LOG_0022:守護神
「観測完了。全個体、デバッグ(掃討)を開始するわ」
星奈の宣言と同時に、歪んだ庭園に火蓋が切られた。 星奈はメイの手によって極限まで研ぎ澄まされた白銀の剣を構え、まずは自身に肉薄する『虚像の狩人』を見据える。光学迷彩により姿は消えているが、星奈の『神の眼』は、空間の屈折率の乱れからその正確な座標を常にトレースしていた。
「アネラス、二時方向! 座標の揺らぎが収束する瞬間に、私の剣筋を追って!」
「了解!」
星奈が踏み込み、何もない空間へ鋭い一閃を放つ。それは攻撃というより、隠れている敵の記述を「暴き出す」ためのトリガーだ。 星奈の剣が狩人の光学迷彩を切り裂き、ノイズと共にその醜悪な姿が露わになった瞬間、アネラスが銀色の閃光となって駆け抜けた。
「そこね……っ!」
Lv.34:上級騎士の技。アネラスの剣が星奈のガイドに導かれ、狩人の核を正確に一文字に断つ。
一方、正面ではハバルトが『記述の捕食者』と正面から衝突していた。
「硬いな……。並の攻撃では通らないか」
ハバルトの大斧が火花を散らす。 「ハバルトさん、正面衝突は無意味です! その個体、周囲の魔導を吸着して装甲をリアルタイムで修復しているわ。……右足の付け根、記述の結合が0.5秒周期で途切れている!」
「……合点がいった」
ハバルトは端正な顔立ちを崩すことなく、盾で敵の突進を受け流すと、星奈が指摘した「一瞬の綻び」へと大斧を垂直に振り下ろした。 守護聖将の放つ必殺の重撃が、捕食者の外殻を紙細工のように引き裂き、その内部構造を粉砕する。
後方では、『旋律の壊し屋』が耳を劈くような高周波の衝撃波を放とうとしていた。
「メイ、今よ!」
「分かってるってば! カウンター・パルス、照射っ!」
メイが突き立てた振動触媒から、逆位相の魔導波動が放たれる。衝突した衝撃波は物理的に打ち消され、無防備になった壊し屋を、シフォンの放った観測用魔弾が貫いた。
四体の獣は、断末魔のノイズを上げながら、次々と光の粒子となって離散していく。
「……ふぅ。採取完了。救世主様と一緒にいると効率が良すぎて怖いわね」
シフォンが手元のデバイスで、消えゆくデータの「最後の残響」を吸い込みながら呟いた。
しかし、星奈の表情は晴れない。 四体の獣を消去したはずなのに、周囲の「逆さまの水」や「遅れる音」といった環境エラーが、一向に改善されないのだ。
「おかしいわ……。個体としてのバグは消したはずなのに、エリア全体の記述がまだ『汚染』されている」
星奈は『神の眼』をさらに深層へと潜らせる。 その視界の先、庭園の奥に鎮座する巨大な「聖歌隊の塔」の基部から、心臓の鼓動のような、巨大なエラーログの脈動が響いてくるのを捉えた。
「……ハバルトさん、これはただの散発的なバグじゃないわ」
ハバルトは大斧の血振り(ノイズ払い)をし、静かに星奈の隣に立った。 「ああ。きっとこの奥に、もっと巨大な『記述の歪み』があるのだろう。……アネラス、メイ、シフォン。油断するな。ここからが本当の調査だ」
(カシムさんが言っていたように、これじゃいくら剣を振ったところで解決に至らないわね)
五人の前には、歪んだ空間を繋ぎ合わせたような、不気味に輝く塔の入り口が口を開けていた。しかしその時だ。
四体の獣をデバッグした光の粒子が、消える間もなく空間の歪みに吸い込まれ、再び実体化を開始した。その事象に追うように周囲にも小型の獣が湧き出る。
「……嘘でしょ? 離散したデータが、その場で再構成されてる……!」
