LOG_0027:聖域
石の門を潜り抜けた先で、星奈たちを待っていたのは「光の洪水」だった。
「……何、ここ。外のボロボロな景色が嘘みたいじゃない」
アネラスが眩しそうに目を細め、警戒を解かずに呟く。 そこは、塔の外観からは想像もつかないほど、清潔で無機質な空間だった。壁面は曇り一つない白亜の石材で構成され、空中には青白い幾何学的な光のグリッドが、まるで部屋の容積を定義するように整然と張り巡らされている。
何より異様なのは、物理法則の「質感」だった。 五人が歩を進めても、硬い石床を叩くはずの足音が一切反響しない。代わりに、壁の奥から地響きのような、一定の「リズム」が絶え間なく伝わってくる。
「足音が吸い込まれてる……。空気の振動係数が書き換えられているのかしら」
星奈が『神の眼』で空間をスキャンすると、視界には膨大な正常値のログが並んだ。しかし、その奥底で、先ほど感じた「旋律」が脈動している。
「ステラ殿、伏せろ!」
ハバルトの鋭い警告と同時に、虚空から銀色の光が飛来した。それは「獣」ではなかった。関節部に青い発光ラインを持つ、白磁の機巧兵。意思を持たない防衛システムが、侵入者を排除すべく頭上の回廊から飛び降りてきたのだ。
「解析……機巧種、識別名『センチネル』。生体反応ではなく、空間の座標変化で敵を認識しています。死角はありません、力で押し通るしか……!」
星奈が叫び、自身の白磁の剣を抜く。 機巧兵たちは一切の咆哮を上げず、ただ機械的な駆動音と共に、手にした光の槍を突き出してきた。
「下がっていろ。……ここは私が止める」
ハバルトが正面に躍り出た。盾を構え、大地に根を張る巨木のようにその場を支配する。「ガガッ!」という硬質な衝撃音が響き、三体の機巧兵の突撃がハバルトの盾一枚に阻まれた。
「アネラス、右だ!」「分かりました!」
ハバルトが作った一瞬の硬直。アネラスはその隙を見逃さず、銀閃の剣を走らせた。しなやかな跳躍から繰り出される一撃が、機巧兵の関節部を正確に断ち切る。
さらにハバルトが漏らした一体が、メイの方へと殺到した。「わわっ、こっちに来ないで!」 メイが慌てて鞄から取り出したのは、特殊な磁場を発生させる魔導円盤だ。「ポチっとな!」 メイがスイッチを入れると、円盤から放たれた強力な斥力が機巧兵の姿勢を強引に崩す。そこに、星奈が踏み込んだ。
「座標固定、切断!」
星奈の剣が、バランスを失った機巧兵の動力源を正確に一閃した。 火花を散らし、機巧兵が沈黙する。 静寂。再び、あの足音を吸い込むような無音の空間が戻ってきた。
「……ふぅ。意思がない分、獣よりやりづらいわね」 アネラスが剣を鞘に納めようとしたときだった。
「――っ、来るわ。今度は、もっと『重い』のが」
シフォンが気怠げな声を張り、自身のデバイスを展開した。 彼女の指先が虚空を舞うと、淡い紫色の魔法障壁が五人の周囲に展開される。
「シフォンさん?」
「耳を塞いでも無駄よ。これは鼓膜じゃなくて、魂に直接響いてくるわ」
シフォンの言葉と同時に、先ほどまで微かだった「歌」が、一気にボリュームを増した。アネラスが、メイが、そして屈強なハバルトまでもが、不快そうに顔を歪める。
「な、何これ……頭の中に、誰かが直接指を突っ込んでくるみたいな……」 メイがこめかみを押さえてしゃがみ込む。
それは、透き通るような美しい少女の歌声。 しかし、星奈の『神の眼』に映るその正体は、あまりに悍ましいものだった。
「これ……歌じゃないわ。エラーコードを、無理やり音楽の形式に変換して垂れ流しているシステムそのものよ」
星奈の視界では、美しい旋律が真っ赤なエラーログの濁流となって塔の最上層へと昇っていくのが見える。
「叫んでいるのよ、この塔自体が。システムの修正を求める、悲鳴に近いログだわ……」
「……そうね。概念損傷が酷いわ」
シフォンがデバイスの数値を読み取りながら、冷ややかに、しかしどこか興奮を孕んだ瞳で周囲を観測する。 彼女は、秩序の編纂局において「精神汚染」や「魂の歪み」の治療を専門とするスペシャリストだ。未知のバグがもたらす「歪み」を誰よりも深く理解し、それ故に、その異常性に強い好奇心を抱いている。
