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LOG_0004:レキシコン・ガーディアン

ノアに導かれて足を踏み入れた場所は、如月星奈の二十年の人生において、もっとも「非現実的」な空間だった。


「……ここが、その、ギルド?」


高い天井を支える豪奢な柱。壁に掲げられた巨大な紋章。磨き上げられた大理石の床を、銀の甲冑を鳴らして歩く騎士や、奇妙な杖を携えた魔道士たちが闊歩している。 かつて大学の友人たちが熱心に語っていたオンラインゲームや、暇つぶしに見たファンタジー映画のセットが、そのまま物理的な質量を持って目の前に存在していた。


彼女が困惑し、視線を泳がせるたびに、網膜の上で文字が乱舞した。先ほど覚醒した「極限解析」の能力が、彼女の意志に関係なく、周囲のオブジェクトをスキャンしていく。


【対象:飛竜の牙の剣。攻撃力:B。耐久値:88%】


(……飛竜?竜って、あのゲームとか映画でよく聞く、空を飛ぶトカゲみたいなやつのこと?それ、実在するの?そもそも牙を加工して剣にするなんて、素材の硬度と靭性のバランスが計算に合わないでしょ)


さらに視線をずらせば、奇妙な小瓶が棚に並んでいる。


【対象:治癒のポーション。純度:92%。効果:細胞活性化(再生速度:中)】


「ポーション……。純度って何の純度よ。主成分の化学式を表示してほしいんだけど。これ、経口摂取して本当に副作用はないの?」


口からこぼれるのは、理系女子特有の毒づきだ。しかし、混乱の奥底で、彼女の「解析者」としての本能が、この異常な状況を整理し始めていた。


(……いいえ、待って。飛竜だか何だか知らないけれど、この『B』というランクや『88%』という数値。これらはこの世界の物理的な力関係を、定量的データに示しているわけよね?)


大学での実験中、膨大なデータをグラフ化して相関関係を導き出した時のような感覚。名前や定義がどれほど不条理であっても、そこに「数値」という共通言語が存在するのなら、攻略の糸口は見つかる。


「なるほど。理屈は不明だけど、数値化されるなら話は早いわね。とりあえず、目の前の事象をデータとして蓄積していけば、この世界の『法則』が見えてくるはず」


星奈はフッと、少しだけ口角を上げた。  

未知の数式を解き明かす楽しみ。孤独だった彼女を唯一支えてきた好奇心が、この異様な世界で初めて前向きに機能し始めた。


「ステラ様、あちらが副団長です!」


ノアが指差した先から、地響きのような足音と共に、一人の巨漢が歩み寄ってきた。 赤錆色の髪を短く刈り込み、鋼のような筋肉を誇示するように、分厚い胸当てをつけた男だ。


「ハッハッハ! こいつは驚いた。今度の『救世主様』は、随分と凛々しい別嬪さんじゃないか!」


男は豪快に笑いながら、星奈の前に立った。その体格差は圧倒的で、星奈の解析ログが即座に反応する。


【対象:カシム・アルヴァ。レベル:75。称号:聖都の盾】


「カシム……アルヴァ、さん?」


「おうよ! この『聖典の守護者』で副団長を張らせてもらってる。よろしくな、ステラ殿!」


カシムが差し出した大きな手を見つめ、星奈は頭の中でログを反芻した。


(カシム・アルヴァ。……みんな名字があるのね。というか、この『レベル:75』って何? 75歳ってわけじゃないわよね、見た目は三十代半ばだし。RPGの経験値みたいなもの? ……っていうか、みんなカタカナ文字なのね。カシムにノア、それに私のステラ。私も含めて、まるで翻訳小説の中に放り込まれたみたい)


星奈は、自分の「ステラ」という名前さえも、この世界のシステムが勝手に割り振った「属性名」のように感じていた。レベル75がどれほど強いのか、この「聖都の盾」という称号がどのような力学的な意味を持つのか、今の彼女にはまだ判別できない。


「あ、はい。如月……いえ、ステラです。よろしくお願いします、カシムさん」


星奈は少しだけ気圧されながらも、その大きな手を握り返した。握った瞬間に伝わってきたのは、岩石のような硬さと、暴力的なまでの生命力だ。


如月星奈としての「論理」は、まだこのカシムという男のバイタリティを解析しきれていない。けれど、彼が発する「善意」だけは、解析ログを通さずとも伝わってきた。それは、かつての彼女がもっとも苦手とし、避けてきたはずの、熱を帯びた感情だった。


「よし! 新入りの歓迎だ! 誰か、ステラ殿の適性を測るための『導きの水晶』を持ってこい!」


カシムの号令で、ギルド中が慌ただしく動き出す。星奈は、次々と提示される「ファンタジーな光景」に、溜息を吐くのをやめた。


(考えても無駄ね。今はただ、この世界のサンプルを集めることに専念しましょう)


