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LOG_0026:旋律

「……竜、は……?」


 意識の浮上と共に、星奈が真っ先に発した言葉はそれだった。鉛のように重い身体を無理やり動かそうとして、視界がぐらりと揺れる。星奈は咄嗟に、霞む視界で周囲を見渡した。


「もう消えたわよ。跡形もなく、綺麗にね」


 聞き慣れた、少し呆れたようなシフォンさんの声が頭上から降ってきた。 星奈は、自分が彼女の膝の上で横になっていたことに気づき、頬に熱が集まるのを感じた。


「シフォンさん……私、どれくらい……いや。そんなことより…アネラス……メイは……っ! 二人は、無事なの……!?」


「自分の怪我より先に他人の安否なんて、救世主様も案外、お人好しよね」


 シフォンさんが少し口角を上げ、膝枕を解くように優しく星奈の身体を支え起こした。その視線の先では――。


「もう大丈夫よ、ステラ」


 そこには、傷だらけの身体に包帯を巻きながらも、いつもの凛とした笑みを浮かべたアネラスが立っていた。


「私が治療したのよ? 当たり前でしょう」


 シフォンさんが誇らしげに胸を張る。その傍らには、メイがちょこんと座っていた。星奈が目を覚ましたことに気がつくと、メイはパッと顔を輝かせ、「イタタ……」と背中の傷を気にしながらも小走りで近寄ってきた。


「よかったぁ……! ステラちゃん、全然起きないから、私、もうダメかと思ったよぉ……」


 二人の無事な姿を見て、星奈の胸に熱い塊が込み上げた。同時に、抑え込んでいた自責の念が溢れ出す。


「……ごめんなさい。アネラス、メイ。私の判断ミスよ。私がしっかりしていなかったから、二人があんなに酷い目に……」


 星奈は俯き、自分の震える手を握りしめた。論理を重んじ、最適解を導くことを自負していた彼女にとって、仲間を血に染めさせた事実は、何よりも耐え難い「失敗」だった。


「何言ってるの、ステラ。貴女が指示をくれなきゃ、私たち、あそこまで竜を追い詰められなかった。それに、最後の一撃でみんなを救ったのは貴女じゃない」


 アネラスが断言し、メイも大きく頷いた。 「そうだよ、ステラちゃん! 私たちを助けてくれたのはステラちゃんだもん。自分を責めないで」


 二人の優しい言葉。けれど、星奈は「でも……」と小さく呟き、唇を噛んだ。その、どこまでも自分を許せないでいる理系女子の頑固な心を解いたのは、重厚な金属の擦れる音だった。


「……ステラ殿」


 焚き火の向こう側から、ハバルトさんが静かに声をかけた。 彼は今、鉄兜を脱いで傍らに置き、端正な顔立ちを火影に照らしていた。驚くべきことに、誰よりも過酷な殿を務め、誰よりも深い傷を負い、装備さえもボロボロのまま帰還した彼は、休むどころか手際よく鍋を火にかけていた。


「過ちを反省するのは武人の美徳だが、自らの功績まで否定するのは、共に戦った者への礼を欠く行為だ。貴女が最後に放ったあの一撃……あれこそが、我ら五人の命を繋いだ。誇れ、ステラ殿。貴女は間違いなく、我らの救世主だった」


 ハバルトさんは上層まで持ってきた保存食とハーブを使い、手慣れた様子でスープを煮込んでいた。その淡々とした、だが揺るぎない信頼の宿った言葉に、星奈は言葉を失った。


「……ハバルトさん、休んでなくて大丈夫なんですか? 誰よりも激戦続きで、傷だらけなのに……料理まで……」


「これしきの傷、料理の火を熾す手間よりは軽い。温かいものを食え。上層の冷えた空気は、心まで蝕むからな」


「すみませんハバルト先輩」


「お前もまずは休んでおけアネラス」


 ハバルトは無事だった陶器の器にスープを注ぎ、星奈に差し出した。 星奈はゆっくりと身体を起こし、周囲を見渡した。そこは、塔の正面広場から少し離れた、石造りの古い建物の中だった。