「魂を強引に書き換えようとするほどの、美しい絶望。……皮肉ね、ステラ様。これほど壊れているのに、これほど純粋に調和を求めているなんて」
シフォンが魔導具をかざすと、歪みかけていたアネラスたちのオーラが、柔らかな光に包まれて安定していく。
「私が精神をプロテクトしている間に、先へ急ぎましょう。この『歌声』の源を見つけない限り、私たちはいつか、自分という記述を失って、この音楽の一部にされてしまうわ」
白磁の壁を震わせる「悲鳴」が、シフォンの術式によってわずかに和らぐ。
一向は歩みを始めた。そんな中張り詰めた空気を解くように、シフォンがふわりと星奈の隣に並んだ。
「ねえ、そういえば。……貴女のこと、なんて呼んで欲しい?」
「……唐突ですね。今はそんな状況では……」
星奈は眉をひそめながらも、視線は周囲の警戒を怠らない。シフォンはくすくすと肩を揺らし、指先で自身の唇をなぞった。
「だって、救世主様に、お嬢ちゃん、エグゼクティブ・デバッガー様……どれも呼びにくいんですもの。統一しておきたいわ、これからの仲ですもの」
「……なんでも良いです。お好きなように」
「じゃあ、『ステラちゃん』にしようかしら。可愛らしいもの」
「あ、せっかく私もステラちゃんって呼び始めたのに」
とメイが小さな声で少し拗ねる。
「そういえば、そうだったかしら…?まぁ、何でも良い。どうぞ。許可を求める必要もありません」
淡々と答える星奈。そのやり取りを背中で聞いていたハバルトが、重厚な声を低く響かせた。
「……集中しろ。ここは戦場だ」
「あら、怖いわね。少しでも和ませようとしただけよ、《《ハバルト先輩》》」
シフォンは肩をすくめて見せたが、その瞳の奥には冷徹な観測者の光が戻っていた。五人は再び、幾何学的な紋様が浮き出る長い回廊を歩き始める。
「……ハバルトさん、シフォンさん。本来の上層は、どんな場所だったんですか?」
星奈の問いに、ハバルトが前方を凝視したまま口を開いた。
「本来の上層は、神の恩恵を最も色濃く受ける『聖域』だ。高潔な司祭や、都の運営を担う選ばれた民が住まう場所……白亜の建物が並び、常に美しい音楽が流れる、まさに楽土だった」
「でも、今のこの惨状よ」と、シフォンが窓の外のノイズ混じりの景色を指差す。「バグが深刻化してからは、多くの住民が中層へと逃げ延びたわ。けれど、中にはまだ上層に残っている者もいるという噂よ。彼らが無事か、それともこの『旋律』に取り込まれたかは……私たちにも分からないけれど」
「実はね、どうやらギルドでも、一度だけ極秘の派遣隊が組織されたことがあったわ」
アネラスが苦い表情で言葉を継いだ。
「でも、結果は惨敗。何が原因で、どこに何があるかさえ掴めないまま、命からがら逃げ帰るのが精一杯だった。上層のデータは、それほどまでに秘匿され、汚染されていたのよ」
「知らなかった。そんなこと、団長様も誰も言わなかったし」
「あまり公に出来ないからね。役職者でも知っている人間は少ない。新人は知らない」
「逃げてきた人たちが騒ぎそうな気もするけど」
「でも結局はギルドが動かない限りは何も出来無い。今までの実績や歴史もあってみんな信頼してくれてるのよ。何とかしようとする働きは感じてくれたんでしょうね。逃げてきた人たちはご覧の通り上層が只事じゃないことを知っているわけだし」
「そんな時に、貴女が空から降ってきたというわけさ。救世主様」
ハバルトがわずかに振り返り、星奈を見た。
「我々にとって、貴女の存在こそが、この閉ざされた上層の門を開く唯一の鍵だった。……だからこそ、死なせるわけにはいかんのだ。エリュマントスの為にもだ」
その言葉の重みに、星奈は無言で頷いた。 本当の意味での「救世主」と呼ばれた言葉の意味。やがて一行は、回廊の突き当たりにある、巨大な円形の広間へとたどり着いた。
そこには、三つの異なる文様が刻まれた巨大な「扉」と、その中央に浮かぶ水晶の装置が、静かに五人を拒んでいた。




