LOG_0029:第三楽章
■ 聖域の指揮者/Level:57
ステータス:魔導出力 A / 空間干渉 S / 耐久 B
(レベル57……。あの竜よりもさらに上位の個体……!)
星奈は冷静に分析を継続しながら、ハバルトたちの数歩後ろに陣取った。数値化された脅威。竜の時のレベル52を上回るその数字は、この28階層が文字通りの「死域」であることを示している。
「開演だ。……耳を貸すな、魂を削られるぞ!」
ハバルトの咆哮と同時に、『指揮者』が優雅にバトンを振り下ろした。 シュン、という短い風切り音。直後、不可視の衝撃が空間そのものを波打たせ、目に見えるほどの「音波の刃」が五人を目がけて飛来した。
「ぬんっ!」
ハバルトが正面に躍り出て、重厚な大盾を構える。物理的な衝撃なら、彼はこの盾一枚で城門すら守り抜く男だ。しかし――。
「……っ!? がはあッ!」
衝撃音が響かない。代わりに、ハバルトの身体が内側から弾かれたように大きくのけぞった。
「ハバルト先輩!?」
「バカな……盾は、貫通していないはず……!」
「ダメよ、ハバルトさん! 相手の攻撃は『共鳴』よ!」
星奈が叫びながら、ログを叫ぶように読み上げる。
「物理的な衝突じゃない! 盾の分子構造に音波を同調させて透過し、その内側にいるあなたの肉体に直接、振動エネルギーを叩き込んでる……! 物質的な障壁は、彼の前では無意味に等しいわ!」
「理屈は分からんが……厄介なことだけは分かった!」
ハバルトが苦悶に顔を歪めながらも、再び盾を構え直す。だが、その隙を突いてアネラスが影のように飛び出した。
「透過するなら、当たる前に斬るまでよ!」
銀閃の剣が、月光を切り裂くような鋭さで『指揮者』の首筋へ肉薄する。だが、敵は動かない。ただ、手にしたバトンを軽く横に振った。
――キィィィィィィン!!
鼓膜を突き刺すような高周波。アネラスの剣が敵に触れる寸前、空間に生じた「音の壁」に弾き飛ばされた。
「うっ……あ、あぐ……っ!」
着地したアネラスが、咄嗟に脇腹を押さえて膝をつく。 シフォンの精密な治療によって一命は取り留めていたが、竜との戦いで負った深い傷が完治しているわけではない。無理に身体を捻り、剣を振るったことで、塞ぎかけの傷口が内側から悲鳴を上げていた。
「アネラス、無理は禁物よ! 救世主様に怒られちゃうじゃない」
シフォンが鋭い手つきでデバイスを操作し、アネラスの前に割り込む。彼女の周囲に、淡い紫色の多重魔法障壁が展開された。
「シフォンさん、無駄よ! 障壁を張っても、透過されたら……」
「ただの壁ならね。……でも、私の専門は『歪みの観測』なの。ステラちゃん、見てなさいな」
シフォンが指先で空中に複雑な数式を書き込むと、障壁の表面が水面のように不規則に揺れ始めた。 再び放たれた音波の刃が障壁に接触した瞬間、それは弾かれることも透過することもなく、霧のように霧散した。
「逆位相による干渉相殺……!? いえ、もっと複雑ね。空間の位相をミリ単位でずらして、音波の同調を強制解除させている……」
星奈はシフォンの背中に、ギルドが彼女を秩序の編纂局の「検証官」の役職を与え、信頼する理由を見た。気怠げな態度の裏にある、精密機械のような魔力制御。戦う騎士団とは異なり、都内部の「秩序」を保ち、人為的なトラブルや火災、あるいは「獣」に至らない程度の小規模な「バグ(異常事態)」を調査・解決する部署。故に冷静で頭の回転の速さが求められる。
「ふふ、正解。……でも、これ凄まじい魔力消費量だわ。私のタンクが空になる前に、ステラちゃん、その『眼』でトドメの糸口を見つけなさい。……じゃないと、みんなまとめて細切れのミンチよ?」
シフォンの額に、珍しく一筋の汗が流れる。 『指揮者』は無感情な瞳で一行を見下ろすと、今度はバトンを頭上高くに掲げた。
