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その異世界転生は、美しき夢の続き  作者: 水色蛍
episode4 - 2 years later -
51/64

LOG_0051:総監

 白亜の巨大都市エリュマントス。

 その垂直に伸びる多層構造のすべてが、今、祝祭の熱気に包まれていた。


 この世界には四季が存在しない。

 しかし、「年」の区切りは存在する。

 黄金の夕暮れがいつもより長く街を照らし、中層の広場では収穫と平穏を祝う色とりどりの魔導灯が灯されている。


 標高差千五百メートルをゆうに超えるこの街の盛り上がりは、文字通り「尋常」ではなかった。


 上層の貴族街から下層の居住区まで、一斉に鳴り響く鐘の音と人々の歓声。


 だが、そんな喧騒とは対照的に、ギルド『聖典の守護者レキシコン・ガーディアン』の本部は、静かな、しかし張り詰めた緊張感の中にあった。


 年末年始も「世界」は止まらない。

 むしろ、人々の感情が高ぶる祝祭期間こそ、精神汚染や思わぬ事故という名の「ノイズ」が走りやすい。


 ギルド員たちの本音を言えば「祝祭中こそ大人しくしていてほしい」に尽きるが、その願いを叶えるためには、年末に向けて山積した膨大な事務仕事や、都市の維持管理に関する「記述」の整理を片端から処理していくしかなかった。


 幸いにも、ここ二年は「獣」の大規模な発生もなく、重大な犯罪や事故も記録されていない。

 エリュマントスを流れる秩序の波形は、かつてないほどに安定していた。


 そんな凪のような日々の中、如月星奈——ステラ・エーデルワイスは、自身のオフィスでペンを走らせていた。

 彼女の執務室があるのは、騎士団の兵舎ではなく、中央塔の東翼に位置する『秩序の編纂局オーダー・レギュレーター』の一角だ。


 彼女がこの世界に降り立って、二年の月日が流れていた。  


 大きな転機があったのは一年前。

 星奈はそれまで所属していた騎士団から、秩序の編纂局への「転属願い」を提出したのだ。

 当初、騎士団副団長のカシム・アルヴァは驚愕した。「救世主ともあろう御方が、なぜ前線の花形を離れるのだ!」  


 そんな彼の絶叫も、星奈の「世界の歪み、その根本的な原因を調査するには、現場の破壊よりもデータの編纂を行うこの部署が最適です」という静かな決意に押し切られた。

 結局、編纂局の局長イザベラが「彼女の眼は、最前線の剣としてだけでなく、歪みを正すメスとして機能すべきだ」と全面的に受け入れを許可したことで、異例の転属は受理された。


 もっとも、彼女が前線を完全に退いたわけではない。  


 都市内部の秩序を保つこの部署に身を置きつつも、通常の騎士の手には負えない強力な獣の出現や、原因不明の異常事態が起きた際には今も騎士団と共に出撃している。

 むしろ、現場の武力と編纂局の知見を併せ持つ彼女は、以前にも増して不可欠な存在となっていた。


「……ステラちゃん、こんな年末なのにまだ仕事? 相変わらずね」


 ノックもそこそこに部屋に入ってきたのは、気怠げな笑みを浮かべたシフォン・ルナ・パルフェタムールだった。


「年末だからこそ、やらなきゃいけないことはあります。未処理の案件を来年に持ち越すのは、効率が悪いですから」


 星奈は顔を上げず、手元の書類にサインを書き入れる。


「そう、真面目ね。私は先に上がるわ。これから上層のパーティーに顔を出さなきゃいけないの。局長直々の命令でね」


「お疲れ様です。……お酒はほどほどに」


「ふふ、ありがとう。しかし、いまだに驚いちゃうわ。あのまま騎士団にいれば、守護聖将ガーディアンからすぐに執行官エグゼクターへ昇進するってタイミングだったのに。それを蹴ってこんな『お堅い』部署に来ちゃうんだもん」


 星奈はようやく手を止め、眼鏡のブリッジを押し上げた。


「部署が変わっても、やることは特段変わりませんよ。日々の業務こそ違いますが、今でもカシム副団長に呼び出されれば、難しい現場には駆り出されますから」


「それを言うなら、今の役職の方がもっと大変じゃない。体壊しちゃダメよ? あなたは今や、我が『秩序の編纂局』の総監(スーパー官)なんだから」


 総監。局長イザベラに次ぐ、実務上の最高責任者。


「……実感がないですね。まさか前任のマティアス様が退任されるタイミングで、私が推挙されるとは思いませんでした。実績であれば、シフォンさんこそ適任だと思っていましたが」


 シフォンは「やめてよ」と心底嫌そうに首を振った。


「私は昇進なんてこれっぽっちも興味ないの。責任が増えるだけだもの、審問官インクイジターで十分。それにね、局長への推薦状に一番に署名したのは私よ? ステラちゃんがいいって」


