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LOG_0043:想像以上

 第十七居住区を後にし、一行は北へと向かって歩みを進めていた。  

 密集していたボロボロの家屋や、生活の匂いを漂わせていた露店は次第に姿を消し、代わりに錆びついた巨大な配管や、意味を成さない鉄骨の残骸が目立ち始める。


 星奈は、五人の中でも特に下層の地理に詳しいジン・カグラと、地図情報のプロであるエレン・マクシムを先頭に配した。

 中層や上層と違い、自然の太陽光が一切届かないこの階層では、人工的な魔導灯の淡い光と、排気塔から漏れる赤い火花だけが道標となる。


「……下層にも、『全知の鏡』はあるのかしら」


 不意に星奈が尋ねた。上層ではあちこちに浮遊していた、情報の入出力端末だ。


「ありますが、上とは比べものにならないほど数は少ないんです」

 

 エレンが周囲の暗がりに目を向けながら答える。


「設置場所も、人口が集中する主要区画に限られています。これから向かうような奥地には、まず存在しないでしょうね」


「なぜそう言い切れるの?」


「事象のログ(記録)が、中層の管理アーカイブに保存されていないからです。鏡がない場所での出来事は、誰かが生きて戻って報告しない限り、この世界には『なかったこと』に等しい」


「なるほど。だから異常の早期発見が遅れ、状況が深刻化してしまったわけね……」


 星奈が納得したように頷くと、今度はテオ・バニスターが、工具バッグを肩に担ぎ直しながら会話に加わった。


「そもそも、ここは地下1200メートルだ。上層や中層からここまで魔導回路を網羅しようと思ったら、通信の減衰も凄まじいし、メンテナンスのコストも莫大になる。ギルドも、効率の悪い最下層の端々までリソースを割くつもりはないんだろうさ」


 テオの皮肉混じりの言葉に、星奈の脳裏に前世――現代日本の社会情勢が重なった。


(都市開発の恩恵が届かない地方や、インフラ整備から取り残された限界集落。情報格差がそのまま生存の格差に繋がる構造は、物理法則が異なるこの世界でも同じだということね……)


 数式や物理法則は平等だが、それを運用する「社会」というシステムは、いつだって強者に有利な非対称性を孕んでいる。

 星奈は、理系的なドライな思考の端っこで、この世界の歪さを改めて噛み締めた。


 やがて、人の気配は完全に途絶えた。


 視界に広がるのは、かつてこの都市を建設した際に使われたであろう巨大な工場地帯。

 例えるなら、深夜の港湾地区や、無人の工業地帯のような、冷たく硬質な景色だ。


 ふと遠くに目を向ければ、地上であれば広大な田園風景が広がっているであろう場所に、この下層では「都市の排泄物」とも言える膨大な残骸の山が、折り重なるように捨てられていた。


(光のない、死んだ鉄の荒野。ここが今回の『修正』の現場なのね……)


 さらに歩を進めると、鼻を突く油の香りが一段と濃くなった。浮遊する煤と油の粒子が、せっかく新調したばかりの白銀の鎧を薄く汚していく。


「……ステラ様、汚れが目立ってしまいますね。後で私の浄化魔法で綺麗にしますから、今は我慢してくださいね」


 隣を歩くリアナ・エルスが、気遣わしげに声をかけてきた。同じ女性として、あるいは救世主を敬う信徒としての純粋な配慮だろう。

 星奈は「ありがとう、助かるわ」と短く返しつつ、意識を前方の闇へと集中させた。


 その時、先頭を歩いていたジン・カグラがピタリと足を止めた。


「……止まれ。空気が変わった」


 ジンの言葉と同時に、ホルスターから抜かれた魔導銃の安全装置が解除される、硬質な音が響く。

 星奈も即座に『神の眼』の解像度を上げた。


(――空間の『欠落テクスチャ・エラー』。あそこだけ座標の記述が剥離している)


 前方の空間がノイズを走らせたように歪んだかと思うと、その亀裂から、小型の「獣」たちが蠢きながら溢れ出してきた。

 星奈の視界に、即座に解析データが展開される。


【個体名:スカベンジャー・バグ】

【Level:22〜28】


(個々の個体値はそれほど高くない。けれど、この数は……)


 星奈が迎撃の指示を出そうとした、その刹那だった。


「散らすぞ!」


 カイ・ハルフォードが鋭い咆哮と共に長槍を突き出した。

 流れるような槍捌きで群れを薙ぎ払い、密集していた獣たちを個別に引き離していく。

 孤立した一体に対し、すぐさまリアナの放った魔導の礫が炸裂し、その隙を逃さずジンの銃弾が核を正確に撃ち抜いた。


「左、一体漏れた!」「任せろ!」


 カイが跳躍し、背後から迫った影を空中で一突きにする。

 指示を出す間もなく、三人は阿吽の呼吸で連携し、波のように押し寄せる群れを確実に、かつ効率的に「処理」していく。


(……すごい。合理的で無駄のない連携)