カシムが合図を送ると、ギルドの奥から恭しく運ばれてきたのは、台座に据えられた巨大な水晶玉だった。内部で淡い青色の光が脈動しており、それ自体が精密機械のような、あるいは未知の生命体のような不気味なほどの完成度を保っている。


「これは『導きの水晶』。神から与えられた力を可視化し、ギルドの証に刻むための聖遺物だ。さあ、ステラ殿。ここに手をかざしてみてくれ」


(……可視化。つまり、私のバイタルや特殊能力をスキャンして、共通の規格にデータ変換するデバイスってことね)


星奈は躊躇いながらも、その滑らかな表面に右手を触れさせた。瞬間、ギルド内の空気が一変した。


――キィィィィィィィン!


鼓膜を劈くような高周波の音が響き、水晶が爆発せんばかりの輝きを放つ。  

青かった光は瞬時に真っ白に染まり、星奈の視界に警告アラートのような赤いログが高速で流れ始めた。


【警告:出力値が測定限界を突破】

【警告:既存の階級定義に該当する数値が存在しません】

【再計算……失敗。再計算……失敗。エラーコード:∞】


「うわっ、眩しい……! なにこれ、ショートしたの?」


星奈は思わず手を離したが、水晶の明滅は止まらない。周囲のギルド員たちは、目を見開き、口を半開きにしてその光景に固まっていた。カシムでさえ、頬を引き攣らせて絶句している。


「……測定不能? バカな、『導きの水晶』がパンクするなんて、数百年前に聖騎士長が降臨して以来だぞ……」


「……あの、カシムさん? このデバイス、キャリブレーション不足じゃないかしら。あるいはセンサーの寿命とか。これだけ派手なエラーを出すってことは、ハードウェアのどこかに致命的なバグがあるんだと思うんだけど」


星奈は至極冷静に、機器の故障を疑った。  

物理実験において、ありえないような極端な数値が出た場合、まず疑うべきは自分の仮説ではなく「測定器の不備」である――それが彼女が叩き込まれてきた科学の基本だったからだ。


「バグ……? いや、ステラ殿。これは神の遺物だぞ、故障なんてありえん」


「神様だろうと何だろうと、出力に耐えられずにハングアップしてるなら、それは立派な『欠陥品』よ。もう少し、入力感度の高い上位機種はないの?」


星奈の身も蓋もない指摘に、カシムは苦笑いを通り越して呆れたような声を漏らした。その時、水晶の隣で震えながら数値を書き留めていた受付嬢のリチアが、裏返った声を上げた。


「か、カシム副団長! 出ました! 数値が……収束しました!」


リチアが差し出した羊皮紙には、ギルドの規定ではありえないランクの印章が刻まれていた。


【識別:ステラ】

【等級:救世主エグゼクティブ・デバッガー

【特記:極限解析・神の眼】


カシムは重々しく頷き、星奈に向き直った。


「ステラ殿。君のその『解析』の力、実はこの都エリュマントスでも、使える人間は数えるほどしかいない。それも、君のような『世界の綻び』を数値レベルで特定できる能力者は、戦略的に言えば一つの軍隊に匹敵する価値がある。唯一無二だ。」


「軍隊に、匹敵……。ただの『鑑定』が?」


「ああ。君がいれば、我々は『獣』がどこから現れ、どこを叩けば消滅するのか、その正解を迷わずに選べる。君はこの世界の羅針盤なんだ」


星奈は自分の手を見つめた。かつては、周囲の感情が読めない「欠陥品」だと疎まれた目。それがこの世界では、システムの異常を見抜き、正解を導き出す「至宝」として定義されている。


(……皮肉ね。あっちでは社会に馴染めないノイズだった私が、ここではノイズを消すための特効薬だなんて)


論理的で、合理的で、何より自分を必要としてくれる場所。


独りに慣れた感情は、誰かに必要とされた瞬間。

こんなにも脆いものなのか。


星奈は、ノアから手渡された鈍い銀色のギルドカード――彼女専用のライセンス――を握りしめた。


「わかったわ。当面の間、私はあなたの言う『救世主』として、この世界の不具合を修正してあげる。……ただし、私の手法に文句は言わないで。私は、私のやり方でこの世界を『観測』させてもらうから」


「ハッハッハ! 頼もしいな。それじゃあまずは形からだ! 職人マイスターのところへ行って、君にぴったりの装備を誂えようじゃないか!」


カシムの大きな笑い声が、ギルドのホールに響き渡る。  

星奈は、その喧騒を「心地よいホワイトノイズ」だと感じている自分に、少しだけ驚いていた。


聖都エリュマントスでの生活が、今、正式に動き出そうとしていた。

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