「……そうでしたか。ですが、周りの方は年長者ばかりで……正直、気を使います」


「へえ、ステラちゃんでもそんな人間らしいこと言うのね。まあ、それだけあなたがこの世界に馴染んだってことかしら」


 シフォンは愉快そうに笑うと、ひらひらと手を振って出口へ向かった。


「じゃあね、ステラちゃん。良いお年を」


「はい。また来年、シフォンさん」


 扉が閉まり、再び執務室に静寂が戻る。

 星奈はペンを置き、椅子の背もたれに深く体を預けた。


 二年前、あの「チップ」を手にしてから、彼女はあえて組織の中枢、情報の集まる場所へと潜り込んだ。

 この平和で美しい楽園の真実が、どこにあるのかを知るために。


 引き出しの奥。

 二年間、一度も手放さず、それでいて誰にも見せていない「禁忌」が、そこにある。


 あの日、先代アルトリウスが遺したあの言葉以上の情報を、この二年で得ることはできなかった。

 救世主としての特権を使い、編纂局の機密記録をどれほど読み漁っても、あの『ただの残影』という言葉の真意を裏付ける記述は見つからない。


(……結局、あれがこの世界に残された最後の手がかりだったのかしら)


 これ以上の真実を求めるならば、もはや既存の記録を追うだけでは足りない。

 培った己の知識と、この「眼」が捉える微細な違和感を繋ぎ合わせ、自ら答えを見出すしかないのだ。


 それでも、世界は回っている。

 明日になればまた新しい記述が生まれ、片付けるべき仕事があり、守るべき日常がある。

 自らの知的好奇心を満たすために、この街の秩序を壊すわけにはいかない。

 ましてや、今の立場を捨てることなど考えられなかった。

 もうすぐで、この世界に来てから三年目が始まる。


(……私も、随分と毒されたものね)


 かつては「数式と法則の集積」としか思えなかったこの街を、そこに生きる人々を、いつの間にか愛してしまっている自分に気づく。

 孤独な観測者だった如月星奈は、もうどこにもいない。


 今の私は、エリュマントスという大きな物語の一部なのだ。


 小さく溜息をつき、星奈は手元の魔導灯を消した。

 ようやく一区切りついた。最後の仕事を終えて部屋を出ると、廊下には夜の静寂が満ちている。ギルドのホールまで降りると、夜勤の受付嬢が顔を上げ柔らかな笑みを浮かべた。


「ステラ総監、お疲れ様でした。良いお年を」

「ええ、あなたも。あまり無理をしないでくださいね」


 短く言葉を交わし、正面玄関へ向かう。

 さて、真っ直ぐ家へ帰ろうか。

 そう思った、その時だった。


「あ! ステラだ! お疲れ様!」


 聞き慣れた快活な声が、広いホールに響き渡った。

 声の主は、アネラス・ヘイワード。

 その後ろには、メイ・ベルシュタイン、リアナ・エルス。

 そして、いつものように穏やかな佇まいで、星奈の案内人として寄り添い続けてくれているノアが立っていた。


「……どうしたの、みんな。こんな時間まで。家族や大切な人と過ごすんじゃないの?」


 星奈の問いに、アネラスが肩をすくめて笑う。


「お互い様でしょ。この立場で年末に暇なわけないじゃない」


 この二年で、彼女たちの立ち位置も大きく変わっていた。  


 アネラスは、騎士団の守護聖将ガーディアンとしての功績が認められ、間もなく参謀本部にあたる『執行官エグゼクター』への昇進が決まっている。  


 メイは『基盤の修復局』で若くして上級整備士マイスターの称号を手にし、今やエリュマントスの心臓部を任される技術者の1人となった。  


 そして、かつては下層任務で同行した魔法使いのリアナも、今や上級騎士マスターとして複数の小隊を束ね、その顔つきには精悍な騎士としての矜持が宿っている。


 アネラスはより艶やかな大人の女性の雰囲気を纏い、メイはどこか少女の可愛らしさを残しつつも自信に満ち、リアナはすっかり垢抜けて立派な騎士としてのオーラを放っていた。


「ステラちゃん、あ、いや……今は『ステラ総監』だったね。お疲れ様です!」


 メイが茶目っ気たっぷりに敬礼してみせると、星奈は困ったように眉を下げた。


「やめてよ、メイ。みんな、今まで通りでお願い。……そう呼ばれると、仕事が終わった気がしないわ」


「あはは、それもそうね!」


 メイが笑いながら星奈の距離を詰める。


「ねえ、これからみんなで飲みに行かない?  年末だし、せっかく全員揃ったんだからさ」


「年末年始ですし、ステラ様もたまにはお酒で日々の重責を忘れられてはいかがですか?」


 ノアが横から、絶妙なタイミングで助け舟を出す。星奈は彼を振り返り、少しだけ呆れたように目を細めた。


「ノア……。全く、あなたはそうやって私を甘やかすんだから。でも、あなたは飲めないでしょう?」


「ええ。ですが、皆様が楽しそうにされているのを隣で見ているだけでも、駄目でしょうか?」


 そう言って小首を傾げるノアの姿は二年前と変わらず、しかしどこか星奈を操る術を心得ているようにも見えた。


「いいじゃない、行きましょうよ。ステラが来ないと締まらないわ」アネラスが星奈の背中を軽く叩く。


「……そうね。折角だし、久しぶりに羽目を外そうかしら。ただし、明日の朝に響かない程度にね」


 星奈の言葉に、仲間たちの歓声が上がった。

 白亜の街を染める祝祭の灯りの中へ、彼女たちは歩き出す。

 それは、救世主としての使命でも、物理学者としての探求でもない。

 ただ、この世界で出会った大切な友人たちと過ごす、至福の日常の一歩だった。

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