LOG_0021:掃討開始
重厚な機械音を響かせ、魔導リフトは垂直に上昇を続けていた。
中層までの賑わいは遠ざかり、密閉された鉄の箱の中には駆動音とわずかな振動だけが支配している。
「……随分と長いわね。重力加速度から推測するに、もう地上から五百メートルは超えているはずだけど」
星奈が独り言のように呟くと、隣で壁に背を預けていたシフォンがくすくすと肩を揺らした。
「あら、救世主様でも緊張なさるの? それとも、あまりの高さに足がすくんでいらっしゃる? 安心なさって、もし落ちても私がその華奢な腰を抱き止めてあげますわ」
「冗談はよして。……このリフトの『記述』が不安定なのよ。ログが細かく明滅している。上から流れてくる情報の密度が、今までとは比較にならない」
ステラの視界――『神の眼』には、リフトの扉越しに侵入してくる異様なエラーメッセージの群れが映っていた。
警告を示す赤色の文字列が、滝のように視界の端を流れ落ちていく。
「ふふ、さすがはエグゼクティブ・デバッガー様。……でも、少し肩の力を抜きなさいな。上層は『神の恩恵を授かる聖域』。退屈するほど美しい場所ですわよ? もっとも、今の『バグ』った状態が、貴女の目にどう映るかは分かりませんけれど」
シフォンが不敵な笑みを浮かべた瞬間、リフトがわずかに揺れ重厚な電子音が鳴り響いた。
「もうまもなく着くはずだ」
重装な兜の下から、ハバルトの低い声は緊張感を帯びている。
『――アッパーフロア、聖歌隊居住区に到着しました』
蒸気と共に扉が左右に滑り出す。
次の瞬間、星奈の網膜を貫いたのは、眩いばかりの白亜とそれを冒涜するような「不条理」の光景だった。
「……っ、これは……!」
星奈は思わず息を呑んだ。
目の前には、白銀の塔が立ち並ぶ美しい庭園が広がっている。
しかし、その光景は物理法則をあざ笑うかのように崩壊していた。
庭園の池から溢れた水は、水面に戻ることなくクリスタルの粒となって空へ昇り、逆さまに浮かぶガゼボ(あずまや)の周りを優雅に回遊している。
咲き乱れる極彩色の花々は、風もないのにスローモーションで揺れ、数秒遅れて「シャラ……」という金属質の音を立てて空気に結像した。
さらに星奈の『眼』は、その美しさの裏側に潜む「猛毒」を捉える。
【警告:局所的重力パラメータの変異を確認】
【記述エラー:音響データのバッファ遅延。構造解析率、低下中】
視界を埋め尽くすエラーログの嵐。
世界が、まるで壊れた映像データのように、幾重にも重なり合い引き裂かれそうになっている。
「ようこそ、世界の最上層へ。美しいでしょう? 私たちの『神様』が見ている、心地よい夢の成れの果てよ」
シフォンの皮肉めいた声さえも、数メートル先で「声の形」をした光の粒子として空中に留まっている。
星奈は白磁の籠手を握り締め、一歩、その狂った聖域へと踏み出した。
「美しいなんて言葉で済ませられる状態じゃないわ……。今すぐデバッグを始めないと、この世界の『記述』そのものが崩壊する」
『神の眼』が鋭く発火する。
救世主ステラにとって、それは「夢」ではなく、修復すべき「致命的なバグ」に他ならなかった。
物理法則が歪み、逆さまの噴水から水が天へと昇る「聖歌隊居住区」。
特命チームの五人は、その異様な光景を前に足を止めていた。
「……アネラス、足元を疎かにするな。ここは『地』の概念が書き換わっている」
低く、心地よく響く声。
声をかけたのはチームの殿を務める男、ハバルトだった。
「はい、ハバルト先輩! ……すみません、つい見惚れてしまって」 「見惚れるのは任務が終わってからだ。……ステラ殿、先導を」
ハバルトは短く促した。
アネラスが尊敬してやまないこの先輩騎士は、星奈を「救世主」として崇めるのではなく、彼女の「解析」がこの任務を完遂するために最も信頼に値する「論理」であることを、一人の騎士として正当に評価していた。