「ここは……?」


「広場から少し離れた避難所よ。竜が消えてから、不思議とこの一帯に『獣』が出なくなったの。あの個体がこのエリアを支配していたんでしょうね。まだ解析しきれていないから断定はできないけど」


 シフォンが窓の外の静まり返った景色を見やる。

 星奈はハバルトさんから受け取ったスープの温もりを両手で感じながら、一口、その琥珀色の液体を啜った。


 香辛料の香りと、肉の出汁が染み渡る。 理屈ではない「生きている」という感覚が、ようやく彼女の中に溶け込んでいった。


「そう言うと思った。だがアネラス、お前もメイも治療が終わったとはいえ、体調が安定するまでにはまだ時間が必要だ。無理は禁物だぞ。数時間はここで身体を休める」


 ハバルトの言葉に、星奈も静かに頷いた。 星奈自身、先ほどの戦いで肉体の出力を限界まで引き上げた反動が、鈍い疲労感となって全身に残っている。それでも、こうしてすぐに起き上がれるほどに回復しているのは、気を失っている間にシフォンがつきっきりで治療を施してくれたおかげだった。


「シフォンさん……あらためて、ありがとうございます。あなたの治療、想像以上に素晴らしいですね。正直、驚きました」


 星奈が率直な称賛を送ると、シフォンは「あら」と意外そうに目を細め、妖艶な笑みを浮かべた。


「嬉しいわね、救世主様にそんな風に言っていただけるなんて。これでも一応、秩序の編纂局オーダー・レギュレーターの『上級検証官シニア・ベリファイア』ですから。伊達にキャリアを積んでいるわけじゃないのよ?」


 シフォンが優雅に髪をかき上げる。 初めて会った時は、制服を着崩した、少し変わり者の妖艶な美人としか思っていなかったが、その実力は本物だ。負傷した箇所を的確に見抜き、これほど迅速に身体を癒やす手腕。


(ただの変わり者かと思っていたけれど……やっぱり、選んで…いや。この人でよかった)


 その後、数時間の休息を取ることになった。 静まり返った廃屋の中で、五人は武器を研ぎ、あるいは短く深い眠りについた。


 ハバルトが薪をくべるパチパチという音だけが響くその時間は、過酷な戦いの中に訪れた奇跡のような平穏だった。


 やがて、外の空気の揺らぎが一段と静まり返った頃、星奈はゆっくりと腰を上げた。身体の芯に残っていた重い疲労も、シフォンの精密な処置によって、今は心地よい緊張感へと変わっている。


「……行きましょう。いつまでもここに留まっているわけにはいかないわ」


 星奈の宣言と共に、全員がそれに応じるように立ち上がった。 建物の外に出ると、上層特有の冷たい風が吹き抜ける。かつて竜が鎮座していた広場は、今はただ不気味なほどの静寂に包まれていた。


 五人は一歩一歩、その中心にそびえ立つ『聖歌隊の塔』の巨大な門へと歩みを進める。 門の表面には、音符とも幾何学模様ともつかない不思議な紋様が刻まれ、そこから淡い青色の光が脈動していた。


「観測結果はどう?」


 シフォンの問いに、星奈は門の状態を読み解こうと神経を研ぎ澄ませた。 門に手をかけようとしたその瞬間、星奈の脳内に、物理的な音ではない「旋律」が流れ込んできた。


「……歌?」


「え、何か聞こえるの?」 メイが不思議そうに首を傾げる。星奈の視界には、塔の内部から漏れ出すログが多重奏のように重なり合い、美しくも歪な旋律を形作っているのが見えていた。


「……あの中に、誰かがいるわ。この旋律を、ずっと奏で続けている何かが」


 星奈の言葉と共に、巨大な石門が、重厚な地響きを立ててゆっくりと左右に分かれた。 中から溢れ出してきたのは、眩いばかりの純白の光。


 五人は力強く頷き合い、ハバルトを先頭に、その未知なる塔の内部へと足を踏み入れた。

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