LOG_0057:拒絶対象
広場に黄金の余韻が消え、夜の帳が降りる頃。星奈は一度、深く息を吐いた。
「……今日はここまでにしましょう。解析した周囲の記述密度から座標を割り出すには、本部の計算機を通した方が確実です」
「……ケッ、お利口な救世主様は夜更かしはなしかい」
ヴィンセントは不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、それ以上は食い下がらず星奈と共にギルド本部へと戻った。
エントランスで別れる際、彼は「俺は適当に酒でも煽って寝るぜ」と、スキットルを軽く振ってみせた。
星奈はその背中を見送りながら、微かな違和感を覚える。
(酒の匂い……。でも、彼の瞳は全く濁っていなかった。それに、あんな風に座標の特定に手がかりを得た直後に、彼のような『猟犬』が大人しく眠るとは思えないわね)
星奈は自室へ戻るフリをして、自身の意識を『神の眼』の広域パッシブ・モードへと切り替えた。
三年の月日は、彼女の解析能力を「視る」ものから「感じる」ものへと進化させている。
しかし全知の鏡の様に精度はまだまだ不完全ではあるが。
星奈が夜の闇に紛れ、先ほどの「昇降機広場」へ引き返すと、そこには昼間の気怠げな態度を捨て去ったヴィンセントの姿があった。
彼は記述に頼るどころか、懐から「禁忌の魔導粉末」を取り出しハンスが倒れていた場所へ惜しげもなく振り撒いていた。
「なっ……何をしているんですか、ヴィンセントさん!」
物陰から飛び出した星奈に、ヴィンセントは舌打ちを一つ。
「……チッ、案外鼻が利くじゃねえか、お嬢ちゃん」
「それは編纂局で禁じられている『残留思念の強制励起薬』でしょう!? 使用者の精神を汚染する危険があるからと、三年前の条例で廃棄が決まったはずです!」
「記述が消されてるなら、魂に直接聞きゃいいんだよ。規律だ条例だってのは、死人をこれ以上増やさないための盾にはならねえ」
ヴィンセントの瞳が、魔導粉末の反応で禍々しく赤く発光する。
彼は星奈の制止を無視し、ナックルを地面に叩きつけた。
強制的に呼び起こされた「殺害の瞬間」の残影が、ノイズまみれのホログラムのように広場に浮かび上がる。
「見てな、救世主様。これがアンタの綺麗な数式じゃ導き出せない、『現場の断末魔』だ」
浮かび上がったのは、ハンスの背後に立つ「影」。
だが、その影の形は人間のものではなく――エリュマントスの騎士団が使う「標準装備」のシルエットをしていた。
「……騎士団の、鎧? 嘘よ、そんなはずは……」
「……へっ、どうやらホシは身内にいそうだな。」
「……待って、ヴィンセントさん。その影、私も確認します」
星奈はヴィンセントの荒っぽい手法に戦慄しながらも、その執念が引きずり出した「真実」を直視すべく、意識の奥のスイッチを最大まで引き上げた。
『神の眼』の多層解析モードを展開する。表面的な記述の皮を一枚ずつ剥ぎ取り、深層にあるバイナリデータまで潜り込んでいく。
騎士の鎧、そのシルエット。
星奈の視界には最初、確かにエリュマントス騎士団の標準装備を示すモデル番号が表示されていた。
だが、彼女がその奥にある「中身」をスキャンしようとした瞬間――世界が歪んだ。
「――ッ!? なに、これ……」
視界を埋め尽くしたのは、エラーコードの嵐ではなかった。
数式でも、魔力波形でも、プログラム言語でもない。
それは、既存のいかなる「法則」にも分類できない不定形の蠢きだった。色のない色、あるいは全ての音が反転したかのような沈黙の叫び。
三次元の座標系を無視して収縮と膨張を繰り返すその「ナニか」は、視認した瞬間に星奈の脳へ直接、理解を拒絶するような不快なノイズを叩き込んできた。
「あ、ぐ……っ!」
膝から崩れ落ちる。
理学部物理学科で学び、あらゆる事象を論理的に解釈してきた星奈にとって、それは致命的な「計算不能」だった。
解きようのない数式を無理やり解こうとして、精神という名のCPUがオーバーヒートを起こし、鼻から鉄の匂いが立ち上る。
(視てはダメ、これは……記述の形を借りた、ただの『空虚』……!)
「おい、救世主様! しっかりしろ!」
激しい衝撃と共に、肩を強く揺さぶられた。ヴィンセントの手だ。
彼には、星奈が見ている凄惨な「真実」は見えていない。
ただ、彼自身の荒っぽい手法が呼び出した「騎士の影」があることだけを確信している。
「……はぁ、はぁ……っ、ヴィンセントさん……あれは、人間では、ありません……。記述が、存在そのものが、壊れて……」
「……ケッ、理屈で考えようとすんな! 視るんじゃねえ、そいつがそこに『居る』ってことだけ認めろ!」
ヴィンセントの怒声が、混濁した星奈の意識を現実に繋ぎ止めた。
彼の「現場主義」は、論理よりも先に「事実」を受け入れる。
そこに何があるかではなく、そこに「居る」という現象だけを信じる強さ。それが、計算に詰まってフリーズした星奈を強引に再起動させた。
「……すみません。少し、観測の解像度を上げすぎました」
「反省は後だ。アンタにしか見えねえソレが、何処へ消えたか教えろ」
星奈は震える手で自身のバイタル管理をリセットし、再び前を見据える。
その「影」は、騎士の鎧という皮を被ったまま、広場に隣接する「第十二住宅区・居住タワー」へと、吸い込まれるように消えていた。
そこはギルドの人間や商館員たちが家族と共に暮らす、中層で最も平穏なはずの場所だ。
「……住宅エリアです。第十二住宅区、居住タワーの内部へ。あんな記述の塊のような場所に、あの異形が……」
「……ヘッ、灯台下暗しってわけだ。聖都の秩序を守ってる連中のベッドのすぐ隣に、名状しがたき怪物が潜んでる。最高に皮肉な話じゃねえか」
ヴィンセントはふらつく足取りを無理やり正すと、不敵な笑みを浮かべてタワーへと歩き出した。
だが、二人がタワーの敷地内に一歩足を踏み入れた瞬間、星奈の視界に走る警告ログが「致命的エラー(クリティカル)」へと一気に跳ね上がった。
『――検知:未知の観測圧力。空間整合性の維持のため、当該エリアの記述を「存在しないもの」として暫定隔離します――』
「なっ……何!? 全知の鏡が、私たちを外敵だと認識している!?」
「……チッ、あの『影』に触れたせいで、俺たちまでシステムの『拒絶対象』に書き換えられたらしいな!」
瞬間、周囲の風景がデジタルノイズのように激しく明滅し始めた。
美しい街路樹や噴水が、ポリゴンが崩れるように虚無へと消えていく。
それは物理的な破壊ではなく、「最初からそこに何も無かったことにする」という聖都のシステムによる冷徹な「抹消」だった。
「救世主様、ボーッとしてんじゃねえ! ここを消去される前に、あの『影』の居場所まで突っ込むぞ!」
星奈は、かつて日本で「見てはいけない断片」を見た時のような、あの世界の底が抜けるような感覚を覚えながらも、隣を走る「猟犬」の手を強く握り締めた。




