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LOG_0044:デッドロック

 一行はさらに足を進める。工業区の深部へ向かうにつれ、滞留する油煙と煤は密度を増し、星奈の白銀の鎧もあっという間に黒ずんでいく。

 その都度、リアナが小さな木製の杖を振り、清らかな魔力の波動を放った。


「『クリンネス』――。はい、これでまた綺麗になりましたよ、ステラ様」


 リアナの浄化魔法によって、鎧の白磁が本来の輝きを取り戻す。

 彼女が魔法を振るう所作には迷いがない。

 廃棄物処理プラントの近くの村で生まれ育った彼女にとって、浄化魔法は彼女が幼い頃、劣悪な環境の下層で最初に覚えた術であり、最も得意とするものだからだ。


 星奈は、彼女が握る小ぶりな杖を見つめながら問いかけた。


「……リアナ、一つ聞いてもいいかしら。魔法を使うには、必ずそういった杖が必要なの?」


 そういえばシフォンも形状は違うが、杖を振るっていた光景を思い出す。

 他にもギルドでは様々な長さや形をした杖を持っている人間を何度も見てきた。


「え? ああ、いえ。正直に言えば、杖そのものは必須ではありません。ただ、魔力を一点に集中させて、かつ分散させずに術式へ流し込むための『触媒』としては非常に優秀なんです。人によっては術式を刻んだ魔導書を使ったり、修復局の工房で作られた機械的な道具を介する人もいます。……そもそも、触媒すら必要としない怪物レベルの方もいらっしゃいますけど」


「なるほど、抵抗値を下げて出力を安定させるためのデバイス、といったところね」


 星奈の理系的な納得に、リアナは少し首を傾げたが、ニコニコと笑いながら続けた。


「リアナは、治癒もできるし、こうして丁寧に事象を整えるのが上手いわね。秩序の編纂局でもやっていけそう」


 星奈の言葉に、脳裏には上級検証官シフォンの姿が浮かぶ。彼女は精神汚染や概念損傷の治療を専門としながら、肉体的な外傷もいとも容易く治してみせていた。


「ふふ、お褒めいただき光栄です! でも魔法も要は『使い所』なんです。攻撃が得意だから騎士団、修復が得意だから編纂局、という厳格な決まりがあるわけじゃありませんし。まあ、転属する時には自分のスキルセットが役職に合っていると便利ですけどね。私は騎士団のお仕事に誇りがあって、好きでいるのでしばらくはここで頑張ろうかなあ、って」


(……得意なこと、できること、そしてやりたいこと。組織に属して自分の適性をどう活かすか。ますますこの世界は、日本とかの就職や仕事事情と遠くはないのね)


 合理的判断が求められるのは、物理法則の世界だけではない。


 社会という複雑なシステムの維持もまた、適材適所の積み重ねなのだ。


 やがて、前方の景色が一段と無機質に変わっていった。


 巨大な歯車が壁面で止まり、複雑に絡み合った蒸気パイプが血管のように剥き出しになっているエリア。


 アキラが言っていた、第零号廃棄路へと繋がる「旧式の排水ポンプ室」がようやく見えてきた。


 立ち並ぶ太い鉄パイプを見上げながら、カイがぽつりと呟いた。


「……場所は違うけどさ。俺の親父、こういう蒸気パイプの清掃員だったんだ。毎日真っ黒になりながら、こういう場所で働いて俺を養ってくれたんだよな」


 その声には、かつての自分たちの生活を支えていた、名もなき労働者への確かな敬意が混じっていた。


 巨大な鋼鉄の扉を前に、一行は足を止めた。

 排水ポンプ室の入り口。だが、その光景は異様だった。


 重厚なはずの扉が、まるで内側から巨大な力で「絞り込まれた」かのように、飴細工のように歪んでいたのだ。


「……こいつは、獣の爪痕じゃねえな」 テオ・バニスターが眉をひそめ、油の染みた手袋で歪んだ金属の表面を撫でる。


「構造の歪みが実体化して、物理干渉を起こしてやがるんだ。座標がダブって、鉄板同士が同じ空間を奪い合った跡だぜ、これぁ」


 上級整備士としての彼の言葉に、星奈は『神の眼』を重ねる。

 確かに、扉の記述は複雑に重なり合い、処理しきれない計算結果がエラーとなって物理的な形状を崩壊させていた。


 その背後で、エレン・マクシムが手元の情報端末を慌ただしく操作し、中層のレオナールへ状況を飛ばす。


「ステラ様、テオの言う通りです。この先の『第零号廃棄路』……ここは本来、都市の最下層からさらに外側へ不要なエーテル残渣を逃がすための排気孔なんです。ですが、現在の観測データでは、排出されるはずのエネルギーが逆流し、この場所で滞留スタックしています」


「つまり、出口の塞がった排水管と同じ状態ということかしら」


 星奈が理系的な比喩で問い返すと、エレンは重く頷いた。


「ええ。それもただの物質ではなく、『空間の定義』そのものが詰まっています。この先は、下層全体で起きている空間位相の不連続性が最も濃縮された……いわば、致命的なエラーの震源地です」


「……だから、道がループしたり、存在しない通路が現れたりするわけね」  


 星奈は新調された聖剣を抜き放ち、扉の奥に広がる「円環状に閉じられた空間」を見据えた。


 彼女が剣で空間の継ぎ目を「切断」し、一時的に正しいベクトルを書き込むと、歪んだ景色の向こう側に真実の闇が顔を出した。


 一歩踏み出した瞬間、エレンのデバイスが悲鳴のような警告音を鳴らす。


「待ってください! 座標データがマイナス1200メートルを突き抜けました……! 物理階層の定義域を超えています。私たちは今、エリュマントスの地図上には『存在しないはずの場所』に立っています!」


「……興味深いわね」 星奈は冷徹に周囲をスキャンする。


「物理的な底を抜けた先にある、未定義の空間。プログラムで言えば、確保されていないメモリ領域にデータが書き込まれているようなものかしら。アキラさんの言っていた『戻ってこれない』理由もこれね。定義されていない場所からは、通常の手段で元の座標へ回帰できない」


 カイやリアナがその言葉に戦慄する中、ジンだけが静かに銃を構え直した。


「理屈は分からんが、ここが『ゴミ捨て場』でないことだけは確かだ。……来るぞ、空間のバグに引き寄せられた連中が」


 星奈は、現代社会でも起きうる「システムの冗長性が生んだデッドロック」に思いを馳せながら、この世界の深淵が吐き出すノイズを正面から見据えた。

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