表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

30/33

LOG_0030:フィナーレ

 壁面に埋め込まれた無数の石像が一斉に顎を外し、その空洞から「音」を吐き出した。 それはもはや物理現象としての振動ではない。脳の深淵に直接流し込まれる、ドロドロとした精神の汚泥――バグによる強制的な意識の上書きだ。


「が……あ、あああああッ!」


 最初に悲鳴を上げたのはハバルトだった。 盾を投げ出し、頭を抱えて石畳に転がる。彼の視界には、今の光景ではなく、数十年前に置き去りにしてきたはずの「地獄」が広がっていた。


「……すまない、俺のせいだ……俺が、あの時もっと早く盾を構えていれば……!」


 それは新人の頃の、初任務の記憶。彼の判断ミスで、背中を預けていたはずの仲間が獣に喰い殺された瞬間の情景が、極彩色の悪夢となって彼を苛む。


「嫌、嫌よ……暗いの、お腹が空いたの……誰も来ないで……!」


 アネラスもまた、剣を杖にしてどうにか立っている状態だった。下層の孤児院。汚水と空腹。人情だけじゃない。力なき者は奪われるだけの、救いのない日々の感触が、彼女の皮膚を這い回る。 シフォンは歯を食いしばり、必死に自身の精神プロテクトを演算していたが、あまりの負荷に鼻から一筋の血が垂れた。


「……精神メンタルの、書き換えなんて……最悪の『魔法』か『バグ』ね。これじゃあ、私の観測眼も……っ」


 広間全体が赤黒いノイズに包まれ、四人が絶望の淵に沈んでいく中。ただ一人、星奈だけが眉一つ動かさず、その異様な光景を眺めていた。


「……うるさいわね。こんな安っぽいノイズで、私を揺さぶれると思っているの?」


 星奈の瞳に宿る『神の眼』が、冷徹な青い光を放つ。 彼女には、ハバルトたちが苦しんでいる「過去」など見えていない。ただのデジタルノイズ、論理の破綻、質の低いエラーメッセージの羅列としてしか、その合唱を認識していなかった。


 何より、彼女はこの世界の住人ではない。 エリュマントスの歴史にも、この地の因習にも縛られていない「異物」だ。この世界が用意したどんな惨劇の旋律も、彼女の前では意味をなさない。


「メイ、しっかりしなさい!」


「う、うぅ……ステラちゃん……頭の中に、変な声が、いっぱい……」


 メイが泣きべそをかきながら、自身のサウンド・キャリブレーターを抱きしめて震えている。年齢は大して変わらないはずだが、その泣いている姿はまるで子供のようだ。星奈はメイの元へ駆け寄ると、その小さな肩を強く掴んだ。


「メイ、私を見て。あれは音じゃない。ただの壊れた数式よ。……私が今から、あなたの装置に介入して、強制的に書き換える。最大出力オーバーロードで叩き込むわよ」


「でも、これ以上の出力は……装置が壊れちゃう……!」


「構わない、新しいのはまた作ればいい。……今は、この静寂を取り戻すのが先決よ」


 星奈はメイの手から装置を奪うように掴み、解析ログを走らせた。見よう見まね。だが、理系女子大生としての知識と、『救世主』としてのシステム干渉権限が、メイの持ってきた調整工具を介してキャリブレーターと直結する。


「メイの魔力回路をバイパス……。増幅器を直列に繋ぎ変えて……。私の魔力を、直接流し込む!」


 星奈の手元で装置が火花を散らし、激しく振動を始めた。メイの驚愕の表情。星奈の白磁の肌が、膨大なエネルギーの逆流を受けて、透き通るような白銀に輝き出す。


「……開演は終わり。ここからは、私の指揮に従ってもらうわ」


 星奈は、砕け散りそうなキャリブレーターを、吼える石像たちの中心へと向けた。


「メイ、震えてる暇はないわよ。そのドライバーを貸して」


 星奈はメイの腰のベルトから、魔導回路調整用の特殊ドライバーを迷わず抜き取った。『神の眼』が捉えるログには、キャリブレーターの内部構造が青白い設計図となって透過されている。


(……この世界の魔導技術は、結局のところ、特定の周波数をエネルギー源に変換する関数でしかない。なら、物理法則でバイパス(短絡)は可能ね)


