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その異世界転生は、美しき夢の続き  作者: 水色蛍
episode4 - 2 years later -
53/64

LOG_0053:未解決事件

 新年を祝う喧騒も落ち着き、聖都が日常の熱を取り戻して二週間が経とうとしていた。編纂局の総監室で、星奈は端末に流れる膨大なログの波形をチェックしていた。二日酔いの記憶も今は遠い。


「ステラ総監。局長がお呼びです」


 魔導通信機からの無機質な連絡に、星奈は指を止めた。


「はい、すぐに向かいます」


 廊下を進み、重厚な彫刻が施された局長室の扉を開ける。

 そこには、真紅のドレスを纏ったイザベラが、窓外の景色を背に厳しい表情で立っていた。


「ステラ。……ここ中層で起きている事件、あなたの耳にも入っているかしら?」


「はい。中層商店街を狙った連続の『盗難事件』ですよね。被害総額は既に数百万レイルに達していると」


「そう。宝石屋や高級魔導具店を狙った犯行。本来であれば、この街は『全知の鏡』によってあらゆる事象が記録されている。特に警備の厚い中層では死角など存在しないはずなのに、犯人の足取りが全く掴めない。ログの遡り(バックトレース)すら弾かれるという異常事態よ」


「……その件なら、私も独自に解析を進めています。まるでその瞬間だけ、世界の記述が書き換えられているような……」


「話はそれだけじゃないの」


 イザベラが言葉を遮り、低い声で続けた。


「盗難に加え、新たに『殺人事件』が発生したわ」


「……っ、さ、殺人?」


 星奈の喉が引き攣った。

 この世界に来て三年。

 バグ混じりの「獣」による被害や、戦闘訓練での負傷は何度も見てきた。

 だが、人間が人間を意図的に殺めるという概念は、この平和な聖都では極めて稀なはずだった。


「獣の仕業ではなくて? あるいは、かつて下層で起きたように、バグによって存在が消失したとか……」


「いいえ。消えたわけでも、喰われたわけでもないわ」


 イザベラがデスク上のデバイスを操作し、虚空にホログラムを映し出す。


「!!!」


 星奈は思わず息を呑み、口元を片手で覆った。  

 そこには、三つの凄惨な遺体写真があった。  

 一人は路地裏で、一人は自室で。

 鑑識の結果を待つまでもなく、それは鋭利な刃物による「作為的な殺意」によって刻まれていた。


「……酷い」


「獣の傷跡ではないわ。第一、中層に獣が出現すれば即座に騎士団へ警報が入る。これは『人間』による犯行よ。それも、全知の鏡の観測網を完全に無効化できる何者かによるね」


 ドラマや映画の中の作り物ではない。

 かつての日本では、ニュースの向こう側の出来事だった「死」。

 今、星奈の目の前にあるのは、数理モデルや確率論では決して割り切ることのできない、生々しい肉体としての「死のログ」だった。  

 背筋を這い上がるような悍ましい悪寒。


(私がこの街に来て三年……こんなことは初めてよ)


「……団長閣下には、既に報告を?」


 星奈が声を震わせながら問うと、イザベラは鋭い眼差しを向けたまま、短く頷いた。


「ええ、報告は済ませてあるわ。けれど、聖典の守護者レキシコン・ガーディアンの長をこれ以上煩わせるわけにはいかない。これは、世界の記述を預かる私たち編纂局オーダー・レギュレーターの不手際とも言えるわ。全知の鏡の死角を突き、市民を害した『異物』は、私たちの手で排除しなければ。編纂局としてのプライドにかけてもね」


「局長……」


 イザベラの言葉には、単なる義務感を超えた冷徹な決意が宿っていた。彼女はデバイスを閉じると、星奈を真っ直ぐに見据えた。


「ステラ。総監であるあなたは、本来ならこの本部でログを監視し、指示を飛ばして冷静な判断を下す立場。……けれど、今回は事情が違う。機械的な観測をすり抜ける犯人を追うには、システムの外側に干渉できるあなたの『神の眼』が必要よ」


「……現場に赴け、ということですね」


「ええ。物理的な証拠ではなく、そこに残されたはずの『歪み』を、あなたに直接解析してほしいの」


「わかりました。……お任せください、局長」


 星奈は短く一礼し、局長室を後にした。  

 廊下を歩きながら、星奈の脳内では即座に数理モデルが組み上がっていく。

 現場の保存状態の確認、人員の配置、各部署との連携、必要な計測機器の選定――。


(……待って。まず優先すべきは鑑識のデータ? それとも遺族の聞き込み?  騎士団の検問をどこまで広げるべき……?)


 焦りとともに、思考が乱気流に飲み込まれていく。

 知識はある。データも見える。

 

 だが、彼女には「現場を仕切る」という実務的な経験が圧倒的に不足していた。

 現代日本での彼女は、研究室に籠もる学生でしかなかったのだ。


(落ち着きなさい、如月星奈。……私は『救世主』であり、何十人、いや。新人も含めれば何百人もの部下を抱える『総監』なのよ。私が迷えば、事態はさらに悪化する。社会経験が少ないなんて、そんな言い訳、今は一番のノイズでしかない……!)


