LOG_0020:出立
聖都エリュマントスの北区に位置する、重厚な石造りの外観が特徴の「バルカの工房」。
ステラの白磁の鎧をカスタマイズしたこの場所が今、上層調査チームの最終調整の場となっていた。
しかしどうやらバルカは居ないようだ。
「さあさあ、遠慮しないでちょうだい! 今日は特別に貸切なんだから!」
メイがいつものゴーグルを額に上げ、作業場へと一同を招き入れる。
ハバルトは巨躯を屈めて扉を潜り、シフォンは気怠げに周囲の工具を眺めていた。
「……さて。メイ、メンテナンスに入る前に少し時間をちょうだい」
ステラはそう言うと、『神の眼』を起動した。
青白い光が彼女の瞳に宿り、室内の温度がわずかに下がったような錯覚を覚える。
「メイ、あなたの右肩のツールホルダー。重心が外側に寄っているわ。長時間の移動では頸椎に負担がかかる。ハバルト様、その盾の裏面……第4層の魔導回路が摩耗している。ここの銀錫を高純度のものに張り替えて。アネラス、あなたの剣は――」
「わ、わかったわよ! 鑑定結果をそのまま設計図にするなんて、《《ステラちゃん》》も相変わらず無茶苦茶ね!」
メイは嬉々として火を熾し、ハンマーを握る。
ステラのアドバイスは、単なる修理の範疇を超えていた。
物理法則の最適化。
魔導伝導率の極限までの引き上げ。
それは「武器を直す」というより、「世界のバグを修正する」作業に近かった。
メンテナンスを待つ間、一同は工房の控室へと移動した。
シフォンは「動きにくいのは嫌いなの」と言い捨てて奥の着替え室へ消え、数分後、驚くべき姿で現れた。
ギルドの制服を大胆にアレンジした、体にフィットする漆黒の作業衣。
機動性を重視したためか、肩口や太腿のラインが露わになっている。
アネラスが少し目のやり場に困ったような顔をしたが、ステラは冷静にその服を「解析」した。
「……なるほど。布面積を最小限に抑えつつ、関節部に魔導障壁を集中させているのね。熱排気効率も計算されている。非常に合理的だわ、シフォン様」
「あら、わかってくれる? お嬢ちゃんとは気が合いそうね」
シフォンは不敵に笑う。
一方、アネラスは巨岩のように座るハバルトに歩み寄っていた。
「ハバルト先輩、改めて……今回はありがとうございます。でも、このメンバーで男性は先輩一人でしょう? 気を遣わせるというか、その……大丈夫ですか?」
ハバルトは兜を傍らに置き、端正な顔で穏やかに首を振った。
「案ずるな、アネラス。戦場に男も女もない。あるのは役割と、それを果たす意志だけだ」
その一切の私欲を感じさせない回答に、ステラはふと前世の記憶を呼び覚まされた。
(そういえば……私のいた研究室も、女性は私一人だった。性別というバイアスを排除し、ただ実験結果という真実のみを追求する空間。彼となら、同じような『純粋な効率』を共有できそうね)
そこへ、市場での買い出しを終えたノアが荷車を引いて現れた。
「ステラ様、ただいま戻りました! 注文されていた高カロリー保存食と、清潔な水、それから追加のメイ様指定の特殊合金も確保できました!」 「お疲れ様、ノア。助かったわ」
ノアが広げた食材の山を見てシフォンが顔をしかめる。
「……ねえ、これ全部『栄養ブロック』と『乾燥肉』? もっとこう、彩りとか、情緒とかないのかしら」
「生存が最優先ですから。食事は単なるエネルギー補給です」
ステラが淡々と答えると、シフォンは「はぁ……」と深く溜息をついた。
「でも分かるわあ。私、料理って大嫌いなのよね。面倒だし、最終的に胃に入れば同じでしょう? だから検証局でもいつもサプリメントばかりよ」
「……同感です」
二人の意外な「意気投合」にノアとアネラスが戦慄する。
そんな空気を変えたのは、ハバルトだった。
「救世主殿、それについては私の役目だな。騎士たるもの、野営での活力維持もまた武芸のうち。上層では、私が皆に『食事』を振る舞おう」