 星奈はメイの手から装置を奪うと、精密な手つきで外装をこじ開けた。中には幾重にも重なる複雑な魔導銀の回路が脈動している。彼女は迷うことなく、出力リミッターを司る基盤のハンダをドライバーの先で強引に焼き切った。


「ステラちゃん……! 何を……!?」


「魔力を『変換』してたら間に合わない。私の魔力を、そのまま叩き込むわ」


 星奈は自身の右手を、剥き出しになった回路の中央へ押し当てた。 直後、装置が絶叫のような高音を発し、白銀の光を放ち始める。星奈の腕を、制御しきれない純粋魔力の奔流が駆け抜け、皮膚を焼く熱気が立ち上った。だが、彼女の眉一つ動かない。


「熱くないの……!? ステラちゃん、手が……!」


「……熱いわよ。でも、《《タンパク質が変性》》する前に終わらせれば問題ないわ。それよりメイ、トリガーを。私が座標を指定する。最大出力オーバーロードで撃ちなさい」


 星奈にとって、ハバルトたちが苦しんでいる「絶望の合唱」は、もはや恐怖の対象ですらない。それは単なる「不規則な波形干渉」であり、修正すべきデジタルノイズだった。 感情を論理でシャットダウンするその異様なまでの冷静さを、背後で膝をついていたシフォンが目撃していた。


(……あの子、自分の精神すら『デバッグ』の対象にしてるの……? 恐怖を感じるプロセスそのものを演算で遮断してるんだわ。なんて、恐ろしい子…素敵…!)


 星奈の「冷徹な論理」が、広間の空気を塗り替えていく。シフォンはその背中に触発されるように、最後の一絞りの魔力を振り絞って立ち上がった。


「……救世主様がそこまでやるなら、お姉さんが寝てるわけにはいかないわね。位相固定、手伝うわよ!」


「助かるわ、シフォンさん! メイ、今よッ!」


 星奈のタクト(指先)が、空中に巨大な逆位相の数式を描き出した。 メイが叫びながらトリガーを引き絞ると、キャリブレーターから白銀の衝撃波が放射された。それは石像から放たれる赤黒いノイズと空中で衝突し、凄まじい「静寂の嵐」を巻き起こす。


「……あ、……ぁ……」


 ハバルトとアネラスの瞳から、悪夢の色が消えた。 二人が顔を上げると、そこには火花を散らす装置を抱え、神々しいまでの光を背負って戦う二人の少女の姿があった。


「合唱のネットワークを逆ハッキング完了。……ソースコードへ、『強制停止(SHUTDOWN)』を送信」


 星奈の指が虚空を叩くと、壁面の石像たちが次々とひび割れ、沈黙していく。 合唱を失った『指揮者』は、演算領域を直接焼かれ、その華奢な体がガクガクと震えた。もはやバトンを振る力すら残っていない。


「シフォンさん、増幅を……! これで終幕にするわ」


「ええ、最高のフィナーレを演出してあげるわ!」


 シフォンの多重魔法陣が、星奈の放つ魔力をさらに純化させ、一つの「旋律」へと編み上げていく。 星奈は、かつて前世で聞いた清らかな聖歌の周波数を脳内でシミュレートし、それを「調和のコード」として『指揮者』の核へ直接流し込んだ。


 赤黒いバグに侵されていた『指揮者』の全身が、一瞬、純白に染まる。 機械的なノイズは消え、彼は最期に、この世のものとは思えないほど美しく、澄み切った「ド」の一音を広間に響かせた。


 それは、塔が本来持っていたはずの、清らかな祈りの音。『指揮者』の体は光の粒子となって霧散し、28階層に完全な静寂が訪れた。


「……終わった、の……?」


 メイがボロボロになったキャリブレーターを抱えたまま、その場にへたり込む。 星奈もまた、強引な魔力伝達による疲労と腕の火傷で、ゆっくりと膝をついた。


「ステラちゃん!」


 メイが駆け寄り、シフォンが呆れたように、しかし慈しむような笑みを浮かべて歩み寄る。


「……全く、無茶苦茶ね。救世主様どころか、これじゃあ暴君デストロイヤーよ。……でも、最高にクールだったわ」


 シフォンが手当てのために星奈の手を取る。 その視線の先、28階層の奥に、次なる階層へと続く巨大な光の扉が、静かに口を開けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