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LOG_0024:ハバルト・アイアンメイス

「来るわ……っ!」


星奈の叫びが響くのと同時に、『聖域の処刑竜コード・エグゼキューター』がその巨大な翼を広げた。 青白いノイズが空間を削り取り、冷徹な殺意が風圧となって押し寄せる。アネラスもメイも、そして星奈自身も、本物の「竜」という存在を目の当たりにするのはこれが初めてだった。


「嘘でしょ……これが、竜……」


アネラスが震える手で剣を握り直す。 「騎士団の講習で話には聞いていたわ…。でも、まさかこれほどまでの迫力だなんて……っ」


星奈もまた、足の震えを止めることができずにいた。理系学生としての冷徹な観察眼さえも、生物の頂点に君臨する圧倒的な質量と、Lv.52という数値以上の暴力的な威風の前に屈しそうになる。


(落ち着きなさい、如月星奈。これは生物じゃない……ただの高密度なデータ、バグの塊よ……!)


自分を叱り飛ばし、役割に徹するために『神の眼』を最大出力で稼働させる。 視界に流れるログは、絶望的な事実を突きつけていた。


「物理・魔導ともにダメージカット率は80%……。ただ斬っただけじゃ、爪の表面を撫でる程度の影響しか与えられないわ。アネラス! 攻撃が記述防壁と衝突する瞬間に生まれる『干渉波の打ち消し』……その一点を突かないといけない!」


「無茶を言うわね……! でも、やるしかないんでしょ!」


アネラスは恐怖を無理やり闘志で塗りつぶし、地を蹴った。 巨体の隙を突き、山のような竜の足元をすり抜けながら、銀閃の剣を振るう。 星奈もまた、自身の恐怖を解析の熱量で押し殺し、白銀の剣を構えて飛び出した。


「アネラス、すぐに左足の座標が書き換わる! 避けてから右の付け根を突いて!」 「了解っ!」


二人の連携。星奈の指示通り、アネラスが宙を舞い、竜の巨体から放たれる衝撃を紙一重でかわしていく。星奈もまた、竜の側面へと切り込み、剣を振るう。 だが、手応えは最悪だった。


極限まで研ぎ澄まされたはずの刃が、硬質な壁に弾かれるような鈍い音を立てる。80%というカット率は、彼女たちの全力を持ってしても、わずかな火花を散らすのが精一杯だった。


「……っ、硬すぎる……!」


焦燥が星奈の胸を焦がす。 後方では、メイが必死の形相で予備の魔導具を組み立てていた。


「ステラちゃん! アネラス! 無理しちゃダメだよ!」


一方で、シフォンだけは異常なほど冷静だった。 この絶望的な竜さえも「貴重なサンプル」として見なし、デバイスを向け続けている。


「素晴らしいわ……これが最上層のセキュリティ。ねえステラ様、あの竜の『核』、一体どんな味がするのかしら?」


「そんなこと言ってる場合じゃないわよ……ッ!」


星奈が叫んだ瞬間、竜が大きく天を仰いだ。 直後、空気が振動し、物理演算そのものを震わせるような咆哮が放たれた。


「――が、ああああッ!?」


凄まじい衝撃波。星奈とアネラスの二人は、木の葉のように吹き飛ばされ、地面へと叩きつけられた。 『神の眼』が捉えるログが赤く明滅し、焦りによるノイズが星奈の視界を歪ませる。


(ダメ……演算が追いつかない! 攻撃の予兆が見えない!)


「これでも……食らいなさいッ!」


崩れかけた状況を救ったのはメイだった。 彼女が投げつけたのは、目眩ましに特化した小型魔導具『超高輝度フラッシュ・デバッガー』。 竜の目前で激しい閃光が爆散し、一瞬だけ怪物の目が眩む。


