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LOG_0042:迷いの道

 垂直に下降を続ける巨大な魔導リフト。

 鉄格子越しに流れ去る岩壁と、時折見える配管の隙間から漏れる赤い光が、一行の顔を代わる代わる照らし出す。


 沈黙を破ったのは、星奈の静かな問いかけだった。


「……あなたたちにとって、下層ここはどんな場所だったのかしら」


 その問いに、五人は少し意外そうな顔をしたが、やがて一人ずつ、暗い底を見つめながらポツリポツリと語り始めた。


「俺にとっては、ただの『スタート地点』っすね」


 槍を抱えたカイが、どこか懐かしそうに笑う。


「第三北居住区の出身で、親は蒸気パイプの清掃員でした。アネラス様のような大きな孤児院だけじゃなく、下層には小さな託児所や共同体が無数にあるんですよ。俺はそこから、ただ『広い空が見たい』ってだけでギルドに志願したんです」


「アネラスが下層出身なのは知っているのね」


「はい、もちろん。別に特段珍しい話でもないっすから」


「私は、東の廃棄物処理プラントの近くの村でした」 魔導士のリアナが続く。


「空気が悪くて、毎日魔法で浄化して……。でも、隣近所はみんな家族みたいに仲が良くて。ギルドに入ったのは、少しでも村にお金を送りたかったから。だから今も、任務で時々戻るたびに、お土産を買って帰るんです」


 無口なジンは、短く「狩り場だ」とだけ答えた。

 彼にとっては、複雑に入り組んだスラムの路地裏こそが、己の技を磨くための最初の戦場だったという。

 編纂局のエレンと修復局のテオも、それぞれに異なる背景を持っていた。

 行政区に近い比較的安定した区画で育った者、逆に絶え間ない故障対応に追われる機械室の騒音の中で育った者。


「ギルドに入ってからも、巡回任務や設備の点検で頻繁に来てますからね。救世主様が思うほど、私たちには『久しぶり』って感覚はないのかもしれません」


 エレンが眼鏡の位置を正しながら、実務家らしい冷静さで付け加えた。星奈はふと思い出したことを口にする。


「そういえば、ギルドに入るにはかなりの倍率を勝ち抜かなければならないと座学で聞いたわ」


「ええ、その通りです。実技試験はもちろんですが、エリュマントスの歴史や魔導工学、公用語の読解といった教養試験もかなり厳格ですから」


 エレンの言葉に、他の四人も深く頷いた。

 特に下層出身の彼らにとって、日々の生活の傍らで「勉学」に励み、選りすぐりのエリートであったり、《《一般的な教養》》であったりが、基礎的に身に付かれている中層以上の志願者と競い合うのは、並大抵の努力ではなかったはずだ。


(……救世主として降り立った私には、免除されていたプロセス。けれど彼らは、この不自由な多層都市で己の価値を証明するために、血の滲むような積み重ねをしてきたのね)


 五人五色の「生きた記録」。星奈はそれを聞きながら、改めてこの世界の解像度が自分の中で上がっていくのを感じていた。アネラスという一人の「点」ではなく、無数の人生がこの鉄と蒸気の底に根付いているのだ。


