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LOG_0048:チップ

 エリュマントス中層、ギルド『聖典の守護者』本部ホール。  

 魔導回路が発する淡い燐光と、任務を終えた騎士たちの熱気が混ざり合うこの場所は、星奈にとって「世界の中心」というよりも「膨大なデータの集積所」に近い。


 受付カウンターの魔導パネルが、チカチカと青い火花を散らしながら、今回の報酬額を算出していく。


「……えっ、これ、本当ですか!?」


 真っ先に声を上げたのは、テオだった。

 身を乗り出してパネルを凝視する彼の視線の先には、これまでの彼らが手にしたこともないような桁の数字が並んでいる。


「騎士団と『秩序の編纂局』による合同任務手当、および下層第十七居住区の環境改善インセンティブの加算……。一人あたり、通常のBランク任務三回分に相当するわ」


 星奈が冷静に補足すると、テオ、エレン、ジン、カイ、そしてリアナの五人は、一瞬の静寂の後に歓喜の声を上げた。


「やった……! これだけあれば、実家の蓄電器を最新型に買い替えられるぞ!」

「私は、新しい魔導ペンが欲しいな。エレンとお揃いの」


 ジンとカイが肩を組み、女子組のエレンとリアナも顔を見合わせて微笑んでいる。


 星奈はその光景を、一歩引いた位置から「観測」していた。

 理系的な視点で言えば、彼らの喜びは脳内物質の分泌による一時的な高揚に過ぎない。


 しかし、その笑顔が放つエネルギーの波形は、この不完全な世界のシステムログよりも、ずっと純度の高いものに感じられた。


 やっぱりこの世界の、この人たちもなんら変わらない。


(……それだけじゃないわね)


 星奈は意識のスイッチを微調整し、視界の端で点滅する『神の眼』の解析ログをスライドさせた。


【対象:カイ・ハルフォード / Level:25(↑4)】

【対象:リアナ・エルス / Level:24(↑4)】

【対象:ジン・カグラ / Level:26(↑3)】

【対象:エレン・マクシム / Level:32(↑1)】

【対象:テオ・バニスター / Level:35(↑1)】


 たった一回の任務。

 けれど、あの極限状態でのデバッグ作業は、彼らの「記述」を確実に強化していた。


 死線を越えるという経験は、この世界において最も効率の良いレベリングなのだ。

 ふと、自分自身のステータスに視線を移す。


【個体名:ステラ・エーデルワイス(如月星奈)】 【Level:36】


(……36。いつの間に、こんなに上がっていたのかしら)


 上層での死闘、そして連日のように続く任務の数々。

 自分の数値を省みる暇すらなかった。

 けど「喧嘩」すら経験のない彼女に宿った「戦う」ことの経験値。

 ようやく救世主として誇れる数値になってきたのかな、と感じれる。


「ステラさん!」


 思考の沈殿を遮ったのは、リアナの弾んだ声だった。

 五人がいつの間にか星奈を囲んでいる。

 その瞳に宿っているのは、同じ時間を共有した仲間への純粋な信頼だった。


「今回のこと、本当にありがとうございました。……ステラさんがいなかったら、俺たち、あのポンプ室でどうなっていたか」


 リーダー格のテオが、居住まいを正して頭を下げる。

 それに続くように、他の面々も深く一礼した。


「よして。私は自分の仕事をしただけよ。……それに、あなたたちの働きがなかったら、私も解析に集中できなかった。今回、無事にデバッグを完了できたのは、チームとしての相関が最適だったから。……あなたたちで、よかったわ」


 星奈の口から出たのは、計算された社交辞令ではなかった。確率論でも統計学でもない、確かな「実感」としての言葉。


 それを聞いた瞬間、リアナの大きな瞳にみるみるうちに涙が溜まっていった。


「うっ……ぐすっ。あ、ありがとう、ございます……。私、下層から出てきたばっかりの出来損ないだって言われてたけど……。これで、お父さんとお母さんに自慢できます。『救世主様と一緒に、異変を直したんだよ』って……!」