「……第、二楽章」
機械的な合成音声が響くと同時に、彼の背後のパイプオルガンから、さらなる絶望の旋律が溢れ出そうとしていた。
『指揮者』の背後にある巨大なパイプオルガンが、地響きのような低音を鳴らし始めた。 それはもはや音楽ではなく、空間の構造そのものを強引に引き搾る「物理的な暴力」だった。
「ひぅ……! 空気が、空気が震えて、息が……!」
メイが胸を押さえてうずくまる。音圧だけで肺胞が潰されそうなほどの圧迫感。 星奈の『神の眼』には、オルガンの各パイプから放射される波形が、幾何学的な「殺意の檻」となって展開されるのが見えた。
「……第、二楽章。『重力共鳴』」
無機質な宣告と共に、広間を支配する重力係数が狂い始めた。ハバルトの巨体が床に叩きつけられ、アネラスもまた、見えない巨大な掌に押し潰されるように剣を杖にして耐えるのが精一杯の状態になる。
「くっ……シフォンさん、防御を!」
「言われなくても……! でも、広域の位相変位なんて、私の出力じゃ十秒も持たないわよ!」
シフォンの多重障壁が、不協和音の直撃を受けてガラスのようにひび割れていく。
このままでは全滅する。星奈は脳細胞をフル回転させ、視界に流れる膨大なエラーログから「敵の演算の癖」を探り出した。
(音波で世界を上書きしているなら、その『原音』があるはず……。どこ? どこにソースがある!?)
星奈はメイの方を振り向いた。
「メイ! サウンド・キャリブレーターを『逆位相放射モード』に切り替えて! 私が指示するタイミングで、最大出力の衝撃波をぶつけるの!」
「えっ……でも、相手の音を打ち消すなんて、そんな精密なこと……!」
「できるわ! 私が敵の『指揮棒』の動きから、次に放たれる周波数を先読みして、あなたに座標を転送する。……メイ、私を信じて!」
メイはその言葉に、震える手で装置を掴み直し、力強く頷いた。
「わかった……ステラちゃんがそう言うなら、やってみせるよ!」
「いくわよ! 3、2、1……今ッ!」
星奈の視界からメイのデバイスへ、座標データが直接流し込まれる。 メイがスイッチを叩くと、キャリブレーターから透明な衝撃波が放たれた。それは『指揮者』が振り下ろしたバトンの軌跡から生じた「重力の刃」と空中で激突し、不気味なほどの「静寂」と共に消失した。
「……消えた!?」
アネラスが顔を上げる。重力から解放された一瞬の隙。
「一発じゃ足りないわ! 乱打するわよ! 左45度、右10度、上空30度! メイ、連射!」
「お、おらああああっ!!どうにでもなれえ」
メイが必死にレバーを操作し、星奈が導き出した「打ち消しの音色」を叩き込む。 完璧なカウンター。不協和音の檻が、星奈の指揮によって次々と無効化されていく。
「……計算が、狂った?」
『指揮者』の合成音声に、初めてノイズが混じった。 自身の絶対的な領域を侵食され、敵の動きに迷いが生じる。
「今よ、アネラス! ハバルトさん!」
「待ってましたッ!」
重力の呪縛を脱したハバルトが、盾を構えて突撃する。「共鳴」が防がれた今、ハバルトの質量攻撃は敵にとって最大の脅威だ。
「この……インチキ演奏家がぁッ!」
ドォォォォォン!!
シールドバッシュが『指揮者』の胸部を捉え、その華奢な機巧体を吹き飛ばす。 宙に舞う敵。そこに、激痛をこらえ、銀の閃光と化したアネラスが肉薄した。
「終幕よ、……お疲れ様!」
アネラスの剣が、敵の核である胸中央のクリスタルを、音速を超える一閃で刺し貫いた。
しかし、砕け散る寸前、『指揮者』のバトンが赤黒く発光する。 それは敗北を認めた者の音色ではなく、狂気へ至る「最終楽章」への予兆だった。
「……第三、楽章。……絶望の、合唱」
28階層の壁面に埋め込まれた無数の像が、一斉に口を開けた。