 やがて、リフトが重い振動と共に停止した。深度――マイナス1200メートル。


 扉が開いた先に広がっていたのは、以前アネラスと訪れた場所に近い、雑多で生命力に溢れた居住エリアだった。


 至る所から噴き出す蒸気の白、錆びついた鉄骨の茶、そして絶え間なく響く巨大な歯車の重低音。


 お世辞にも清潔とは言えないが、ボロボロの家の軒先には洗濯物が干され、露店からは安価なスープの匂いが漂ってくる。

 下層に向かうリフトは幾つかあるが、どれもが必ず各居住エリアにたどり着く。


「……おや、これはこれは。編纂局からの連絡にあった通り、御一行の到着ですな」


 人混みの奥から、背中の曲がった一人の老人が歩み寄ってきた。

 使い込まれた油まみれの作業着を着ているが、その眼差しには長年この混沌を束ねてきた者特有の鋭さと温かさがある。


「私は、この第十七居住区の管理を任されております、アキラと申します。……まさか、伝説に聞く『救世主』様が、こんな煤けた底までお越しいただけるとは」


 バルガスと名乗った老人は、深々と頭を下げた。

 星奈は努めて穏やかな声で、自己紹介と同行する五人を紹介した。


「ステラ・エーデルワイスです。……挨拶は抜きにして、すぐに詳細を伺ってもよろしいでしょうか。ここ最近の『異常』について、一番詳しい場所へ案内してくれるかと助かります」

「承知いたしました。では、こちらの管理舎へ。……あまり綺麗ではありませんが、話をするには一番静かな場所ですわい」


 バルガスの先導で、一行は機械の唸りが一段と激しいエリアの奥にある石造りの頑丈な建物へと足を踏み入れた。


 管理舎の中は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 壁一面には煤けた配管図や、手書きの居住区マップがびっしりと貼り出され、中央の古びたデスクの上には、異常事態を記録したと思われる数冊のノートが置かれている。


 アキラは震える手で一杯の泥のようなコーヒーを星奈に差し出すと、デスクに広げられた図面の一点を指差した。


「……獣の目撃が増加していると伺いましたが」


 星奈が単刀直入に切り込むと、アキラは重く頷いた。


「その通りです。ですが救世主様、実は……その影響か分かりませんが、さらに不可解なことが起きておるのです。この十日ほど、下層のあちこちで『道の繋がり』が変わっておるのですわ」


「道が変わる……? 物理的に壁が動いているということですか」


 星奈が問い返すと、老人は力なく首を横に振った。


「いえ。壁も扉も、確かにそこにある。ですが、いつも通りに角を曲がると、全く別の、誰も見たことのない通路へ繋がってしまうのです。最初は奥地の廃棄物処理エリアや下水、工場エリアだけで偶発的に起きていた現象でしたが、次第にこの居住区の目と鼻の先でも見られるようになりましてな……」


 アキラの話によれば、その空間の変容に呼応するように、現れる獣の数も、その凶暴性も増していったという。


「その度にギルドへ報告し、駐屯隊を派遣していただいておったのですが、状況は悪化する一方。ついには駐屯隊の手にも負えなくなり……いよいよ最後のリミットだと思い、本部に緊急要請を出した次第です」


 その言葉を受け、騎士団と編纂局が合同依頼として星奈を指名した――。

 一連のピースが星奈の頭の中で繋がり、一つの仮説を形作る。


「まるで、都市そのものが悪戯いたずらにパズルを組み替えているかのように……。そして、その『迷い込んだ先』から戻ってきた者は、誰一人としておりません」


 アキラの言葉に、背後に控えていたエレンとテオが顔を見合わせた。

 編纂局の記録にも、修復局の保守履歴にも、都市構造が動的に変化したという記述ログは存在しない。設計上、あり得ない事象だ。


「……空間位相の不連続性。あるいは、座標定義の致命的なエラー」


 星奈は『神の眼』を起動し、アキラが指し示したバイパス路の方向を凝視した。  


 視界の端で、赤い警告ノイズが激しく明滅し始める。

 通常、安定した「静的オブジェクト」であるはずの壁や床の記述が、まるで処理落ちした映像のように不自然にブレていた。


「アキラさん。その『迷いの道』が発生している最短の地点はどこですか?」


「ここから北へ数キロメートル。旧式の排水ポンプ室を抜けた先にある、第零号廃棄路です」


 星奈は迷いなく立ち上がり、白磁の籠手を締め直した。

 アキラの不安げな、しかし縋るような視線を背に、星奈と五人の専門家たちは管理舎を後にした。目指すは、座標さえも失われた未知の深淵だ。

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