「先輩、料理できるんですか!?」
「ああ。特に、この乾燥肉を使った煮込み料理は、兵たちにも評判でね」
鉄の盾を持つ男がエプロンすら似合いそうな爽やかな笑顔で言う。
このチーム、歪ではあるが意外にもパズルが噛み合いつつあるのかもしれない。
数時間後。
工房の奥から蒸気と共にメイが姿を現した。
「お待たせ! 特命調査チーム、装備一式……デバッグ完了よ!」
現れたメイ自身も多数の工具を仕込んだ特注の作業服に身を包んでいる。
そして彼女が差し出したのはステラの解析データを元に極限まで調整された、アネラスの銀閃の剣、そしてステラの白磁の鎧の「最終形態」だった。
ステラは、メイによって再構築された自身の籠手を装着し握り拳を作る。
指先まで神経が通るような完璧なシンクロ率。
「いい精度ね、メイ。……ありがとう」
「へへっ、救世主様にそう言われるのが一番の報酬だよ!」
バルカの工房を出た一行を待っていたのは、団長ジークフリートを筆頭に、ギルド「聖典の守護者」の幹部たちだった。
「お揃いのようね、調査チームの諸君」
凛とした声で最初に口を開いたのは、シフォンの上司にあたる『秩序の編纂局』局長、イザベラだった。
鋭い知性を感じさせる眼鏡の奥の瞳が、少しだけセクシーに着崩したシフォンの作業着を射抜く。
「シフォン。あなたのその『観測』が、今回のデバッグの成否を分けるわ。データの持ち帰りを最優先に。……帰ってきたらその制服の『勝手なアレンジ』について、たっぷり報告書を書いてもらうから」
「ふふ、局長様はお厳しい。……善処しますわ、お仕事はね」
シフォンがいつものように肩をすくめて笑う。
続いて、頑強な体躯を持つ老人が前に出た。
『基盤の修復局』を統括する総理、バルタザールである。
彼はメイの前に立つと、その職人特有の節くれだった手でメイが背負う特注の工具袋を軽く叩いた。
「メイ。道具は使い手の魂だ。お前が研いだその楔が、世界の歪みを繋ぎ止める柱となる。……慢心するなよ。お前の後ろにはこの修復局の全技術者がついていると思え」
「は、はいっ! 閣下……いえ、総理! このメイ・ベルシュタイン、魂の最後の一振りまで、全力で打ち込んできます!」
「ハバルト、アネラス。……救世主を頼んだぞ。お前たちの盾と剣があれば、どんな『獣』も神の指先を汚すことはできまい」
「承知いたしました、副団長」
「はい。このアネラス、命に代えてもステラを護り抜く所存です。……副団長も、下層の守備をよろしくお願いしますね」
アネラスはいつもの不遜な態度を消し騎士として深く一礼した。
カシムは満足げに頷くと、最後にステラを見つめた。
「ステラ殿。……無茶は承知だが、生きて戻れ。それが俺の唯一の『命令』だ」
「カシム様。生存確率は、私が最大限まで引き上げます。問題ありません」
ステラが淡々と答えると、最後に、一行の中央に立つ人物が静かに口を開いた。
ギルドを統べる「団長:ジークフリート」である。
「上層は、我々にとっての聖域であり、同時に最も深い迷宮でもあります。そこにある『バグ』は、この世界の安寧を脅かす深刻な病。……どうか、この世界が明日も美しい夢を見続けられるよう、皆さんの力を貸してください。任務の成功を、心から祈っています」
重鎮たちの言葉を背に、一行は中央シャフトへと歩み出す。
その最後尾で、ノアがじっとステラを見つめていた。
その瞳には、案内人としての忠実さだけでなく一人の少年としての、祈るような切実な願いが宿っている。
(ステラ様……どうか、ご無事で)
ステラは一度だけ振り返り、ノアの視線を「受像」した。
感情という計算不能な変数が彼女の胸の奥でわずかに熱を帯びる。
「……行くわよ」
ステラの号令と共に、5人は上層へと続く巨大な昇降機へと乗り込んだ。
カウントダウンは終わり、物語は聖都の極地へと加速していく。