 泣きじゃくるリアナの肩を、エレンが困ったように、けれど優しく抱き寄せる。  


「それじゃあ、このチームは以上を持って解散。本当にお疲れ様でした……しっかり休んで。記述の摩耗を放置すると、判断ミスに繋がるわよ」


 星奈らしい「理系的な労い」を背に受けながら、五人は何度も振り返り手を振りながらギルドの喧騒へと消えていった。


 一人になった星奈は、重厚な石造りの柱の影に移動した。


 周囲に人の気配がないことを確認し、白磁の鎧の隙間――最も解析の届きにくい胸元の緩衝材の裏から、一つの小さな物体を取り出した。


 それは、第十七居住区の最深部。

 ヴォイドの跡で見つけた、前世の記憶を呼び覚ますような「チップ」。

 指先に触れる冷たいシリコンの感触。

 その「記述」を鑑定しようとしても、今の彼女の権限では、砂嵐のようなノイズが返ってくるだけだった。


(これが、私をここへ呼んだ「理由」の一部なの?)


 問いかけても、答えはない。  

 チップを再び隠した時、背後から不意に、聞き慣れた穏やかな声がした。


「任務、お疲れ様でした。ステラ様」


 星奈は僅かに肩を揺らし、即座に表情を「無機質な救世主」へと戻した。  

 そこに立っていたのは、亜麻色の髪を整え、完璧な所作で控える案内人、ノアだった。


「……ノア。待っていたの?」

「はい。ステラ様が戻られる頃合いを見計らって。……今日も、下層の方々と随分仲がよろしかったようですね」


 ノアの微笑みは、いつも通り慈愛に満ちている。  


 けれど、星奈の「神の眼」は、彼の背後に漂うログが、一瞬だけ鋭いノイズを立てたのを見逃さなかった。


 彼は、星奈がギルドのリソースが届きにくい「下層」の人間と深く関わることを、本能的に、あるいはシステム的に今だに良しとしていない。


 アネラスと共に下層へ行った時も、その鋭さを一瞬でも隠しきれていなかった。


 星奈がこの世界に降り立った際も下層の紹介はしても共に赴いて案内することはなかった。


 それは、輝かしい救世主をあのような場所に行かせたくはない、という思いを言ってはいたが、その実は果たして。


「……彼らは優秀な協力者よ。効率的な任務遂行には、信頼関係という変数が不可欠だわ」


「ええ、理解しております。……ですが、あまり深入りしすぎて、あなた自身の『聖性』が濁ってしまうことを、私は危惧しているのです。……さあ、帰りましょう。暖かい食事の用意ができていますよ」


