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LOG_0025:救世主様

「ハバルト……さん……」


 星奈が呆然と声を漏らす。 そこに立つハバルトの姿は、壮絶という他なかった。自慢の白銀の甲冑は至るところが凹み、マントはボロボロに引き裂かれている。だが、その背中に揺らぎはない。一人で無数の獣をなぎ倒し、この地獄のような戦場へ文字通り「間に合わせた」男の意地が、そこにはあった。


「……遅くなったな。だが、まだ終わらせるつもりはない」


 ハバルトの声は、鉄兜の奥で低く、だが驚くほど冷静に響いた。 巨竜が苛立ちを露わにし、巨大な前脚をハバルトの大盾へと叩きつける。凄まじい衝撃波が周囲の石畳を粉砕するが、ハバルトは一歩も引かない。盾の裏で歯を食いしばり、全神経を「防御」へと注ぎ込んでいる。


「何をしている、ステラ殿! 顔を上げろ!」


 ハバルトの怒号が、呆然としていた星奈の鼓膜を震わせた。


「仲間が傷つき、心が折れたか? 救世主と呼ばれ、全幅の信頼を寄せられる重圧に、その程度の覚悟で挑んでいたのか!」


「……っ」


「いいか、今の我々に『敗北』などという選択肢はない。シフォンが命を繋ぎ、メイとアネラスが道を切り拓いた。そして私がここに立っているのは、貴女がこの不条理を終わらせると信じているからだ。貴女の『眼』がなければ、この怪物は倒せん。絶望している暇があるなら、我々に勝機を指し示せ!」


 厳しい言葉。だが、それは星奈を「特別な存在」としてではなく、騎士として、共に戦場を駆ける「一人の戦友」として認め、命を預けるという究極の信頼の証だった。


「救世主という言葉だけではないことを見せてみろ!!」


「……ハバルト、さん……」


 星奈は震える手で地面を掴み、立ち上がった。 右肩の傷が熱く疼く。背後では、シフォンが必死にメイとアネラスの治療を続けている。


 救世主。神の眼。そんな大層な呼び名はどうでもいい。


 今の自分は、如月星奈。この世界で、自分を仲間と呼んでくれた者たちのために、最善の解を導き出す「観測者」だ。


(……考えろ。感情をノイズに変えるな。すべてを演算の燃料にしろ)


 星奈は自身の内側にある恐怖、無力感、そして仲間を傷つけられた怒り――そのすべてを「エネルギー」として変換し、脳内の演算回路へと流し込んだ。


極限解析オーバー・クロック開始】

【対象:聖域の処刑竜。全記述データの完全同期……開始】


 視界が急速に色を失い、世界が青白い情報のグリッドへと変わる。 ハバルトが大盾を構え、竜の猛攻を正面から受け止めて時間を稼いでくれる。その一秒、一瞬が、星奈にとっては数万行のコードを読み解くための永遠に等しい。


(80%のダメージカット。それは常時展開されている物理演算の『盾』。けれど、どんなに完璧なプログラムにも、必ずリロードの瞬間がある。……どこ? どこにあるの!?)


 星奈の瞳が発火するように青白く輝く。

 竜が咆哮し、首を大きく振った瞬間だった。

 防御と攻撃の記述が切り替わる極々わずかな合間に、竜の全身を覆う記述防壁が、ほんの一瞬だけ「消失」する部位を特定した。


(――見つけた。頭部、顔面!)


 そこだけが、次の攻撃のために莫大なエネルギーを集中させる必要があり、防壁の再構成が他の部位よりも一瞬だけ遅れる。

 その瞬間だけは、レベル52の最強の門番も、無防備な「ただの肉体」へと戻る。


「……ハバルトさん! 敵の防壁に綻びがあります! 頭部……顔を狙えば、ダメージカットを無効化できる!」


 星奈の声が、戦場に鋭く響く。

 だが、その攻略法を実行するには、あまりにも高い壁があった。竜の強固な外殻を叩き割り、剥き出しの「顔」へ致命的な衝撃を与えるには、ハバルトの放つ渾身の大斧が不可欠だ。


 しかし、彼は今、竜の猛攻を正面から受け止める「楔」として、その場に釘付けになっている。


(私がやるしかない……。ハバルトさんに隙を作ってもらって、私が最大出力を叩き込む!)


 星奈は手にした白銀の剣を強く握りしめた。この世界に降り立った直後、力の制御が効かずに石畳を粉砕し、自らの腕さえ引きちぎれそうになったあの破壊的な衝動。これまでは「暴走」を恐れて無意識にリミッターをかけていたが、今はその封印を解く時だ。


(極限まで記述を加速させろ。私の肉体ハードウェアが壊れるのが先か、あいつをデバッグするのが先か……!)


 星奈の全身に、青白い放電のようなノイズが走る。筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋む音が脳内に直接響く。肉体への負荷は凄まじいが、そんな痛みなど、仲間の血を見た時の絶望に比べれば取るに足らない。


「ハバルトさん! 頭部に最大の一撃を! 私がその上に重ねます!」


「――承知した」


 武人らしい、短くも揺るぎない一言。ハバルトは守護聖将の象徴である大盾を迷いなく地面に捨て、両手で巨大な大斧を天高く振り上げた。守りを捨てた「盾」を喰らわんと、竜がその巨大なあぎとを開き、殺到する。


 星奈の『眼』が、竜とハバルトの距離、そして記述の揺らぎを完璧に捉えた。


「――今です!!」


 星奈の叫びと同時に、大斧が垂直に振り下ろされた。 ゴォォン! と、空間を震わせる爆音が響き、斧の刃が竜の眉間に直撃する。凄まじい反動にハバルトの腕の筋肉が跳ねるが、彼は斧を決して離さない。記述の修復を許さぬよう、力技でその「綻び」を押し広げる。


「行けッ、ステラ殿!!」


 ハバルトの背後から、光の矢となった星奈が飛び出した。 出力を最大限まで引き上げた白銀の剣が、大気との摩擦で発火せんばかりの熱量を纏う。


「消えなさい……バグ(不条理)ごとッ!!」


 渾身の一振りが、ハバルトの斧が食い込んだ傷口へ重なるように叩きつけられた。 星奈の腕の中で、剣が、そして自身の肉体が限界を超えて軋む。


「ギ、アアアアアアアアアアアッ!!!」


 竜が、悲鳴のような、あるいはシステム崩壊のノイズのような咆哮を上げた。 凄まじいエネルギーの余波に弾き飛ばされ、星奈の身体は地面を転がっていく。


「……っ、かはっ……」


 地面に叩きつけられ、荒い息を吐きながら星奈が顔を上げた。 視界の先には、斧を構えたままどっしりと大地に根を張るハバルトの背中。そしてその目の前で、最強の門番が、無数の光の粒子となって霧散していく光景があった。


 記述が離散し、空へと溶けていく。 圧倒的な威容を誇った竜の最後を、星奈はその『眼』で静かに見届けた。


「さすが、救世主様」


 二人の治療をしながら、シフォンが彼女を見ながら笑った。


(……勝った……んだよね?)


 勝利の確信と共に、星奈の意識は深い疲労の海へと沈み込んでいった。

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