「今よ、アネラス!」


「あああああッ!」


アネラスが叫びとともに地を蹴り、無防備になった竜の腹部へ渾身の突きを叩き込む。 確かな手応え。初めて、竜の記述防壁に小さな亀裂が走った。


「やった……!?」


だが、その喜びは一瞬で氷ついた。 竜は瞬時に体勢を立て直し、目が見えぬままにその巨躯を翻したのだ。 長い尾が、死神の鎌のようにしなる。


「アネラス、避けて! ……斜め後ろ、二時の方向……間に合わない!?」


星奈の叫びも、解析も、竜の暴力的な速度の前には遅すぎた。 回避行動を取ろうとしたアネラスの脇腹に、竜の一撃が真正面から激突する。


「……あ、がふっ……」


アネラスの体が、礫のように弾け飛んだ。 回廊の白い壁に激突し、彼女の口から鮮血が舞う。


「アネラス!!」


星奈の心臓が、恐怖で凍りつく。 駆け寄ったシフォンが、即座にデバイスを起動し、アネラスの体に琥珀色の光を流し込むが、その表情は険しい。


「……マズいわね。内臓が損傷してる。修復(治療)にはちょっと時間がかかるわよ、救世主様」


「……っ、アネラス!」


星奈は、崩れ落ちた親友の姿を見て、金縛りにあったように硬直した。 これまで幾度となく「バグ」を消去してきた。だが、目の前で生身の人間が、自分を「ステラ」と呼び、時間をかけて対等な友人として接してくれた少女が、真っ赤な血を吐いて倒れる光景。それは、数式やデータでは到底処理できない「生命の毀損」という生々しい暴力だった。


「……あ、アネラス、起きて……っ」


「ステラちゃん、下がって! あいつ、まだ来るよ!」


叫んだのはメイだった。彼女は震える手でポーチから最後の大掛かりな魔導具を取り出し、竜の足元へ投げつけた。凄まじい爆炎が竜を包み込む。だが、その爆炎を切り裂くようにして、竜の巨大な爪がメイへと振り下ろされた。


「メイ!!」


アネラスの惨劇に意識を奪われ、頭の回転が止まっていた星奈がその異変に気づいた時には、すべてが遅すぎた。


「……あ、がぁっ!!」


メイは反射的に身体を捻ったが、竜の爪は無慈悲に彼女の右肩から背中にかけてを深く切り裂いた。鮮血が宙に舞い、メイの身体が礫のように吹き飛ぶ。


「い、痛い……っ! ああぁぁぁっ!!」


地面に転がり、痛みに絶叫するメイ。その光景に、星奈の頭は真っ白になった。


「二人同時か、ちょっと遠いわね……!」


シフォンが険しい顔で、右手を目の前のアネラスへ、左手を数メートル先に倒れ込んだメイへと向け、二つの魔法陣を同時に展開する。


「メイ、動かないで! すぐに塞ぐから!」


琥珀色の光が二人を包む。だが、それを見つめる星奈の感情は、かつてないほど激しく波打っていた。


(何が救世主よ。何が、神の眼……。特権チート能力なんて持っていても、誰も救えていないじゃない……!)


自分を受け入れ、仲間、そして友人だと思ってくれた二人。彼女たちが傷ついたのは、自分が解析を、判断を誤ったからだ。 アネラスも、殿を務めたハバルトも。私がしっかりしていないから。


「救世主様! 絶望してる暇があるならその頭を動かしなさい! 私一人じゃ二人の命を繋ぎ止められないわよ!」


シフォンの鋭い発破と、竜の鼓膜を震わせる咆哮。その衝撃で星奈はかろうじて我を取り戻した。それでも、指先の震えは止まらない。


「……集中、しなきゃ。集中……」


立ち上がった星奈は、正面から竜と相対した。 巨大な死の化身。網膜には膨大な解析結果が流れているはずなのに、今の星奈には、それらがすべて意味のない記号の羅列に見えていた。情報の奔流が意識の外へと吹き飛んでいく。


竜がトドメの一撃を放つべく、大きく前脚を振り上げた。 剣を構えたまま、星奈はただ立ち尽くす。


万事休す。


その瞬間――。


――ズ、ガガガガァァァァン!!


竜と星奈の間に、激しい爆音とともに「鉄の壁」が降り立った。 舞い上がる砂塵と火花。


「……遅くなったな。ステラ殿」


重厚な甲冑。血とノイズに汚れ、ボロボロになったマントを翻し、そこには守護聖将の誇りを背負った男が立っていた。


ハバルト・アイアンメイス。 絶体絶命の窮地に、鉄壁の男が今、帰還した。

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