 こめかみを指で押さえ、自分を叱咤する。

 今回の事件は、その秘匿性と深刻さから、通常の「ギルド掲示板」に張り出して依頼するような案件ではない。

 公にすればさらに街はパニックに陥るだろう。

 編纂局の内部、それも信頼できる最小限の人間だけで解決しなければならない。

 星奈は、冷たい石造りの壁を背に、震える呼吸を整えた。

 ここからは、獣を倒すのとは違う戦いが始まる。


 人間の悪意という、最も解析困難なバグとの戦いだ。


 星奈が最初に向かったのは、編纂局の地下にある特設鑑識室だった。  

 重い鉄の扉を開けると、そこには魔導冷却装置の低い駆動音と、鼻を突く消毒薬の匂いが充満していた。


「総監。……お疲れ様です。まさか、自らお越しになるとは」


 作業をしていたベテランの検証官たちが、驚きと共に居住まいを正す。

 星奈は心臓の鼓動が早まるのを感じたが、それを表情に出すことはなかった。ここで揺らげば、指揮系統にノイズが走る。


「お疲れ様。話は局長から聞いているわ。……状態を、直接確認させてもらえるかしら」


「は、はい。こちらです」


 保存台の上に並べられた三つの遺体。

 星奈は一瞬だけ目を伏せそうになったが、奥歯を噛み締めて踏みとどまった。

 初めて見る、本物の「死体」。

 それは、モニター越しに見ていた写真よりもはるかに重く、冷たく、そして「非可逆的」な事実を突きつけてくる。


(……見なさい、如月星奈。これは数式じゃない。この世界の『命の欠損』なのよ)


 自分に言い聞かせ、意識の奥で『鑑定・解析(神の眼)』のスイッチを強制的にスライドさせる。視界がデータの色に染まり、遺体の情報がウィンドウとして立ち上がった。


【個体識別:アルド・ベルク(42歳・商館員)】

【個体識別:リナ・セイン(19歳・魔導具店員)】

【個体識別:ハンス・オスナ(65歳・広場清掃員)】


 性別も職業もバラバラ。

 共通点が見えない。星奈はさらに視点を絞り、傷口の「記述」を深度解析する。


「……傷はすべて、正面から。心臓を一突きね。抵抗した跡(防御創)が一切ない」


「左様でございます。凶器は極めて薄く鋭利な刃物。驚くべきは、細胞の切断面が焼けたように滑らかなことです。物理的な剣というよりは、高密度の魔力を刃として固定した『魔導剣』のような……」


「……いいえ、違うわ。これ、斬られた瞬間に『存在の記述』そのものを切断されている」


 神の眼に映るのは、不自然に断ち切られた因果律の残骸。

 だが、肝心の「犯人の指紋」に相当する固有ログ(シグネチャ)は、霧が晴れるように消え失せていた。


(まあ、予想通りね。全知の鏡を欺く相手が、現場にわかりやすいゴミを残すはずがない……)


 星奈は検証官から手渡された詳細資料を奪い取るように受け取ると、その足ですぐさま作戦会議室へと向かった。そこでは、彼女直属の精鋭たちが待機していた。


「現状報告を。……犯行現場の共通点は?」


 部下の一人が、中層の地図を空間投影した。


「第一、第二、第三現場ともに、中層第四区から第七区にかけての路地裏です。時刻はいずれも深夜、魔導灯の出力が下がる時間帯。ですが……」


「目撃情報は、皆無。でしょう?」


「……はい。周囲の住人も『悲鳴すら聞こえなかった』と」


 星奈は腕を組み、空中に浮いた地図を睨みつける。

 被害者は一見無差別。


 だが、エリュマントスの鉄壁の監視を抜けるリスクを冒してまで、なぜ「彼ら」だったのか。


(動機が見えない。金品が目的の盗難事件とは、明らかに手口の『質』が違う……。これは、単なる犯罪じゃない。もっと根本的な、この世界のシステムを試し、嘲笑うかのような……)


 思考の海に沈み込みながら、星奈は自室へと戻った。

 デスクの上に、鑑識の結果、被害者の生前の足取り、盗難事件との相関図を並べていく。

 現代日本で学んだ論理的思考が、バラバラのピースを繋ぎ合わせようと火花を散らす。


(一人で抱えるのは限界ね。……情報収集、武力、技術。それぞれのスペシャリストを揃える必要がある)


 星奈は、手元の白紙のログシートにペンを走らせた。


「……極秘調査チーム(タスクフォース)を編成するわ」


 救世主ステラとして、そして編纂局総監として。彼女は初めて、自らの意志で「犯人を狩るための駒」を選び始めた。

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