら、今頃。救世主様とはいえ俺たちは地下牢の中だ」
「……それは、否定できませんけど」
星奈はふらつく足元を隠すように、近くの資材コンテナに手を着いた。 先ほどの強制ハッキングの反動が、まだ脳の芯に鈍い痛みを残している。
視界の端には、ノイズのような砂嵐が時折ちらついていた。
「おい、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
ヴィンセントが心配そうに覗き込むが、星奈は気丈に首を振った。
「平気です。……少し、ラグがあるだけ。すぐに最適化されます」
「……無理はするなよ。で、そのホシがいる場所は分かるんだよな?」
「はい。……ただ、いつもは中央リフトを降りて正面から入っていたので。裏口からのルートだと、座標の照合に少し時間がかかります」
「それに、誰かに見つかると面倒だもんなあ。特に、顔なじみには」
「ええ。……慎重に行きましょう」
星奈は再び『神の眼』を起動した。
出力を最低限に抑え、周囲の熱源と構造データだけをスキャンする。
資材が乱雑に積み重なった倉庫エリア。
天井付近を這う巨大なパイプからは蒸気が漏れ出し、視界を白く濁らせている。
(……反応なし。クリア。……右前方、微弱な魔力反応。これは……自動運搬機ね)
痛みをこらえながら、星奈は迷路のような通路を先導する。
ヴィンセントも銃を構え、背後を警戒しながら続く。
だが、星奈の計算には、一つだけ誤算があった。 脳への過負荷が、彼女の誇る探知精度の「死角」を生んでいたのだ。
積み上げられた魔導エンジンの影から、不意に声がかけられた。
「……あれ? もしかして……ステラちゃん?」
心臓が跳ね上がる。 星奈がバッと振り返ると、そこには油にまみれた作業着を着て、巨大なスパナを抱えた少女が立っていた。
「……メイ?」
基盤の修復局、上級整備士・メイ・ベルシュタイン。
若くして現場を束ねる熟練の職人となっていた彼女が、そこにいた。
今の星奈にとって、最も会ってはいけない「友人」の一人だ。
「嘘……なんでこんな所に? ていうか、その格好……泥だらけじゃない!」
メイが驚きの声を上げ、駆け寄ろうとする。
星奈は後ずさり、ヴィンセントが音もなく前に出て、星奈を背に隠した。




