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LOG_0047:息づいている

 一行は元に戻った住民たちと共に、元に戻ったポンプ室の外に出ると下層の薄暗い空気の中に、魔導ランタンの鋭い光がいくつも揺れていた。

 そこには、本来ここにはいるはずのない、異様な一団が待ち構えていた。  


 数人のギルド騎士と、白衣のような制服を纏った編纂局員。

 その中心に立つのは、全身を黒い装束で包み、顔の半分を無機質なマスクで覆った男――騎士団執行官、レオナール・ド・アルセリオだった。


「……レオナールさん」


「実に見事だ、エーデルワイス殿。並びに調査チームの諸君。任務達成の労をねぎらおう」


 レオナールの声はマスク越しに低く、温度を持たずに響く。


「レオナールさん、どうしてこちらに?  エレンのデバイスが壊れたから、様子を見に来てくれたんですか?」


 ヘロヘロの体で星奈が問いかける。

 エレンのデバイスは、完全に沈黙したままだ。


「通信途絶だけが理由ではない。……我々が独自にステラ殿へ施していた『活動記録監視システム』も、同時に完全にオフラインとなったからな」


「監視……システム?」


 星奈は眉をひそめた。


「そんなの、いつの間に……」


「活動記録を監視し、状況の変化をリアルタイムで編纂局へ共有すると伝えたはずだ。位置情報だけでなく、君のバイタルや周囲の記述変化を『記述の糸』として中継していた。エレンのデバイスとの二段構え。それが、救世主という不確定要素を運用する上での、我々の用意周到さだと理解してほしい。」


(……位置情報だけじゃない、私の『視界』に近い情報まで覗こうとしてたってこと?)


 星奈の背筋に、戦いとは別の寒気が走った。

 レオナールの冷徹なまでの事務処理能力と管理体制。

 彼は「救世主」を一人の人間としてではなく、観測データを収集するための精密な「デバイス」として扱っている。


「その『糸』が切れたから、わざわざ降りてきたってわけですか」


「左様。モニターから君の存在が消滅した瞬間、編纂局内には緊張が走った。幸い、実体は消滅していなかったようだが」


 レオナールは淡々と、事務的に告げる。

 その背後では、救出された住民たちが騎士たちに保護されながら、星奈に向かって感謝の言葉を投げる。


「ありがとうございます、ステラ様!」「さすが、救世主様」


 感謝の言葉が工業区の静寂を塗りつぶしていく。

 そんな喧騒の中で、テオが星奈の顔色を覗き込み、低く声をかけた。


「……顔が真っ白だぜ。第十七居住区まで数キロある。歩けるか? 無理なら誰かに担がせてもいいが……」


 星奈はテオに小さく首を振り、居住区へと続く暗い道を見据えた。


「大丈夫よ。……一人で歩けるわ。それより、住民たちのケアを優先して」


 星奈は自分を支えていたジンの手をそっと離し、背筋を伸ばした。

 鎧の下、隠し持っているあの「チップ」の重みが、妙に生々しく感じられる。


「カイ、ジン……。住民たちを頼むわ。エレン、リアナとテオも、彼らのケアを。私は少し、レオナールさんと話をしてから戻るわ」


 星奈の言葉に、仲間たちは一瞬不安げな表情を浮かべたが、彼女の毅然とした眼差しを見て頷いた。


「分かりました。……先に行って、アキラさんへ報告をしてまいります」  


 ジンの先導で、救出された住民と調査チーム、そして護衛の騎士団がゆっくりと暗がりの先へと消えていく。


 湿った冷気と、魔導ランタンの規則的な駆動音だけが残るポンプ室の前。  

 残されたのは、黒装束の執行官レオナールと、白磁の鎧を纏った星奈の二人だけだった。


「……顔色が悪いな。少しじっとしていろ」


 レオナールが事務的に告げ、星奈の方へ一歩踏み出した。

 彼がその手にかざすと、淡い緑色の術式が展開される。


「治癒魔法……ですか?」  


「基礎的なものしか心得ていないが。歩行に支障が出るレベルの疲労は、組織の運営において不利益でしかない」  


 冷淡な言葉とは裏腹に、星奈の体から鉛のような重みがわずかに抜けていく。


 術を終えると、レオナールはさらに距離を詰め、星奈の頭上にそっと手をかざした。

 「……っ」 身構える星奈の視界で、彼女の側頭部あたりから「ふわり」と小さな光の玉が浮き上がった。  


「これが、その監視システム……」  


「左様。対象の五感ログを直接抽出する魔導中継器だ」  


 レオナールは手元のデバイスにその光を吸い込ませると、無機質なマスクを星奈に向け、その画面を彼女に差し出した。


(解析……『神の眼』)  


