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LOG_0005:正体不明のエラー

カシムに促され、ノアと共にギルドの裏手に位置する工房区画へと向かう。  

道中、黄金の夕映えを浴びて歩くステラを見て、ノアが感嘆したように溜息をついた。


「それにしてもステラ様、先ほどの水晶の輝き……本当に素晴らしかったです。あなたがこの街を救うために選ばれたのだと、誰もが確信したはずですよ」


「褒め言葉として受け取っておくけれど、私はまだ自分の評価を確定させていないわ。あまりにもトントン拍子すぎて、なんだか都合が良すぎる気がするのよね」


星奈は心の中で、自分を取り巻く状況を「初期設定が過剰なシミュレーター」のように捉えていた。路地裏で消滅してから、まだ数時間。それなのに、住む場所も、地位も、特別な能力も、そして自分を全肯定してくれる相棒までもが揃っている。統計学的に見れば、こんな幸運が重なる確率はゼロに近い。初っ端から褒めてきたり肯定してくるものを強く疑う意識はとことん重要だ。


「まあいいわ。まずは装備のアップデートね」


案内されたのは、熱気と金属の匂いが立ち込める『聖都の鉄槌』という名の工房だった。  


そこで待ち構えていたのは、顔中に煤をつけた大男――マイスターのバルカだった。


「救世主様のお出ましだ。カシムから話は聞いている。新しい装備を見繕わせてもらうぜ」


「……質問なんだけど。今着ているこの鎧や、最初から持っていた剣じゃダメなの?見たところ、硬度も重量バランスも最適化されているように見えるけれど」


星奈は腰の剣を軽く叩いて尋ねた。解析ログによれば、初期装備といえどその性能は高い数値を叩き出している。


バルカは鼻で笑い、腕組みをした。「理屈じゃねえんだよ、嬢ちゃん。いや、あんた風に言うなら、それが『最適』かどうかは、あんたの骨格と筋肉の動線に合わせなきゃ分からねえ。来たばかりのあんたにとって、その既製品が本当に手足として機能するかどうか……確かめる必要があるだろ?」


「……一理あるわね。フィッティングを無視した高スペック品は、往々にして出力を低下させる原因になるわ」


納得した星奈に、バルカは奥を指差した。「なんだか分からんが。要は話が早くて助かる。おい、ネネ!嬢ちゃんの採寸だ。裏へ連れていけ」


呼ばれて出てきたのは、小柄だが筋肉質な女性職人のネネだった。


「ステラ様。私は一度ギルドの中でお待ちしておりますね」


「えぇ、分かった」

 

星奈は彼女に促されるまま、星奈は工房の奥にある、試着室のような静かな個室へと入る。


「じゃ、一度その鎧を脱いでもらえます? 直接、肌の張りと筋肉の付き方を確認したいんで」「ええ。わかったわ」


星奈は慣れない手つきで革ベルトを解き、重厚な甲冑を一つずつ外していった。金属が床に置かれる乾いた音が響くたび、体が軽くなるはずなのに、なぜか逆の重圧を感じる。


そして、最後の下着姿になったとき。  

壁に据えられた大きな姿見に、彼女の全貌が映し出された。


「…………これが、私?」


星奈は絶句し、思わず鏡に手を伸ばした。顔は、間違いなく如月星奈だ。少しきつめの目元も、不器用そうに結んだ唇も、二十年見慣れた自分自身のもの。


けれど、首から下の「設計図」が、根本から作り変えられていた。


白磁のように美しい肌の下には、まるで鋼を編み込んだかのような、しなやかで力強い筋肉が宿っている。ウエストは驚くほど引き締まり、高身長な彼女の四肢は、どんな激しい機動にも耐えうる「戦闘機械」としての説得力を放っていた。かつてのひょろりとした、どこか自信なげな大学生の体つきは、どこにもない。


(……気持ち悪いほど、完璧。まるで理想的な戦士を三次元プリンタで出力したみたい)


鏡の中の自分は、凛とした女騎士ステラとして完成されていた。  

自分の意思とは無関係に、神によって、あるいはこの世界のシステムによって「最適化」された自分。


星奈は、鏡の中の自分の瞳を見つめた。そこには、理屈では説明できない「私であって私でない存在」への恐怖が、静かに渦巻いていた。


「……うん、いい体つきだわ。これなら重装甲でも機動力は落ちない。よし、最高の一式を組んであげるからね!」


ネネの明るい声が、星奈の沈みかけた思考を強引に現実へと引き戻した。


「……これでよし。救世主様、確認してみて」


女性職人のネネが仕上げたのは、深い藍色を基調とした、機能美を極めた軽装鎧だった。動きやすさを重視した結果、肩周りや太ももの一部が露出するデザインになっていたが、星奈は特に顔を赤らめることもなかった。かつての彼女なら「防備不足」と論理的に抗議しただろうが、今の彼女には自分の肌の「硬度」が並より高いことがログで分かっている。


「配色や装飾はどうでもいいわ。それよりも、この関節部の摩擦係数が限りなくゼロに近いのは素晴らしい。それにこの剣……」


手渡されたのは、流線型の鍔を持つ美しい細剣だった。  

星奈が「重心が手元に寄りすぎていないか」と解析ログに基づいた指摘をした結果、バルカがミリ単位で調整を施した特注品だ。


「よし、一振りしてみな、嬢ちゃん。使い心地を確かめてくれ」


(……振るって言われても。私、体育の授業でテニスのラケットを振ったくらいしかないんだけど)


星奈は困惑しながらも、細剣を握りしめた。剣道もフェンシングも知らない彼女の構えは、端から見れば「ただの棒切れ」を握った素人のそれだ。そのまま、えいや、とばかりに空を切る。


――ヒュンッ!