 星奈は感心しながらその光景を見つめていた。

 彼女の眼に見える「レベル」という数値や、ギルド内の「階級」だけでは推し量れないもの。


 それは、劣悪な環境で培われた実戦経験と、極限状態でこそ光る冷徹な判断力だ。


 数分と経たず、最後の一体が砂となって消える。  

 三人は息一つ乱さず、再び元の陣形へと戻った。


「お見事ね。私の出る幕もなかったわ」


「へへっ、救世主様の手を煩わせるわけにはいかないっすから」


 カイが快活に笑いながら槍を担ぎ直す。

 だが、星奈の『神の眼』は、獣たちが現れた「空間の裂け目」が、閉じるどころかさらに不気味に広がり始めているのを捉えていた。


(……今の戦いは、ただの『警告』に過ぎない。この奥には、もっと根本的なバグが潜んでいるはずよ)


 星奈が予感した通り、静寂は長くは続かなかった。先ほどよりも一段と重苦しいエーテルの震動と共に、空間の「継ぎ目」から新たな異形が這い出してきた。

 勝利の余韻に浸ることなく、即座に武器を構え直す。


 星奈は瞬時に『神の眼』で個体をスキャンした。


【個体名:リーパー・シェル】

【Level:32 / 数量:3】


(数は少ないけれど、さっきの雑兵たちより明らかに『記述コード』が複雑で強固だわ)


 カイが先陣を切り、どう崩すべきか思考を巡らせながら鋭い踏み込みを見せる。ジンとリアナもその後方を固めようと動いた――。


 だが、獣たちは狡猾だった。正面から突っ込んできたカイを翻弄するように散開すると、そのうちの二体が、戦闘員ではない「編纂局」のエレン・マクシムを標的に定めて跳躍したのだ。


「!」

「しまった、狙いはこっちか!」


 叫んだのはカイだったが、位置的に間に合わない。ジンが咄嗟に狙い撃つが、同時に放たれたリアナの牽制魔法と射線が競合してしまい、一体を撃ち落とすに留まる。

 残る一体の牙が、無防備なエレンに迫る。


 ――刹那。白銀の閃光が、暗がりの空間を裂いた。


 星奈は流れるような動作で聖剣を振り抜き、宙を舞う獣を袈裟斬りに両断した。


 一瞬の静寂。

 手元に残る確かな手応えに、彼女は改めて自分の得物を視認し、意識の端で詳細を「鑑定」する。


【名称:聖剣(※ネネ・カスタム)】


(……重量が劇的に軽くなっているけれど、鋭さはそれ以上に増している。それに僅かに魔力も帯びている様子ね。物理的な破壊力と魔導的な干渉力が、絶妙なバランスで上書きされているわ。けど聖剣って、大層な名前ね)


 細身になった刀身は、星奈の細い腕でも驚くほど扱いやすく、それでいて恐ろしいほどの破壊力をもって対象の「核」を粉砕した。

 残る最後の一体は、ジンの冷静な追撃連射によって蜂の巣にされ、塵へと還った。


「……助かりました、ステラ様。お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」


 エレンが少し青ざめた顔で頭を下げた。


「ごめんなさい、ジンさん! 私が焦ってしまって……」

「……いや。俺もリアナの詠唱を予測できていなかった。連携ミスだ」


 リアナが沈痛な面持ちで謝罪し、ジンは短く応じる。カイもまた「不甲斐ない、完全に裏をかかれたっす」と槍を握る手に悔しさを滲ませていた。


(ジンは流石、二人よりも上の『小隊長』だけあって冷静ね。けれどカイとリアナは、まだ実戦での視野に甘さがある。……とはいえ、即応能力は悪くない)


 星奈は心の中で彼らの「現在の実力」を冷静にデータ化していく。

 レベルという数値の差が、そのまま生存率の差として現れ始めている。

 彼女は新調された剣を鞘に納めると、さらに色濃くなる周囲の異常なエーテル流に目を向けた。


「反省は後にしましょう。やはり、アキラさんの言っていた通り獣の出現率は上がっているようね。……それも、今この瞬間も、なお。空間の記述が完全に崩壊する前に、最奥を叩かなければならないわ」


 一行は、さらに重苦しく歪み続ける工業区の深部へと、足取りを速めた。

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