その時、空間が不自然に歪み最上層のバグを宿した四足歩行の影
――「獣」が躍り出た。
獣は、物理的な移動距離を無視するような不自然な加速でチームの横腹を突く。
「シフォン、下がれ! アネラス、左を固めろ!」
ハバルトが動く。
巨躯に見合わぬ流麗な身のこなしで大斧を振るうが、獣は直撃の直前に「存在の確率」をずらすようにして、ハバルトの斧をすり抜けていく。
「速い……! 攻撃が当たる直前に、座標を書き換えられています!」
星奈の叫びに、ハバルトは眉一つ動かさず応えた。
「理屈はいい。ステラ殿、奴の『実体』が次に結ばれる場所を指し示せ。……君の眼には、この不条理の『答え』が見えているはずだ」
ハバルトは自身の経験に固執しない。
星奈の解析という確かな指標を、戦場における唯一の勝機として受け入れる度量があった。
「――そこです! ハバルトさん、今、真後ろの空中に振り抜いて!」
「承知した」
迷いは微塵もなかった。
ハバルトは迫りくる獣をあえて視界から外し、星奈が示した「何もない空間」へと、守護聖将の全力を込めた大斧を叩きつける。
ガギィィィン――!!
虚空が悲鳴を上げた。
次の瞬間、そこに吸い込まれるように出現した獣の眉間にハバルトの斧が深々と突き刺さった。
「……見事だ、ステラ殿。君の導きに、疑う余地はない」
ハバルトは斧を引き抜き、ステラに向けて短く、だが信頼の籠った頷きを見せた。その騎士道に溢れた背中を見つめるアネラスの瞳には、改めて強い憧憬の色が浮かんでいた。
空間の揺らぎが収まる暇もなく、庭園の「バグ」は加速度的にその密度を増していく。
霧散した獣の粒子が、重力異常に引かれるようにして一点に集い、新たな不協和音を奏で始めた。
「……来るわよ。一体じゃない、四体同時にリロードされている」
ステラは白磁の籠手を握り込み、『神の眼』を最大出力で展開した。
彼女の視界を、青白い解析ログが埋め尽くしていく。
「一気に賑やかになったわね。……さて、観測(お仕事)を続けましょうか」
シフォンが気怠げに、だが手元のデバイスを鋭く操作する。
星奈の網膜には、現れた四つの影の詳細なパラメータが投影された。
■ 虚像の狩人 / Lv.38 × 2
特徴:重力屈折を利用した光学迷彩を保持。
■ 記述の捕食者 / Lv.42
特徴:周囲の魔導エネルギーを吸着し、外殻を硬質化させる。
■ 旋律の壊し屋 / Lv.40
特徴:音響データの遅延を利用した、回避不能の衝撃波を放つ。
「レベル30後半から40……。中層ならボス級の個体が、雑草のように生えてくるわね」
星奈は腰の剣を抜き放った。
メイの手によって最終調整されたその刃は、上層の歪んだ光を反射して白銀に輝く。
「アネラス、右の『狩人』二体は任せていい? 座標のズレは私の眼で補正するわ」 「了解!」
アネラスが銀閃の剣を構え、地を蹴る。
彼女のLv.34という数値は、敵より低い。
しかし、星奈の解析による「最適解の提示」がある限りその差は無意味な変数に過ぎない。
「ハバルトさんは正面の『捕食者』を! 外殻の強度は高いですが、関節部の記述が脆弱です。そこを――」 「承知した。一点突破だな」
ハバルトが巨躯を翻し、重厚な大斧を振りかぶる。
守護聖将としての威厳を纏ったその一撃が、記述の捕食者の硬質な防壁へと叩きつけられた。
「メイ、後方の『壊し屋』の衝撃波を相殺できる? 物理的な防壁じゃ間に合わないわ」「任せて! 周波数を逆位相でぶつけてやるんだから!」
メイが背負ったツールボックスから特殊な振動触媒を取り出し、地面に突き立てる。 同時に、星奈は自身に向かってくる透明な刃を見据えた。
「……観測完了。全個体、デバッグ(掃討)を開始するわ」




