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LOG_0033:Kill -9

 鼓膜を突き刺すような異音と共に、異形騎士の「バグの塊」が星奈の眉間へと振り下ろされた。

 その瞬間、視界が強引に横へと薙ぎ払われた。


「が……はっ!!」


 衝撃。


 遅れてやってきたのは、鉄臭い匂いと、ハバルトの分厚い胸当ての感触だった。


 盾を失い、速度を出すための脚力さえ削られていたはずのハバルトが、文字通り「根性」という非論理的なエネルギーで跳躍し、星奈の細い身体を抱き抱えたまま床を転がったのだ。


 星奈はその間近まで迫っていた腕に気に留めることなく解析に集中し叫んでいたのだ。


 啖呵を切ったがその驚異的な集中力であと一歩のところで完全消失され消えてなくなるところだった。


「……ハバルト、さん…すみません…」

「案ずるな……っ、この程度の衝撃……騎士の誇りを貫くには、足りん……!」


 ハバルトの口端から鮮血が滴り、星奈の白い頬を汚す。


 彼のレベル46という強固な「生存記述」が、異形の即死攻撃をかろうじて「重傷」という形で上書きした。


 しかし、彼が身を挺して作ったのは、ほんの数秒の猶予に過ぎない。


 異形騎士が、ギチギチと首を回し、再び二人を視界に捉える。

 その周囲では、空間のテクスチャが剥がれ落ち、虚無のグリッドが露出していた。


「ステラ! ぼーっとしないで! 解析はまだなの!?」


 アネラスが叫びながら、銀閃の剣を走らせる。


 彼女はあえて異形の「実体」を狙わず、その周囲の空間を切り裂くことで、ノイズの伝播を攪乱し、騎士の次の一歩を遅延させていた。


 ハバルトは籠手で血を吹き払うと、残った腕で斧を拾い集め異形へと向き直る。


「リソースが足りないなら私の魔力をリンクさせなさい! 脳が焼けても、私が観測を繋ぎ止めてあげるわ!」


 シフォンが自身の杖を床に突き立て、禁忌に近い魔力同調を展開する。


 それと同時に、後方で機材を広げていたメイが、特殊な「デバッグ用魔導爆雷」を異形の足元へ放り投げた。


「ステラちゃん、今だよ! 物理演算のノイズが最大になる瞬間に、その『核』をブチ抜いて!!」


 爆炎が上がる。


 それは熱によるダメージではなく、異形騎士が拠り所にしている「座標」を強制的にバーストさせるための、論理の火花。


(……分かっているわ。今、潜る(アクセスする)……!)


 星奈はハバルトの腕の中から這い出し、両手を虚空にかざした。


 彼女の瞳——『神の眼』が、通常の視覚を放棄し、多次元的なコードの羅列へとダイブする。


 周囲の音、温度、仲間たちの叫び。

 それらすべてを「不要な変数」として切り捨て、ただ一点、眼前の怪物を構成する不規則な文字列だけに集中する。


【解析対象:非正規プロセス『異形騎士』】

【エラーログ照合中…… 20%... 45%... 70%...】


 視界が真っ赤な警告色に染まる。


 脳の処理速度クロックを極限まで引き上げる。


 神経細胞が熱を持ち、視神経が千切れるような痛みが走るが、星奈は思考を止めない。


(この異形は、自らの『存在記述』を常にランダムに書き換えることで、この世界のあらゆる物理干渉を無効化している。……なら、その書き換えの『周期』があるはず。乱数生成のアルゴリズム、その特異点さえ見つければ……!)