星奈の『神の眼』が捉えたのは、異常なまでの復元速度だった。倒しても倒しても、周囲の「汚染」が供給源となり、新たな獣を無限に生み出している。
「キリがないわ。このエリアそのものが『バグの発生源』になっているんだもの。まともに相手をしていたら、こちらのリソースが先に尽きるわよ」
シフォンの警告通り、庭園のあちこちからノイズを纏った影が次々と這い出してくる。その数は十、二十と膨れ上がり、特命チームを包囲していく。
「ステラ殿、逃げ道を! ここで消耗するのは得策ではない!」
ハバルトが大斧で三体の獣をまとめて弾き飛ばしながら叫ぶ。星奈は即座に解析モードを最大展開し、遥か遠方、霧の向こう側にわずかに見える白い構造物を指し示した。
「……あそこ! 距離はあるけれど、北西にある『外縁回廊』。あの区画だけは、記述の汚染が及んでいないわ。あそこまで逃げ込めば、立て直せる!」
「よし、走れ! 全員、ステラ殿に続け!」
ハバルトの号令で、五人は駆け出した。だが、背後からは光学迷彩を持つ『狩人』たちが恐るべき速度で肉薄してくる。このままでは回廊に辿り着く前に、背後から食い破られるのは明白だった。
その時、ハバルトが不意に足を止めた。
「ハバルト先輩!?」
驚いて振り返るアネラスに、ハバルトは追っ手の群れへと向き直った。
「私の脚では、このスピード勝負にはついていけん。……ここは私が殿を務める。お前たちは先に行け」
「何言ってるんですか! 私も残ります! 先輩一人なんて……!」
アネラスが剣を握り直して戻ろうとするが、ハバルトの重厚な声がそれを制した。
「ならん、アネラス。お前はステラ殿を守るのが役目だろう。……案ずるな。私はこのエリュマントスの盾となるべく騎士となり、守護聖将の位を預かった身だ。この程度の雑音に、遅れは取らん」
彼は大斧を正門の守護神のごとく構え、押し寄せる獣の波を一身に引き受けた。その背中には、一切の迷いも恐怖もない。
「……すぐ追いつく。行け!」
「……っ。行きましょう、アネラス! ハバルトさんの決意を無駄にしないで!」
星奈はアネラスの腕を引き、無理やり回廊へと走らせる。 背後で、ハバルトの放つ凄まじい衝撃波と、獣たちの断末魔が響き渡る。星奈は一度だけ振り返り、猛然と戦う彼の背中を網膜に焼き付けた。
数十分後。四人はようやく汚染の届かない『外縁回廊』へと滑り込んだ。 そこは、先ほどまでの狂った庭園が嘘のように静まり返っている。
「はぁ、はぁ……っ。ここまで来れば、追っ手は来ないみたいね」
メイが肩で息をしながら、入り口に防壁代わりの工具を並べる。アネラスは剣を鞘に納めることもせず、今来た道をじっと見つめていた。
「……ハバルト先輩、大丈夫よね。守護聖将だもん。あんなバグの群れ、先輩なら……」
アネラスの不安を打ち消すように、星奈は努めて冷静に言った。 「ええ。解析した限り、ハバルトさんの盾と斧の連携は、この世界の物理法則の中でも最高クラスの最適解を出し続けていたわ」
星奈の目にだけは見えている。ハバルトという存在が持つ圧倒的なレベルと、それが生み出す堅牢なログ。
「彼が『追いつく』と言ったのなら、それは生存確率に基づいた確信よ」
「……そうね。あの堅実なハバルト様が、根拠のない無茶をなさるはずがないわ」
シフォンも、いつもの軽口を封じて静かに頷いた。 ハバルトを信じる。それが、今の彼女たちにできる唯一の「正しい処理」だった。
星奈は回廊の柱に背を預け、震える指先で自身のステータス画面を閉じた。
霧の向こう、まだ戦場の方角から微かに地響きが届いている。 星奈は祈るような気持ちで、その「音」を『眼』で追い続けていた。