 半ば諦めたような、それでいて有無を言わせない優しさ。  


 星奈は、彼の手のひらの上で転がされているような不快感と、同時に、一人きりではないという奇妙な安堵感の間に立ち尽くした。


「ええ……ありがとう。疲れたわ。……少し、眠りたいの」


 本当の疲れは、肉体的なものではない。

 隠し持ったチップの重みと、ノアの微笑みの奥にある「何か」への疑念。

 二人は夕刻の黄金色に染まるエリュマントスの廊下を、静かに歩き出した。


「……はぁ」


 深いため息とともに、星奈は白磁の鎧を一つずつ脱ぎ捨てた。


 メイが心血を注いで調整したそれは、装着感こそ皆無に近いが、精神的な「重み」までは消してくれない。


 薄手の柔らかな部屋着に着替えようやく一人の人間に戻る。


 理系女子大生だった頃、講義を終えて家に帰り、ブラジャーを外してベッドに倒れ込んだあの瞬間の解放感。それに似た安らぎが今だに彼女には何よりの報酬だった。


 ノアが手際よく準備した食事がテーブルに並んでいた。

 湯気の立つスープに、色鮮やかなサラダ、そして適度に火の通った肉料理。

 どれもがいつもと変わらずに計算され尽くしたかのような完璧な配置だ。


「任務、本当にお疲れ様でした。ステラ様」


 傍らで控えるノアに促され、星奈は椅子に腰を下ろして料理を口に運んだ。


「……相変わらず美味しい。才能たっぷりね、ノア」


「お褒めに預かり光栄です。栄養価のバランスも考慮しておりますので、安心してお召し上がりください」


 星奈は咀嚼しながら、その味の構成要素を舌で解析する。  

 以前よりも塩分が抑えられ、素材の甘みを引き出す繊細な味付け。


 それは、星奈が日本にいた頃に好んでいた「理系的な味覚の最適解」に限りなく近づいていた。


「……だんだん、私が好きな味に進化している気がするわ」


「はい、日々勉強を重ねましたから。ステラ様はあまり味が濃くて油っぽいものは控えるようにして、消化効率の良いものを好まれると推測しました。……いかがでしょうか?」


 ノアは微笑みを湛え、嬉しそうに目を細める。

 星奈はフォークを動かす手を止めた。


「……でも、私、自分の味の好みの話なんて、あなたにしたことあったっけ?」


 星奈はこの世界に来てから、提供されるものを効率よく摂取するだけで好き嫌いを表明した記憶はないはずだった。


「……いいえ、ございませんよ。ですが、毎日お側におりますから。わかってくるものですよ。貴女が何を求め、何を必要としているか。……言葉にせずとも、私は貴女の『案内人』なのですから」


 ノアの言葉に嘘はないように聞こえる。

 けれど、星奈の背筋には、薄い氷の刃でなぞられたような、微かな寒気が走った。「わかってくるもの」という言葉。


 言葉通り、彼は星奈がこの世界に降り立った際に、神から遣わされた「案内人」。理解していること、理解することに努めるのは当然だ。


「……ふーん」


 星奈はそれ以上追及せず、残りの食事を終えた。

 ノアは満足そうに食器を片付け、いつものように完璧な一礼を捧げる。


「では、私はこれで。また明日、健やかな目覚めとともに。……おやすみなさい、ステラ様」


 扉が閉まり、部屋に完全な静寂が戻る。


 一人になった星奈は、そのままベッドに飛び込み、柔らかい枕に顔を埋めた。  

 肉体的な疲労よりも精神的な摩耗が激しい。


 けれど、まだ眠るわけにはいかない。

 彼女は周囲の気配がないことを改めて確認し隠し持っていた「チップ」を枕の下から取り出した。


 月光に透かして見る、小さなシリコンの欠片。


「……これ。やっぱり、日本で見たことあるよね」


 確信に近い予感。基板の形状、端子の並び、そして「2.5mm」という規格化されたサイズ感。


 このエリュマントスを構成する魔導技術アーティファクトとは、設計思想そのものが異なっている。


 これは、高度な集積回路の果てに生まれた「現代文明の遺物」だ。


 星奈は恐る恐る、自身の『神の眼』を起動した。  

 瞳の中に赤いエラーログが走り、チップの「記述」を無理やりこじ開けようとする。


(解析……開始。構造、論理、暗号……全部吐き出しなさい)


 しかし、視界に浮かぶのは、砂嵐のようなノイズばかりだった。


(ダメね。既に役目を終えて長いのか、あるいはこの世界の『記述言語』と互換性が低すぎるのか……。上手に読み解けない)


 けれど、解析の果てに、一瞬だけ網膜を掠めた数式があった。

 それは、彼女が大学の研究室であの消失の直前まで解こうとしていた、物理空間の特異点に関する偏微分方程式の一部だった。


(……なんとなく、結びついてきたけど。……明日、もう一度確認しようかしら)


 星奈はチップを机の引き出しの奥深く、最も見つけにくい場所へしまい込んだ。


 そのまま、糸が切れたようにベッドに倒れ込む。


 窓の外、エリュマントスの黄金の夕闇はいつの間にか深い藍色へと変わり彼女を飲み込んでいった。

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