空気が爆ぜ、鋭い衝撃波が工房を揺らした。ただ適当に腕を動かしただけ。それなのに、最適化された筋肉と剣のバランスが、超人的な速度を叩き出したのだ。


「うわっ……。今の、私の運動量保存の法則を無視してない?」


「ハハッ、とんでもねえ風切り音だ! こりゃあ、腕じゃなく剣の方が悲鳴を上げかねねえぞ」


バルカが豪快に笑う中、星奈は自分の「腕」の出力を再計算する必要があると感じていた。そんな落ち着く暇も、この世界は与えてくれない。


「ステラ様! カシム副団長から緊急の伝令です!」


工房の扉を勢いよく開けて駆け込んできたのは、ノアだった。

その表情は、柔らかな微笑みとは異なり、張り詰めている。


「都の外縁部、第三城門付近に『獣』が出現しました。被害が出る前に、ステラ様に出撃してほしいと」


「……ちょっと待って。さっき登録して、さっき装備を整えたばかりなんだけど? 労働基準法とか、そういう概念はないわけ? あとせめてマニュアルを読み込む時間くらい――」


「状況は一刻を争います。さあ、行きましょう!」


ノアに背中を押され、星奈は愚痴をこぼしながらも工房を後にした。  


歩きながら装備のベルトを締め直し、彼女は「理系女子大生」から「救世の騎士」へと無理やりチャンネルを切り替えさせられる。


――城門を抜けたその先。


そこは、エリュマントスを囲む緑豊かな丘陵地帯だった。黄金の夕暮れはここでも世界を照らしているが、城壁の内側のような整然とした静謐さはない。生い茂る草木の匂いと、どこか不穏な空気の震え。


「……あそこです」


ノアが指差した先。空気そのものが黒いインクを落としたように濁り、ぐにゃりと歪んでいた。その中心から這い出してきたのは、ライオンでもクマでもない。不定形の「闇」が、無理やり生物の形を模倣したような、悍ましい異形だった。


「……っ、うそ、でしょ……」


星奈は、構えた剣が震えるのを自覚していた。ノアが「獣」と呼んだその存在は、彼女の想像――ライオンやクマといった既存の生物の延長線上にあるもの――を無残に裏切った。


それは、空間そのものが腐敗したような姿をしていた。骨格という概念が見当たらない。濡れた黒い泥のような不定形の肉塊が、無理やり四足歩行の形を保とうと蠢いている。その表面には、生物学的にあり得ない位置に無数の「口」が開き、意味をなさない唸り声を上げていた。何より悍ましいのは、その輪郭がノイズのように常にブレていることだ。


「……何よ、これ。どこが獣なのよ。内骨格も外骨格もない、表皮の細胞分裂の速度が熱力学の第二法則を無視してる。……こんなの、この世界の生態系の一部なんて、あり得ない」


如月星奈の理性が、全力で目の前の光景を拒絶していた。二十歳の大学生が直面するには、あまりに「不条理」すぎるデザイン。それは、彼女が路地裏で見た「世界の裂け目」と同質の、吐き気を催すような違和感を放っていた。


「ステラ様、下がってください!鑑定を!」


ノアの鋭い声に弾かれ、星奈は半ばパニックになりながら、縋るように自身の唯一の武器――解析能力を起動した。


「……解析。対象、目の前の個体をスキャン。お願い、正体を見せて……!」


網膜に走る情報の奔流。しかし、返ってきた結果は、彼女の論理を救うどころか、奈落へと突き落とすものだった。


【対象:獣(エラー個体)】

【名称:――(読み取り不可)】

【組成:高密度負債情報。存在確率:0.000001%】

【警告:この個体は、この世界の因果律と矛盾しています】


「存在確率が、ゼロに近い……?じゃあ、今、私の目の前で空気を震わせているこれは何なの?質量保存の法則はどうなってるのよ!」


「分からない」という事実が、何よりも彼女を恐怖させた。理系女子として、世界を公式で記述できると信じてきた彼女にとって、解析不能なバグとの遭遇は、己のアイデンティティを否定されるに等しい。


その時、獣が動いた。  

物理的な予備動作を一切挟まず、ビデオのコマ送りを飛ばしたような不自然な挙動で、一瞬にして星奈との距離をゼロにする。


「――っ!?」


思考が追いつく前に、肉体が反応した。  

恐怖で強張っていたはずの足が、爆発的な出力で地面を蹴る。


――ガツッ!


獣の黒い触手が、つい一瞬前まで星奈の頭部があった空間を切り裂き、背後の巨岩を豆腐のように粉砕した。「……避けた?私が?」


着地した衝撃で、星奈の足元に深いクレーターができる。 視神経が捉えた映像を脳が処理する前に、神によって最適化された騎士の肉体が「回避コード」を自動的に実行したのだ。


「ステラ様、大丈夫ですか!」


「大丈夫なわけないでしょ!今の、加速gが数式に合わないわよ!私の内臓が潰れてないのが不思議なくらい!もうわけがわからない」


叫びながらも、星奈は無意識に剣を正眼に構えていた。  

パニックに陥りながら、同時に脳のどこか冷めた部分が、獣の挙動を「周期的なバグ」としてパターン化し始めている。


「……いいわよ。論理が通じないなら、こっちの異常な出力をぶつけるだけ。一発殴れば、何らかの観測データは得られるはずよね!」


星奈は震える手で剣の柄を握り直し、黄金の夕暮れの下、正体不明の「エラー」に向かって一歩を踏み出した。

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