 星奈は思考のスイッチを切り替える。

 デバイスに表示されているのは、彼女がこの数時間で見てきた光景の「非構造データ」だった。  


(確かに、私が『神の眼』を通さずに見ていた周囲の状況が、文字情報として記録されている。……けれど、排水ポンプ室。特異点に接触した瞬間から、ログが砂嵐のように乱れて、完全に途絶しているわね)


「すまなかったな、救世主。不快な思いをさせたかもしれない」  


 レオナールの声は相変わらず低かったが、そこには先ほどまでの冷徹な管理官とは異なる響きがあった。  


「一人の人間として、君のプライバシーを侵すような真似は本意ではない。だが、ここは地下1200メートルだ。上層や中層からここまで魔導回路を網羅しようと思ったら、通信の減衰も凄まじいし、メンテナンスのコストも莫大になる」


 星奈は、テオやエレンから聞いた下層のインフラ事情を思い出す。  


(そう……この階層には『全知の鏡』すら居住エリアにしか設置されていない。ギルドのリソースが届かないこの場所で、もしエレンのデバイスが壊れたら、私は文字通り『この世界から消えてしまう』ことになる)


「……私を、見失わないために付けていたんですね」  


「左様。エレンのデバイスと、君自身の生命活動を中継するこの『糸』。二重のバックアップがなければ、我々はこの任務を承認できなかった。君という稀代の救世主を、この闇の中に置き去りにするわけにはいかなかったのだ」


 レオナールはそう言うと、わずかに頭を下げた。

 それは疑いに対する謝罪ではなく、救世主を守るために「手段を選ばなかった」ことへの、彼なりの誠実な礼節だった。


(やっぱり……『神の眼』の領域には、いかなる技術も介入できないことはこれで改めて確信できた。でも、レオナールさんはレオナールさんで、この不自由な世界のルールの中で、必死に私を繋ぎ止めようとしてくれていたんだ……)


 星奈は、鎧の下に隠し持っているあの「チップ」の重みを、レオナールの真っ直ぐな視線に晒しながら感じていた。    


「大丈夫です、レオナールさん。救世主ですから……。この世界の平和を守るのが私の使命ですし、そのためなら、見守られているくらい何てことありません」    


 星奈が少しだけ微笑んで答えると、レオナールはマスクの奥で一度だけ深く瞬きをしたようだった。


「……そうか。その言葉に救われる。行こう、第十七居住区まで私が護衛する。君の帰還を、人々が待ちわびている」


 この世界は、システムの不備やバグに溢れている。


 けれど、その穴を埋めているのは、冷たい数式なんかじゃない。


(「通信が途絶えた」と焦って、わざわざここまで駆けつけてくれる……。そういう、非効率で人間臭い意志に、私は何度も助けられている気がするな)


 剣と魔法、得体の知れない「敵」。

 そして、それらすべてを裏側で規定する『記述』。


 星奈にとって、この世界は相反するものが同居する不思議なファンタジーだ。

『神の眼』を通せば、悲劇は単なる「エラー」であり、トラブルは「バグ」として処理されてしまう。


 ――けれど、そこには紛れもなく、一人ひとりの「生」が息づいている。


 夢を語り、温かい食事を囲み、傷つけば血を流し、笑い合う。


 数値やログでは決して測りきれない、血の通った個性が、前世と変わらぬ温度で今ここに存在しているのだ。


 湿った地下の空気はまだ冷たい。

 けれど、治癒魔法の名残か、それともレオナールの不器用な言葉のせいか。星奈の胸の奥には、確かな熱が宿っていた。

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