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LOG_0039:レオナール・ド・アルセリオ

 上層での任務から、早くも一ヶ月が過ぎようとしていた。


 聖都エリュマントスを包む黄金の夕暮れは、今日も変わらず一定のアルゴリズムに従って空を染め上げている。


 当初はこの世界のあまりにも完璧すぎる「秩序」に違和感を覚えていた星奈だったが、今では中層の繁華街を地図なしで歩けるほどに馴染んでいた。どの角を曲がれば目当ての専門書がある本屋に辿り着くか、どの路地のカフェが最もノイズの少ない静寂を提供してくれるか。彼女の脳内メモリには、生活に必要なログが過不足なく蓄積されている。


 変化はそれだけではない。前世での星奈は、ファッションというものに対して極めて無頓着だった。嫌いなわけではないが、講義と研究に没頭する毎日において、服を選ぶ時間は「思考のリソースを割くべき優先順位」の最下位に位置していたのだ。  


 だが、この世界では「救世主」としての給料がそれなりに高額で、ただ貯め込んでおくのも経済学的観点から見て非効率的だ。何より、物理的な衝撃や魔力伝導を考慮した「異世界の衣服」は、単なる布以上の機能性を持っており、解析対象としても興味深かった。


「……この『ノーブル・ジレ』、カッティングによる可動域の確保が素晴らしいわ。ボトムスはスリムなスラックスタイプにすれば、急な戦闘にも対応できるし、街中での視認性も高すぎず低すぎず……」


 鏡の前で、星奈は自分のワードローブを「最適化」していく。だが、そんな彼女の理論攻めなお洒落には、たびたび友人たちからツッコミが入る。


「ステラ、あんたねぇ……。機能性だけで選ぶのはいいけど、たまにはその『無駄に整った顔立ち』を活かす遊び心ってものを持ちなさいよ。それじゃ仕事着と変わらないじゃない」


「そうだよ、ステラちゃん! その組み合わせだと、またギルドの新人たちに『氷の審問官』なんてあだ名で呼ばれちゃうよぉ。もっとこう、胸元にアクセサリーとか、柔らかい素材のワンピースとか!」


 非番の日に遭遇した、新任の騎士団『守護聖将ガーディアン』となったアネラスと、基盤修復局の若きエースとなったメイ。二人に左右から揉みくちゃにされるのは、今や日常の光景だ。


 特にメイの喜びようは凄まじかった。彼女が心血を注いだハバルトの義手は、複雑な魔導回路を網状に張り巡らせたことで、神経信号を誤差なく伝達する傑作となった。ハバルト自身も「まるで最初から自分の腕だったようだ」と、今までのように盾を構え、大斧を振るうことができている。


「ハバルトさんが前よりも元気に訓練しているのを見ると、解析を手伝った甲斐があったわ」


「でしょでしょ! ステラちゃんのデータがあったから、接続テストが百倍速くなったんだから!」


 そんな賑やかな交流の裏で、星奈の仕事は多忙を極めていた。『神の眼』を持つ彼女は、もはや単なる前線の戦士ではない。


 中層の巨大な魔導インフラを維持するシステム・メンテナーとして、回路の摩耗を「未然に予見」して整備を手伝ったり、『秩序の編纂局』からの依頼で、押収された「出所不明の魔導具」を鑑定したりと、警察官と技術者を掛け合わせたような業務を次々とこなしていた。


(……平穏を維持する。それは、この世界の『記述』を守るということ)


 街の綻びを一つずつ修正していく作業は、パズルを解くような充足感がある。  


 ある日のこと。

 いつも通り業務のためにギルド本部へ出勤した星奈は、基盤修復局の工房で老技師バルカと、その助手ネネに呼び止められた。


「おい、救世主様よ。また随分と派手に使い込んでくれたじゃねえか」


 バルカが指差したのは、かつて彼らが心血を注いでカスタマイズした星奈の白磁の鎧と剣だった。

 一見すれば美しさを保っているが、その装甲の端々には微細な魔力の「欠け」が生じ、回路にも負荷によるノイズが走っている。

 星奈が連日、デバッグと称して過酷な現場を渡り歩いてきた証拠でもあった。


「……すみません。自分なりにメンテナンスはしていたつもりだったけれど、素人で」


「いいってことよ。あんたが使い込んでくれるのは、職人冥利に尽きるからな。……よし、全身作り直してやる。何か要望はあるか?」


 バルカの問いに、星奈は少し考えてから「機動力の維持と、解析精度への干渉を最小限に。それ以外はお任せします」とだけ答えた。


 ふと視界の端を、ギルドの同僚たちが通り過ぎていく。

 魔法を操る魔導士や、癒やしの力を持つヒーラーの女性たちは、自身の装備に刺繍を施したり、女性らしいシルエットのローブを選んだりと、各々が個性を出してお洒落を楽しんでいる。


(……あんな風に、自分を飾る余裕があるのは羨ましいけれど。私には、あまり似合わないでしょうね)


 星奈は自身の無機質な思考を自嘲気味に否定し、鎧一式をバルカに預けた。装備が完成するまでの数日間は、支給されている紺碧の「騎士団制服」で過ごすことになる。


 掲示板の前では、いつものように新人たちが報酬と難易度を吟味し、賑やかに議論を交わしていた。

 その日常風景を眺めていると、ギルドの受付嬢であるリチアが、慌ただしく星奈のもとへ駆け寄ってきた。


「ステラ様! ちょうど良かった、緊急でお願いしたい依頼オーダーが入ったんです」


 話を聞けば、依頼主は「下層」の管理者だという。


 下層から上がってきた異変の報告をギルドが受理し、その内容の深刻さから編纂局の協力要請として騎士団との合同案件となり、最終的に適任者として星奈の名が挙がったという流れだった。


 リチアに案内された一室で待っていたのは、一人の男だった。

 

 全体的に黒い装束を纏い、顔の半分以上を火傷の跡を隠すような無機質なマスクで覆った人物。騎士団の執行官。エグゼクターのレオナール・ド・アルセリオ。


 星奈もその名は知っていた。


 ギルドの司法や運営の要職にあり、滅多に表舞台には現れないが、その冷徹なまでの事務処理能力は他部署の編纂局でも一目置かれている人物だ。


「……さて、エーデルワイス殿。急な呼び出しに応じてもらえたこと、感謝する」


 彼はなぜか、ギルドで一般的な「ステラ」という名ではなく、苗字である「エーデルワイス」と呼んだ。その響きには、どこか他者を寄せ付けない独特の距離感がある。


「一つ、任務をお願いしたい。というより、貴殿の『眼』を貸してほしいのだ」


 レオナールが卓上に広げたのは、下層の貧困エリア——そのさらに底に位置する、通称『最下層』の地図だった。


「最近、このエリアでの『獣』の感知報告が異常な速度で増えている。今までは掃討作戦で対応できていたが、発生源が特定できない。救世主の力を借りるまでもない事案だとは思うが……この増殖速度は、論理的な予測値を超えている」


 マスクの奥にあるレオナールの瞳が、鋭く星奈を射抜いた。


「事象の『記述』が歪んでいるのか、魔力の異変か。あるいは物理的な何かが起きているのか。その境界線を、調査してもらいたい」


 星奈は静かに頷いた。黄金の夕暮れに染まる中層の喧騒を離れ、光の届かない「下層の深淵」へと足を踏み入れる。それは、彼女がこの世界の真実に一歩近づくための、新たなログの始まりだった。


「――謹んで、お受けします。レオナール執行官」

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