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LOG_0049:アルトリウス・ヴァン・ブラッドレイ

 ギルド本部直轄、『深淵図書館アビス・アーカイブ』。


 一般の住民が利用する公共図書館とは一線を画すこの場所は、ギルドの上級職員や一部の権力者のみが入館を許される情報の聖域だ。


 静謐な空気の中に、古びた羊皮紙と魔導インクの匂いが漂っている。


 星奈は、整然と並ぶ書架の間を迷いなく進んでいた。

 目指すのは、以前――第十七居住区の異変に挑む前――に一度訪れた、歴史資料の深部。


「……これね」


 指先が、一冊の古びた手帳に触れる。

 かつてこの世界に降り立ち、数百年前に「正騎士長」を務めたという先代日本人の遺物。もう一度中身を精査したが、やはり真新しい発見はない。


 記述の多くは抽象的で、彼が何を考え何を目指していたのかを物理学的な精度で読み解くには情報が欠落しすぎていた。


(……ここにはない。なら、視点を変えるべきね)


 星奈は手帳を元の位置に戻すと、そのまま『基盤の修復局』の技術資料や文献が並ぶエリアへと足を向けた。


 流石に、こっちは量が多いわね……」


 視界を埋め尽くす膨大な背表紙。

 都市の維持管理、魔導回路のバイパス、エーテル伝導率の計算式……。


 救世主としての職能を持つ彼女であっても、圧倒されるほどの情報量だ。

 普通の人間なら一生をかけても読み解けないであろうその山を、星奈は『神の眼』を起動して「スキャン」していく。


 視界に流れるログ。ノイズ。無関係な数式。


 その中で、一つだけ周囲の「記述」と明らかに波形が異なる書物が、棚の隅で静かに存在を主張していた。


(……救世主・聖騎士長、『アルトリウス・ヴァン・ブラッドレイ』の記録……?)


 星奈はその本を手に取る。

 いかにも英雄らしい、重厚な響きの名前。

 彼女は期待を込めてページを捲った。

 そこには、先代の救世主アルトリウスが当時の修復局で成し遂げた数々のインフラ改善の記録が記されていた。


(……驚いたわ。先代の日本人も、私と同じような「理系オタク」だったのかしら?)


 読み進めるうちに、星奈の口角が僅かに上がる。


 かつての英雄としての華々しい戦歴よりも、彼が心血を注いでいたのは「魔導回路」の再構築や、当時は存在しなかったはずの「電子技術」に類する理論の研究だった。


 資料には、彼が周囲の技師たちから「技術に対する貪欲さが異常だ」と、半ば呆れ気味に評価されていた記述すら見受けられる。


(研究、勉強、そして試作……。彼はこの世界の魔導技術をベースに、自分の知る『文明』を再現しようとしていた……?)


 もし、あのチップがこの『アルトリウス』によって作られた、あるいは持ち込まれたものだとしたら。


 肝心のチップそのものに関する直接的な言及は、当然のように見当たらない。

 しかし、彼が「神から与えられた力」ではなく「自らの知識」を回路に記述しようとしていたという事実は、星奈にとって何よりの収穫だった。


(彼は、救世主という役割を超えて、何かを『残そう』としていた……)


 本を閉じ、元の場所に戻す。

 図書館を出る星奈の足取りは、来た時よりも僅かに力強くなっていた。

 図書館を後にした星奈は、その足でギルドの心臓部の一つ、『工廠区』へと向かっていた。


 迷路のような通路を抜け、目的の部屋の扉を叩く。

 返事を待たずに中へ踏み込むと、そこには案の定、書類と得体の知れない魔導部品の山に埋もれた「彼」がいた。


「おや! これはこれは、救世主様じゃないか!」


 顔を上げたのは、レオン・ウェイン。

 相変わらずボサボサの髪をさらにかき乱し、汚れの目立つ白衣を翻しながら彼は貪欲に実験器具を弄っていた。


 星奈の姿を認めると、その濁った瞳に不穏な光が宿る。


「君もとうとう、この理の楽園で私と共に、刺激的な毎日を送りたいと思って来てくれたのかね?大歓迎だとも!君の『神の眼』があれば、私の理論は数世紀分ショートカットできる!」


「残念だけど、そうじゃないわ。……少し、お願いしたいことがあって」


 星奈は周囲を警戒するように一度背後を確認してから、懐からあの「チップ」を取り出した。


「ん? なんだそれは。金属の破片か?」


「わからない。……任務で拾ったものよ。これの構造解析をお願いできない?」


 レオンは興味なさげに鼻を鳴らしながらそれを受け取ると、モノクルを調整してジロジロと眺め回した。


「小さいな。そこらへんに置いたら、くしゃみ一つで無くしそうだぞ?」


「無くしたら承知しないわよ」


「ほう? 救世主様にそこまで言わせるとは。……そんなに大事なものなのかい、これが?」


 星奈は一瞬躊躇ったが、レオンの「技術への狂気」を煽るように言葉を重ねた。


「もしかしたら、エリュマントスの技術や文明を、根底から塗り替えるものかもしれない。……あなたにとっても、悪い話じゃないでしょう?」


 その言葉を聞いた瞬間、レオンの顔色が、技術者特有の醜悪なまでの好奇心へと塗り替えられた。


「……文明の革新、ね。正直、街の発達など私には『ついで』だが……私の名が、真理の到達者として後世に刻まれるというのなら、話は別だ」


「かもね」


「よし、やってみよう。私の全リソースを注ぎ込んでやる!」


 それから数時間。星奈はギルドのホールで、思考を整理しながら時間を潰していた。やがて、工廠区からの呼び出し連絡が入る。


 再びレオンの部屋を訪れた星奈を待っていたのは、先ほどの興奮が嘘のように静まり返り、どこか青ざめた顔をした男だった。


「……これは、禁忌かもなあ」


 開口一番、彼はそう呟いた。

 あのレオン・ウェインが、だ。

 既存の倫理を鼻で笑い、魔力汚染のリスクすら「刺激的なスパイス」と呼んで憚らないマッドサイエンティストが、目の前の小さな結晶体を、まるで致死性の猛毒を扱うかのように、ピンセットで慎重に固定している。


「この世界の我々が知る『魔導回路』の他に、何だ……理解不能な、よくわからない技術体系が組み込まれている。重層的に、複雑怪奇に、だ。……いや、これは『記述』そのものが違う」


「どういうこと?」


「よくわからんが……冒涜的な好奇心よりも、何かもっと根源的に『あってはならない何か』を感じたよ。とりあえず判明したのは、様々な技術や知識の断片が組み込まれているということ。だが、肝心な部分は破損しているな」


「あってはならない何か?」


「ここに持ってきたということは、君の力をもってしても解らなかったということになる。あくまでも勘だが「解ってはいけないもの」なのかもしれないね」


 レオンはチップを星奈に返却する際、その指先が僅かに震えているのを隠さなかった。


「捨てた方がいいかもしれないぞ、それは」


 いつになく真剣な、低い声。


「もしこの情報が公になれば、この世界の『理』そのものが歪む。……いや、神がこの世界から『不必要』として削ぎ落とした残滓に触れてしまったような、可笑しな推測だが、そんな嫌な予感がするんだ」


 星奈はその言葉を背中で受け止め、チップを強く握りしめたまま、無言で部屋を後にした。

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