 数千、数万のノイズの奔流の中に、星奈は見つけた。


  一秒間に数千回行われる書き換えの中で、たった一度。


 次の記述を生成するために、プロセスが「空(Null)」になる一瞬の隙。


「……見つけた。座標 P(x,y,z) における、論理の結び目」


 星奈の瞳が、無機質で冷徹な、しかし絶対的な確信を宿した光を放つ。


「アネラス! ハバルトさん! ……私の合図で、座標 (14,0,82) を、一分の一秒の狂いなく同時に叩いて!!」


「無茶を言う……だが、それが君の導き出した解ならば、我らは神の如く信じるのみだ!」


 ハバルトが、折れた誇りを奮い立たせ、右腕一本で巨大な剣を引き抜く。


 アネラスは銀閃を低く構え、その全身を「一撃の矢」へと変えた。


 救世主の指先が、空中に浮かぶ見えない「実行ボタン」に触れようとしていた。


「……実行エンター!!」


 星奈の指先が、虚空のグリッドを強く叩いた。


 その瞬間、異形騎士を包んでいた「ランダムな書き換え」の嵐が、ピタリと止まる。システムが次の記述を生成するまでの、極小の空白時間。


 世界の理から見放されたこの場所で、唯一、物理法則が正常に機能する一瞬が訪れた。


「今よッ!」


 先陣を切ったのはアネラスだった。


「一分の一秒」を狙い澄ました彼女の突進は、もはや人の目では捉えられない。

 銀閃の剣が一直線の光の帯となり、指定された座標 P(14,0,82) へと吸い込まれていく。


「不撓の剣、ここで果たさん!」


 アネラスの剣が異形の「核」の外殻に触れる。


 だが、相手は物理法則を超越した存在だ。アネラスの剛剣をもってしても、その強固なエラーの壁は容易には砕けない。


 剣先が激しい火花を散らし、彼女の腕に凄まじい反動が襲いかかる。


「押し通せぇぇぇッ!!」


 そこへ、遅れて地響きのような咆哮が重なった。

 ハバルトだ。彼は残った右腕一本で、自らの体重を乗せた戦斧を、アネラスの剣の背へと叩きつけた。

 二人の威力が、星奈の指定した一点で完全に同期シンクロする。


(——カ、ァァァァァァン!!)


 結晶が砕けるような、しかしどこか電子的な音が響き渡った。


 異形の核を保護していた「未定義領域」の装甲が、ついに物理的な圧力に負けて砕け散る。


「シフォンさん、メイ!」


 星奈の鋭い指示が飛ぶ。


「任せなさい! 観測データの逆流、開始バックフロー!!」


 シフォンが杖を掲げると、砕けた装甲の隙間から、無理やり膨大な魔力情報を流し込んだ。


 それは毒のように異形のシステムを内側から食い荒らし、その存在をこの世界に「固定」し続ける。


「仕上げだよ! 物理演算、完全沈黙サイレンス!」


 メイが投げ込んだ特殊な触媒が、シフォンの魔力と反応して白光を放った。

 異形騎士の巨躯が、まるで石像のように硬直する。


「……ステラ殿、今だ!!」


 仲間の叫びが、星奈の背中を押した。


 星奈は、白磁の籠手を強く握りしめ、前へと踏み出す。

 彼女の眼には、もはや騎士の姿は映っていない。

 そこにあるのは、修正すべき「致命的なエラー」の源流だけだ。


(この世界の理屈ルールで倒せないなら、私の言葉コードで消去する)


 星奈は腰の剣を引き抜いた。


 それはオーダーメイドされたまぎれもない《《この世界の剣》》だが、今の彼女にとっては、自身の演算結果を出力するための「《《ペン》》」に過ぎない。


 出力を上げていく。


 彼女の周囲に、滝のような文字列が逆巻く。

 鼻血が伝い、意識が白濁するほどの過負荷。


 だが星奈は、その苦痛すらも演算の燃料に変え、剣先を異形の胸部へと突き立てた。


「——命令:全プロセス終了(Kill -9)。」


 星奈が放った一撃は、肉を斬る手応えではなく、何かが「消去」される無機質な感覚を彼女に伝えた。


 一瞬の静寂の後。


「……ォ……あ……」


 異形騎士の残像が、激しく掻き消える。

 黒い霧のようなエラーの澱みが、星奈の剣を起点として、螺旋を描きながら虚空へと吸い込まれていった。


 騎士を構成していたテクスチャは剥がれ落ち、そこには何の痕跡も、一滴の血さえも残らなかった。


 ただ、最後に星奈の耳にだけ届いた日本語の囁き。


『……やっと、終われた……』


 それが誰の意志だったのかを考える間もなく、周囲の歪んでいた回廊が、ゆっくりと、しかし確実に元の白亜の色彩を取り戻していく。


「……っ、ふぅ……」


 星奈は剣を鞘に収める力もなく、その場に膝をついた。

  肩で息をしながら、彼女はゆっくりと周囲を見渡す。

 満身創痍ながらも、自分を信じて戦い抜いた仲間たちの姿があった。


「……ステラ殿……見事、だ」


 ハバルトが荒い息の下から、誇らしげに微笑む。


「あんた……本当に、とんでもない女ね」


 アネラスもまた、剣を杖にして立ち尽くし、呆れたような、しかし深い敬意を込めた瞳を星奈に向けていた。


 星奈は、震える手で自身の視界を覆うエラーログを消去した。

 勝利の余韻よりも先に、彼女の胸を支配したのは、この階層に刻まれていた絶望の深さに対する、冷たい危機感だった。


「……まだ、終わっていないわ」


 星奈の視線の先。

 崩壊した異形の跡地には、一つだけ、世界の不具合を象徴するかのような「黒い立方体」が、不気味に静止していた。

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